小説木幡記:2009/04/30(木)お勤めはたして、GWを考える
今朝は壱時間目に情報サービス。いつものビデオ鑑賞、最後の三本目。いつもアンケートを採るが、内容が古いと言う学生がいる。しかし~、基本は何も変わってはいないぞ(笑)。AND、OR、NOT……論理積、論理和、論理差、まだまだ変わりはしない。本質を見極める訓練をしないと、やれ液晶じゃなくてCRTのPCだとか、インターネットは出てくるがCD検索が多いとか、あるいは未だに紙図書の「参考図書」を使っているとか~。あのなぁ、君。何もかわってはいない。ファッションの変化にすぎない。早い話が、OSが昔のモノクロ・キャラクターベースであろうが、カラフル・ゲームみたいな昨今OSであろうが、な~んにも本質的な変化はないのだぞ。
江戸時代が古いのか? 壬申の乱が古いのか? ああ、そうか古いと思うから「図書館の姿」が古いと感じるのかぁ! 生憎余は紀元前7世紀の粘土板一杯・アッシュルバニパール王宮図書館こそが最新のものと思っておる。ギルガメシュ叙事詩の原版だぞ! 火事になっても燃えないぞ。うあはは。
そうだ。一つ教えておこう、秘儀を。
論文の話だが、最先端の研究を手っ取り早く理解するには、その関係の初期論文を読むのが一番分かりやすい。初期は一般に化粧気なしのスッピンで、構造がシンプルだ。時を経るにしたがって、厚化粧と着飾りで徐々に本質を無くしていく。分かったか、うん? 人間もそうなんだよ。いや、それが分かれば君達はもうプロだ。うむ。
弐時間目は資料組織の主題編。相変わらず、列挙形とか分析合成形とか、NDCとかUDCとか十年変わらぬ講義を熱心(笑)に演説した。結局若い学生達66名の50人以上が「せんせ、プリント欲しい~」という声に負けて、A4判・合計10頁ものプリントを配布した。例年配布してきたが、今年こそ止めようと思っておった。なぜなら、教科書の要旨をまとめただけなんだから、そんなもん、教科書読めばもっと詳しく分かる! ああ、現代教師は結局学生に負ける。悲しい職業じゃ~。
午後は食後に小一時間沈思黙考して、このGWを如何に過ごすかを徹底的に思案した。限られた休暇なのだから、有効に使わないと。
しかしあまりに考えすぎて、頭が白熱してきた。凸に何回かハッカ油をぬって沈静化を図ったが、どうにもならず、そのままさらに小一時間横臥した。事情は、このインフルエンザ騒ぎの最中、街に出るとひ弱な余はきっと悪いバイ菌に感染して身動きできなくなる。
それで。結論がでた。「そうだ、家で寝ていよう」とな。実にシンプルな解を、余は合計弐時間でだした。
夜になって。
読書しようと思ったが、なんとなく眠たくなったので、今日はこれで筆をおく也。
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