小説木幡記:2009/04/24(金)なにとはなく、上向き
この間、それほど深く鬱していたわけではないが、今日は終日機嫌がよくなってきた。
さっきシャワーで洗髪したらすっきりした。
いろいろな締切も列をなしているが、時期がくると自然に手が動いてなんとかこなしている。
もっとも、余は何事も一度で完成させることは少なく、3枚の書類なら、最初に3枚目、次に2枚目、最後に1枚目をさばくので、だんだん苦痛は減っていく。
夢はいくつもあって、夢をおって、邁進、数十年生きてきたと言える。しかし夢を達成するためにすこしづつ手をつけてきたので、結果もバーンとでるわけでなく、その時、その場で少しづつの達成感があった。そんなことの繰り返しだな。
そうそう。図書館列車の自動往復運転や駅停止発進の自動化がなんとか出来るようになった。これまでのように長大なジオラマが無くても、いろいろな実験ができるようになったので、喜ばしい。
また。芭蕉を例にするなら、余よりずっと若くしてこの世をさった。芭蕉であれ、仏陀であれ、その人に一旦内在的に沈み込むと視界が広がるようだ。どんな思いで、何を考え、生きたのか。それは外からは30%程度しか分からぬ。芭蕉や仏陀になったつもりで、その目で現世を眺めたら、別の世界があった。
日々、おもしろい。
今夜はこのくらいにしておこう。
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