« NHK天地人(10)春日山城本丸の占拠 | トップページ | 桜井・茶臼山古墳と纒向遺跡紀行(1)桜井茶臼山古墳の発掘調査現場 »

2009年3月10日 (火)

桜井・茶臼山古墳と纒向遺跡紀行(0)はじめに:初期・前方後円墳

承前:白髭神社と鴨稲荷山古墳:近江の継体天皇 (0)はじめに

 畏友のJo翁と一日使って奈良県桜井市の前方後円墳の幾つかを実際に歩いてみました。次の地図に印を付けましたが、全部で7つの初期・前方後円墳です。

 (Jo翁もようやく紀行文に着手したようです

1.桜井・茶臼山古墳
2.箸墓
3.ホケノ山古墳
4.纒向・石塚古墳
5.纒向・勝山古墳
6.纒向・矢塚古墳
7.纒向・東田大塚古墳
8.まとめ

Muimg_2299
(JR桜井駅前の案内地図)

 忙しいJo翁と暇人Muですが、わざわざ出掛けるのにはそれなりの理由があります。二人とも考古学や古代日本史が好きなわけですが、特に今回はなにかしら私の方に胸騒ぎがして、行き先を指定したふしもあります。私は思うのですが、どうやらここ数年のうちに、日本古代史の多くの謎が今回旅したいくつかの前方後円墳によって解明されるのではなかろうかと~、予断を許さないわけです(taurus)。

 1.桜井・茶臼山古墳は、今年初めの小説木幡記でほんの少し触れましたが、橿原考古学研究所が戦後60年ぶりに再調査をすると知っていました。事前に2003年のまとめを読みましたが、いくつか興味がわきました。
 4世紀初期の柄鏡形の前方後円墳で、207mもあって大きいです。しかし古墳の年代はなかなか分かりにくいわけです。柄鏡形については同行Jo翁の解説もあって分かってきました。ですがそれとは別にこの3月5日の産経新聞(邪馬台国時代の前方後円墳は2タイプ・古墳誕生の謎に一石→引用しますが後日リンク切れになるでしょう)では、纒向の古い古墳(後で述べます)は、最近になって前方後円墳の形状がこれまでとは違っていたことが分かったのです。で、私は柄鏡形と、その古い纒向形との違いを知りたかったわけです。
 前方後円墳の形の変遷の図式は「 前方後円墳の形の変遷」を見ると分かりやすいです。

 2.箸墓は、今回は旅の途中にお参りしただけです。これは別途「卑弥呼の墓」シリーズで詳細に考えていきます。

 3.ホケノ山古墳は、纒向遺跡の一つとして著名ですが、以前檜原神社へお参りした時に通りすがりに遠望しただけなので、今回は詳細に写真を撮りました。Jo翁は三輪山とホケノ山古墳と、そして西の国津神社北の丘(古墳でしょうね)と、箸墓後円部を眺めて、これは一連の物であると新説(笑)をつぶやいておりました。楽しみです。

 4~7の、4つの纒向前方後円墳は纒向小学校の周囲にあります。この4つをすべて徒歩で観察してみました。どの古墳もここ数年の間に話題になり、そして、3月5日にも橿原考古学研究所の新しい発見(異なった形状)があり、なかなかに予断を許しませんねぇ。

 というわけで、お昼は千寿亭という三輪そうめんのお店でたいそうな御膳を御馳走してもらい、帰路は奈良ホテルでこれまた美味しい珈琲やケーキやサンドイッチをJo翁から賜りました。ありがたいことです、合掌。「千寿亭」はRSのナビシステムで、入力すると出てきました。有名なお店なんですね。奈良ホテルは混んでいましたが、快適に疲れをいやせました。さすがに到着時は、めずらしく一日に5~6キロも歩いたせいか、ふらふらでした。熱いお湯で洗顔して珈琲を飲んだら、すっきりしました。

 さてまずは、出発地点。近鉄桜井駅の写真を掲載しますので、同行JoMu・旅の始まりを想像して下さい。
Musakuraiekiimg_2256

参照
 MuBlogでは関係記事を過去にいくつか掲載していますが、整理のつき次第参照リンクをセットします。

|

« NHK天地人(10)春日山城本丸の占拠 | トップページ | 桜井・茶臼山古墳と纒向遺跡紀行(1)桜井茶臼山古墳の発掘調査現場 »

