小説木幡記:2009/05/13(水)良書に恵まれたなぁ
また突拍子もなく深夜に目覚めた。こうなると深夜と言わず、極早朝と思えば異変なく心身良好となろうか。痛みや涙まみれや悪夢汗で起きたのではない。すがすがしく目覚めた。さもあらん。眠り猫のように24時間半睡状態が続いたのだから、「もう、よろし」と余の生体システムが何かの決着を付けたのだろう。
五月の黄金週間の中日に「嵐山光三郎『悪党芭蕉』」を読むべしと託宣がおりて、翌日は知らぬ間にアマゾンから新潮文庫が届いておった。木幡研のこういう自動システムには、ものすごい所がある。
余は食わず嫌いのところがあって、読む前に「嵐山」って、あの嵯峨の嵐山出身の作家かなぁとか、らちもなきことに頭をめぐらせて、その上『悪党芭蕉』が世評で、芭蕉が犯罪者と付き合っていたとか、同行二人は美少年世界と聞いても、興味がわかなかった。「読むべし」託宣が降りたときも、「トンデモ本を読む気力も時間もない」と、思ったくらいだ。
ところが。
黄金週間の終わりまでに半分読んで、この数日間は半睡状態の中で3割読んで、今朝は余すところ2割となった。その2割を読み切るのがもったいない、と思うまでになった。要するに舐めるように読み出したということだ。350ページ程度の文庫評論だから本来なら一晩で読み飛ばすところだが、それだけの時間をかけているのは、体調のせいではなくて「こりゃ、流し読みする図書じゃない」と気付いたからだ。
これまでのところ、猿蓑の中にある「夏の月」連句が出来るまでの翻訳解説が圧巻だった。36句をどんな風によんでならべて連句にまとめ上げたかの詳細が記してあった。芭蕉と凡兆(ぼんちょう)と去来(きょらい)の三人が元禄三年(1680)に京都の医師凡兆の家に集まった。
(三十六歌仙の方式は、別の箇所では、おおよそ夕方5時過ぎから9時過ぎまでかけて36句を次々と並べていくと、あった)
この36句はグループに分けてあって懐紙の裏表二枚に丁度おさまるようになっている。さて問題は、個々の句の出来具合も大切だが、句から次の句への連なり、グループからグループへの転移の妙、そういうところに元禄蕉風の独自性があったよし。嵐山の解説・翻訳を読むたびに余は歓声を上げていた。たとえば、ある句と次の句とは、そのまま引き継いでは下の下、良しとするは移り香程度の関連をもって、次に行く。時に移り香、時に反歌のように、時に前句の打ち壊し、……。その精妙なルールを確固と守り、しかもなお意表を突くような遷移・転移を見せる。
これは。
コンピュータで自動解析させようとすると、芭蕉ほどの能力を持たせないと、無理だなぁと思った。要するに「映像」を媒介にして句と句の連鎖を分析すると芭蕉の意図が分かると考えた。コンピュータに句の五七の用語によってある映像を作らせて、次の句にも作らせて、その二つの映像の関連を厖大な江戸風俗や古典データベース(情景だな)で辞書引きさせて、そこで芭蕉の俳文から俳論をこき混ぜて、やっと連句全体の雰囲気や情景を分析し終える、となる。む、難しすぎる。
今読んでいるところの嵐山の分析では、「軽み」にいたっては、芭蕉の死後「蕉門」が分裂する程の最大の「難問」だったよし。余流に解説すると、芭蕉は弟子達にあらゆる古典を含めた教養と人生経験と句作を積んだ上で、それを全部すてて、さらりと軽く句を作ることを要請した。スポーツで類推するなら、流すノリで最高記録を達成するようなものだ。それについてこられない弟子達を、あっさり切り捨てた、となる。芭蕉は、無理無理のおっ師匠さまだったわけだ。もちろん切り捨てられた弟子達は、叛旗あげて、自らの離反を正当化したわけだが。
……。
他には、黄金週間中に、鉄道模型関係で良書三冊にめぐり逢った。余の備忘録として記すなり。
1.Oナローゲージ・トロッコモデリング/小泉宣夫 機芸出版社、2000年
2.HOゲージ・小型レイアウトの作り方/池田邦彦 誠文堂新光社、2006年
3.原信太郎鉄道模型のすべて・技術の極み、躍動美/原信太郎 誠文堂新光社、2008
以上三冊は、偶然に入手したものだが、その貫道するは一なりと、思える内容だった。文芸も技術も不易流行が、あるものだ。
なお不易流行については、嵐山は随分難しいことだから弟子達が離反した原因と記していたが、余の考えでは保田の『芭蕉』にはその解があった。この夏期に解読予定だが、万葉集以来の古典文芸は芭蕉にとっても誰にとってもファッションでもないし、意匠の一つでもないということ、そのことの覚悟性の確認があれば、不易流行は真っ当に生きることの表れだと思った。
鉄道模型という技術世界にあっても、この三著をみるかぎり、たしかに「不易流行」の結実であると味わえた。
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