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2009年3月17日 (火)

桜井・茶臼山古墳と纒向遺跡紀行(5)纒向勝山古墳

承前:桜井・茶臼山古墳と纒向遺跡紀行(4)纒向石塚古墳

纒向勝山古墳/桜井市教育委員会
 なにかしら重要と見なされた遺跡は、何度も調査されるようです。もちろん一度の調査試掘でははっきりと全貌がわからないことも多いのでしょう。
 この纒向の勝山古墳は現地の案内板が古びていたので、参考1を読んでみました。すると第五次調査では「今回の調査と既往の調査成果を総合して古墳の形状を復元すると、前方部が前端に向けて広がる前方後円墳となります。周濠の形状は緩やかな鍵穴形を呈するものと想定できます。全長は115m以上、後円部径が70m、くびれ部幅は26mです。」という文言に吸い寄せられました。この調査は調査期間が2008 年1 月15 日~同年3 月4 日となっていましたので、昨年のことです。

 これは隣の矢塚古墳や東田大塚古墳も同じですが、その時の新聞報道をMuBlogで記録していました。参考2を御覧下さい。この段階で前方後円墳の規模がはっきり定まったと私は思っていました。もっとも、最古の前方後円墳と調査関係者達が判断したのはさらに1年前の2007年4月の事でした。(参考3)

 ところがそれでは終わらなかったのです。結論を言いますと、石塚古墳の記事でも記しましたが、要するに後の号で掲載する東田大塚古墳は(全長120m、前方部50m)で前方部が長く非纒向型。さらにこの勝山古墳も(全長115m、前方部48m)となり非纒向型と見直されました。(参考4)

 つまり、埋もれてしまった勝山古墳や東田大塚古墳は、何度も調査して埋没部分を復元していくと、意外にも前方部が長く、いわゆる「纒向型前方後円墳」のずんぐりした形とは異なる、ちょっとスマートなタイプになってきたのです。古いのは確か(多分)ですから、古墳形式の分類に異変が生じそうですね。その一つが、この勝山古墳のようです。

Bmuimg_2363
(周濠に映える勝山古墳:背景に現代の纒向小学校)

 周濠の北西角から南東を撮したものです。右側は纒向小学校です。
 纒向小学校の周りの初期前方後円墳で一番古墳らしく思えたのはこの勝山古墳でした。理由は明確でして、周濠(池)があったからです。この池は現代の池として整備されていますが、調査報告書を読む限り古墳が出来た時から周りを池が取り囲んでいたようです。古墳全般に諸説はありますが、やはり前方後円墳と言えば周濠ですね。まわりに池の水が見えないとただの小山、丘、鎮守の森としかイメージできないです。

 石塚、勝山、矢塚、東田(ひがいだ)大塚古墳の4つは学術調査の結果としてはすべて前方後円墳で、前方部の長さは後円部に比して長短あると分かったわけです。しかし、実際に門外漢の目で遠望しているかぎり、これが前方後円墳と即断する人は稀でしょうね。掘って始めて分かるわけです。私の目には、田んぼや池のそばに丸い小山がある、としか見えなかったです。

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(北に向かって勝山古墳)

 周濠の水は枯れています。私が良く行く京都市右京区の広沢池は冬になると水を抜きます。あらかじめ放っておいた鯉や鮒が大きくなって、水抜きして捕って販売するわけです。漁業組合があるのでしょうか。関係者が自由に使える入り会い池でしょうか。分かりません。そして、この勝山古墳の周濠をみていて小学校時代を思い出しました。無断で捕ったら警察行きがわかっているのですが(当時の小学生だから、どうなんでしょう)、友達がタオルに撒いて持って帰ったのを目撃しました(笑)。あのころはみんな貧しくて、本当に貴重なタンパク源として食卓にあがったのだと思います。古墳時代にも鯉や鮒は食用にされたでしょうか? 

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(異様な繁茂)

 周りが畑ですから、この植物の繁茂は異様に見えました。良く解らないのですが、これらの古墳には地権者がいるはずです。それぞれの古墳毎に微妙に違うことに気がつきました。石塚古墳だけは史跡ですから、多分桜井市の土地なのでしょう、如何にも円墳と見えました(実際は前方後円墳です)。ところがこの勝山は木々が生い茂り、円墳どころか、小山ですね。ここまで来ると鎮守の森にも見えませんでした。離れて見る限り道も見えません。ただ生い茂っていました。

参考1勝山古墳第5 次発掘調査の成果〔纒向古墳群発掘調査報告会資料〕
参考2:(MuBlog)纒向遺跡の三つの古墳:勝山、矢塚、東田大塚古墳(2008.03.07)
参考3:(MuBlog)最古の前方後円墳(邪馬台国?)東田大塚古墳、矢塚古墳(2007.04.14)
参考4:(MuBlog)桜井・茶臼山古墳と纒向遺跡紀行(4)纒向石塚古墳

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承前:桜井・茶臼山古墳と纒向遺跡紀行(5)纒向勝山古墳  矢塚古墳は纒向小学校の西にあります。他の古墳にくらべてなんとなく華やぎが感じられます。これは古墳に色彩があるからでしょう。現代も生きている雰囲気でした。墓というよりも公園と言っても通ります。 ☆  平成20年の桜井市資料(参考1)によると、矢塚古墳第3次調査の結果が「纒向型前方後円墳の規格である全長・後円部径・前方部長が3対2対1の比率を持... [続きを読む]

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