小説木幡記:2009/04/29(水)昭和の日の夕空晴れてぇ~
くどいようだが。
今日は昭和の日。つまりは昭和天皇を偲ぶ日。余はマスコミ全般と異なり偏向しておらぬから、素直に激動の昭和と、その象徴だった昭和天皇を偲んでおる。日本にとっても、天智天皇~天武天皇時代に似て、艱難辛苦の時代だった。
我が国はよくぞ、生き抜いたと、余は心から思っておる。
さて、昭和の日だが、さまざまな事情で授業日だった。半期15回の授業をこなすのが現代の風潮なので、どこの大学も苦労しておる。一つは、授業は科目が同一曜日なので、曜日によっては(特に月曜日)半期全部の数が15回に及ばず、現代大学としての責務を果たし得ぬことから、祝日までもが授業に当てられる。うむ。いろいろ考えはあるが~、余は最近、世間の風潮には異を挟まぬようにしておる。
(注:濃密な授業がたった一回でも、生涯心に焼き付く事例を経験しておるから、15回だろうが10回だろうが、人間教育は工場生産物検品とは異なるよ~と、言いたくなるが黙っていよう)
それで午前は「メディア論」。今朝はメディアの歴史をまとめて電気紙芝居で演説した。余はよほどに粘土板とかパピルスとかパーチメントとか、あるいは木簡、竹簡、甲骨文字に絹布が好きな質で、結構以上に熱中して話した。紙が中国で官製になって、ヨーロッパに伝わるに千年かかったという史実に、うっとりしていた。が、さて若者達は電気紙芝居上映の暗い教室で~あはは。
午後はたっぷりひつこく仕事をした。
今日は、「二階建てトロッコ図書館列車」の意義をまとめる日とした。錯綜した脳の内容を、誰が聞いても分かるようにするには、一度ではまとめられない。なんどもなんども少しずつ考えを練っていく。帰る頃にはだいぶ進んですっきりした。
一節書くたびにHOタイプの自動往復運転を確かめておった。センサーのセッティングがなれるまでやや難しいシステムでな。スピードを調整しないと、センサーの数が少ないから、減速するはずが壁にぶち当たって、こっちへ戻ってこなくなる。うむうむ。マニュアルには、減速センサーともう一つ完全停止センサーのペアでセットしろと書いてあったが、なにしろTOMIXのNゲージ用センサーを、KATOのHO用レールにセットするのだから、工作がしんどくて左右二つでやっておる。
(一つ千円もする高価なセンサーを、これ以上お釈迦にしたくはない。二つで往復運転をこなす!)
で、夕方になって木幡についた(省略がはげしくて、まるでタイムマシン)。
西の高い空に上弦の月が輝いていた。月の空はまだ濃い青空だった。それが山際に近づくにつれて、濃青から青、そして明るい青のあたりから紅がまざり、「ああ、これが茜色というのだろうか」と思った。それまで杖をついて重い荷物をもって歩いていたが、その夕空をみたとたんに、「余は、まだしっかりとこの世に生きておる」と、生の充実が身内からわきあがってきた。不意に杖が軽くなった。
人は、夕空を見るだけで心身がしゃきっとするものだ。夕食が実に美味しかった。
皆の衆、天然自然に時には目を向けて、小さな生をじっくり味わいましょうぞ。
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