三輪」カテゴリの記事

遺跡」カテゴリの記事

邪馬台国」カテゴリの記事

コメント

お疲れさまでした

 本当に楽しい漫遊記でした。しかし、茶臼山古墳では驚きましたね。火事場に出くわした驚きでした。二人は考古学者にみえたのでしょうね。

 今回の成果はホケノ山古墳と箸墓古墳です。学生時代にだてに山登りをしていた訳ではありません。明らかに尾根が繋がっている。遥か聖なる山、三輪山にね。

 兎も角、今は大阪の義父の事務所でお手伝いで記事は書けません。けど、今回の記事は気合が入っていますね。楽しみです。

投稿: jo | 2009年3月11日 (水) 22時22分

Joさん
 たしかに、Jo翁の「桜井・茶臼山古墳始末記」を早く読みたいです。
 あれは、稀なというか、千載一遇の好機というか、優曇華の花レベルの事件でした(笑)。あれで全行程の9割を使ってしまった思いもします。Joさんはトレンチの写真をバシバシとっておられたので、塩梅を考えて、公開できるものはJoBlogで見せてください。しかしながら、後円部・直登の感覚は写真では表せませんな。

 ただMuは、ホケノ山古墳とか、纒向小学校周辺の石塚から始まり、勝山、矢塚、東田大塚と、いずれも邪馬台国問題に直接関わりそうな古・前方後円墳を実地に歩いて写真を撮れたことも、今回の旅の成果でした。以前より、遠方(主に巻向駅とか国道)から眺めたことはたびたびありますが、ああして直接確認することが出来て、とても嬉しいです。

 さすがに疲れて、奈良ホテルのトイレで、熱い湯で洗顔したときはほっとしました。Jo新説の発祥地ホケノ山・後円部の上は景色がよかったですが、弥生の寒風は身体にこたえました。

投稿: Mu→Jo | 2009年3月12日 (木) 07時13分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/22035/44303824

この記事へのトラックバック一覧です: 桜井・茶臼山古墳と纒向遺跡紀行(0)はじめに:初期・前方後円墳:

» 桜井・茶臼山古墳と纒向遺跡紀行(1)桜井茶臼山古墳の発掘調査現場 [MuBlog]
承前:桜井・茶臼山古墳と纒向遺跡紀行:初期・前方後円墳(0)はじめに (ずれた天井石)  この写真は私にとっては貴重なものです。何故そうなのかは、あまり説明できませんが、後日畏友のJo翁が懇切丁寧な解説記事をJoBlogに掲載されるはずなので、そちらでご確認下さい。(推定掲載時期は2009年3月中旬、検索キーは{JoBlog、茶臼山古墳})  さて桜井茶臼山古墳の後円部墳頂はまだ発掘調査中でした。... [続きを読む]

受信: 2009年3月11日 (水) 03時30分

» 桜井・茶臼山古墳と纒向遺跡紀行(8)まとめ [MuBlog]
承前:桜井・茶臼山古墳と纒向遺跡紀行(7)纒向・東田大塚古墳 目次:桜井・茶臼山古墳と纒向遺跡紀行(0)はじめに 心の旅路  こうして今回の私の「マキムク・心の旅路」もようやくまとめに入りました。現身(うつしみ)の私や同行二人Jo翁が実際に旅したのは、2009年3月10(火)午前十時に奈良県桜井市の近鉄桜井駅から始まり、終わりは同日午後四時前に奈良市の近鉄奈良駅前でしたから、ごく短い旅程だったわけ... [続きを読む]

受信: 2009年3月24日 (火) 04時14分

» 纒向宮殿紀行(0)大型建造物遺構と幻視する邪馬台国:目次 [MuBlog]
主承前:桜井・茶臼山古墳と纒向遺跡紀行(0)はじめに 従承前:卑弥呼の墓(013)~シリーズ  2009年11月23日(月)に、畏友のJo翁と奈良県桜井市の纒向(まきむく)遺跡、およびその周辺を見て回りました。その秋に第166次調査が桜井市教育委員会の手で執行されて、類のない大型建造物遺跡が発掘されたからです。この建造物は宮殿なのか神殿なのか、よく分かりませんが、3世紀としては異色の建物のようです... [続きを読む]

受信: 2010年3月18日 (木) 22時30分

» 纏向遺跡 王宮の範囲示す溝か [ローカルニュースの旅]
邪馬台国の候補地の1つとされる纒向遺跡で、女王・卑弥呼の宮殿という説もある大型建物跡の南側から、建物とほぼ平行に延びる溝の跡が見つかりました。市の教育委員会は、王宮の範囲を示す可能性もあるとみて、詳しく調べることにしています。今回の調査内容について、2月18日、現地で説明会が開かれます。... [続きを読む]

受信: 2012年2月17日 (金) 17時27分

« NHK天地人(10)春日山城本丸の占拠 | トップページ | 桜井・茶臼山古墳と纒向遺跡紀行(1)桜井茶臼山古墳の発掘調査現場 »