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2009年3月15日 (日)

桜井・茶臼山古墳と纒向遺跡紀行(4)纒向石塚古墳

承前:桜井・茶臼山古墳と纒向遺跡紀行(3)ホケノ山古墳

纒向石塚古墳(市指定史跡)/桜井市教育委員会
 桜井市指定史跡となっていて、昭和46年から調査しているのですから比較的早くに始まったようです。←写真をクリックすると現地の案内記事が見られます。
 築造年代はむつかしいようですが、3世紀の中頃まではほぼ当たっているようです(笑:わからない苦笑い)。参考1の「3 纒向石塚古墳の築造年代」(p130-136)の結論では、石野氏は3世紀初めとされています。弥生時代から古墳時代の、当時の人はおっとりしていたでしょうから、五年や十年の違いは気にしていなかったと想像しています。

 参考2には第八次調査の結果までがあります。それによると、全長93m、後円部径64m、前方部幅32mとなっています。そして、後円部にトレンチ(試掘溝)を掘ったところ、主体部(埋葬施設でしょうね)の発見はなかったようです。これは現在、あるいは将来発見されるかも知れませんが、もし本当に無かったとすると参考3で苅谷氏が述べていた、纒向石塚古墳は墓所ではなく日の神を祀る聖壇だった可能性を再び思い出さざるを得ません(同書 p103~)。前方部・後円部の正中線はまっすぐに東南の三輪山に向かっているのです。

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(纒向石塚古墳)纒向小学校の東端から南西に向けて撮した
 ↑写真の位置は、現地案内碑からです。後円部が削られているのか、もとからこういう状態だったのかはわかりませんが、古墳というよりも「聖壇」の雰囲気が濃厚です。参考4には、以前「地中レーダー調査」(p30)をしたところ何かがありそうだったが、トレンチを掘っても、何も無かったとあります。戦時中に軍が高射砲を設置したのでその基礎かとも推定したようですが、そうでもなかったようです。

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(纒向小学校と石塚古墳) 人影は同行のJo翁

 最近の話題は参考5によれば、同地域の纒向型古墳(前方部が後円部の半分程度)の判定に変化が生じたようです。矢塚古墳は(全長96m、前方部34m)で従来通り纒向型。東田大塚古墳は(全長120m、前方部50m)で前方部が長く非纒向型。さらに勝山古墳も(全長115m、前方部48m)となり非纒向型と見直されました。
 そして石塚古墳には言及がなかったのです。

 参考6に記しましたが昨年すでに3つの古墳の調査はされ、全体の規模がほぼ出ていました。それから1年たってようやく、纒向型ではない、前方部が明らかに長い東田大塚や勝山古墳を別種と見なしたのだと思います。
 そして石塚古墳はどうなのでしょう(笑:興味津々の笑い)。円墳と見まごう超纒向型であることに変化はないのでしょう。私の頭の中に、水晶玉が座布団に座っているシルエットが浮かびました。
 謎は深まるばかり、予断を許してくれません。

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(三輪山と纒向石塚古墳前方部)

 石塚古墳に関係する情報をいろいろ眺めてみましたが、主体部の未発見が気になりました。深部に埋葬したのか、あるいは高射砲を設置するときに破壊されたのか、あるいは古墳墓所ではなく聖壇だったのか。そしてここでも三輪山が見えました。きっと三輪山が当時の様子を見て知っているのでしょう。

参考1 邪馬台国と古墳/石野博信 学生社、2002.4
参考2 三輪山周辺の考古学/桜井市立埋蔵文化財センター 2000.12
参考3 まほろばの歌がきこえる:現れた邪馬台国の都/苅谷俊介 エイチアンドアイ、1999.2
参考4 桜井・発掘調査現場から/桜井市文化財協会 1999.3
参考5 (ネット情報)邪馬台国時代の前方後円墳は2タイプ 古墳誕生の謎に一石/産経ニュース 2009.3.5 22:56
参考6 (MuBlog)纒向遺跡の三つの古墳:勝山、矢塚、東田大塚古墳 2008.03.07

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承前:桜井・茶臼山古墳と纒向遺跡紀行(4)纒向石塚古墳  なにかしら重要と見なされた遺跡は、何度も調査されるようです。もちろん一度の調査試掘でははっきりと全貌がわからないことも多いのでしょう。  この纒向の勝山古墳は現地の案内板が古びていたので、参考1を読んでみました。すると第五次調査では「今回の調査と既往の調査成果を総合して古墳の形状を復元すると、前方部が前端に向けて広がる前方後円墳となります。... [続きを読む]

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