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2009年3月11日 (水)

桜井・茶臼山古墳と纒向遺跡紀行(1)桜井茶臼山古墳の発掘調査現場

承前:桜井・茶臼山古墳と纒向遺跡紀行:初期・前方後円墳(0)はじめに

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(ずれた天井石)

 この写真は私にとっては貴重なものです。何故そうなのかは、あまり説明できませんが、後日畏友のJo翁が懇切丁寧な解説記事をJoBlogに掲載されるはずなので、そちらでご確認下さい。(推定掲載時期は2009年3月中旬、検索キーは{JoBlog、茶臼山古墳})

 さて桜井茶臼山古墳の後円部墳頂はまだ発掘調査中でした。調査員らしき人や発掘作業従事者、見学に来た専門家の人達、合計十数名の人影がありました。同行二人JoMuを合わせるとさらに増えます。従前のニュースによれば奈良県立・橿原考古学研究所が再調査しているとのことだったので、その関係者が中心だと想像できます(不明)。発掘従事者以外の人影があったのは、作業が一段落したのかもしれません。

 写真のトレンチ(試掘坑)は、十文字のうち東西に掘られた部分の西端にあたります。見どころは左下の四角い石板です。風に乗って聞こえてきた声では、ずり落ちた天井石板の可能性があります。他のトレンチ部分では、地震によって後円部全体が南北二つに割れてずれた形跡もあるようでした(風の噂です)。しかしとにかく「国指定史跡」ですから、調査の範囲や深さは厳密に取り決められているせいか、なにかがどうかしても、途中で掘り進めたりすることは出来ないようです。いずれにしても、私には何一つ正確には判断出来ませんでした。しかし、なにかがある、という予感ときめきはあったのです。

桜井茶臼山:後円部墳頂西側の発掘調査現場
 ←小さな写真で分かると思いますが、後円部は広々としていました。長い歴史の中で削られたのか、初めからそうだったのかは分かりません。ただ、以前神戸で五色塚古墳の再現公園を歩いたときは、後円部は頂上部分が平坦な広場になっていましたから、そう言う物かも知れません。昔から茶臼山古墳の頂上も今見ているのと変わらなかったのでしょうか。何が言いたいかと申しますと、またしても風に乗った声では、ここには様々な施設があった可能性があるようです。JoMuも、後日の発掘調査結果を新聞で見たりあるいは報告書を読まないとわからないのですが、なんとなく掘っ立て柱があったような想像をしました。要するに、後円部に建物があったのかもしれない。なんとも、あまり聞かない話です。

桜井茶臼山:後円部から前方部を見下ろす
桜井茶臼山:後円部を見上げる
 もちろん後円部の鳥居などは古地図絵図には時々あるようなので、縦穴式石槨のまわりにいろいろしつらえた時代があったのかもしれません。どういう発表がこれからされていくのか、大いに興味があります。あるいは私の幻視だった可能性も大きいです。少なく見積もっても1600年以上は経過していますから、途中で誰かが家を建てたり、別の目的に使われたりと、一筋縄ではいかないのが古代遺跡だと思いました。

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(桜井茶臼山古墳の全景)

桜井茶臼山:案内表示
 未整備の前方後円墳は樹木に覆われていますから段とか葺石で覆われた美麗さとか、なにも分かりません。ただ大きな写真は二枚を合成したもので、18mmの広角レンズでも入りきらなかったのです。全長207mは写真の左から右までの長さです。後円部の地上高は19m、後円部の直径は110m程なので全長の半分程度です。右の前方部は幅が61m程度と現地に書いてありました。2003年の調査では高さが最大23mに伸びておりました。桜井市のパンフレットでは高さが22mでした、まあ大体そんなところでしょう(cancer)。
 あいにく柄鏡形の古墳姿は別の解説などを読まないと分かりません。Googleの航空写真も現在(2009年3月)時点では、奈良県桜井市近辺の写真分解度が低くて茶臼山古墳を仁徳天皇陵のように上空からはっきり確認することは出来ません。

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(後円部登頂ルート:ゼンリン電子地図Zi9より)

桜井茶臼山:後円部麓の桜
桜井茶臼山:発掘調査仮小屋
 ↑この地図で分かるように、茶臼山古墳は前方部と後円部とがほぼ南北に位置しています。同行二人JoMuは、午前10時頃に近鉄桜井駅から徒歩で西に進み、近所のお寺(大願寺)で行き先を尋ね親切にも地図に経路まで付けた複写(住宅地図をA3見開きで貼り付け下さった!)をいただき、ようやく古墳後円部の見えるところまでたどり着きました。

 桜井の方は親切だとJo翁も私も感心しました。帰路もJR桜井駅前通りで休んでいると近所の洋品店のご主人らしい人が、カメラを持ったJoMuに、メスリ山古墳出土埴輪を小学生の頃に見て感動したと、話しかけてくれました。Jo翁の人徳もありますが、お寺のお母さんとお嫁さんか娘さんにしても、駅前の旦那にしても、見ず知らずの他国人に望外の親しみを見せてくださったのです。

 写真地図には全景を撮った位置と角度を記しました。そしてどういうルートで後円部に登ったかも記録しました。いささか乱暴ですね。真北から真っ直ぐ後円部までよじ登ったのですから! そして登った途端に人影があってびっくりした笑い話は、後日のJoBlog記事に任せます。調査が入ったのは知っていたのですが、作業が終わり無人で、すでに埋め戻されていると信じて疑わなかった次第です。

復習:←近畿の古墳と古代史/白石太一郎(学生社、2007.5)
 同著によると、全長が200m以上もある3世紀中葉過ぎから4世紀中葉過ぎの前方後円墳はひとまとまりの古墳として説明されていました。つまり初期倭国王墓だったというのです。たとえば桜井(外山:トビ)茶臼山古墳からは昔、玉杖が発掘されていて橿原考古学研究所の博物館サイトに写真があります。大王の持ち物らしく見えました。

 同著によると(p50)古墳の古さは、箸墓(280m)→西殿塚(234m、天理市・手白香皇女陵)→茶臼山古墳(208m)→メスリ山古墳(250m)とありました。茶臼山古墳とメスリ山古墳とは記紀に明確な記述がないので、一般には注目されてこなかったようです。しかし、このように系列化して眺めてみると、なにかしらすっぽりと落ち着くところに落ち着いた気持ちになります。感覚的な云い方ですが、記紀に名のある著名な大王ないし大女王の墓だったのでしょう。そして、茶臼山古墳のあるトビとか磐余(いわれ)一帯は神武天皇伝説の中心地でしたし、胸騒ぎがしてきます(笑)。

 このたび、橿原考古学研究所(だと想像)が茶臼山古墳を再調査をしているのは、一体真の狙いはどこにあるのか、後日に発表があるとしても、私などは岡目八目、意外にも纒向遺跡との関連に結びつけたりしてしまうのです。仮に纒向遺跡を件の邪馬台国と幻視するなら、そのわずかに半世紀後、距離にして南に4キロ弱に位置した巨大・前方後円墳・桜井茶臼山古墳とは一体なんだったのでしょう、謎は深まるばかりです。邪馬台国と大和朝廷との失われたリンクなのかも知れませんなぁ~。

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コメント

茶臼山古墳とホケノ山古墳

 両古墳は同じく丘尾切断型古墳ですね。前方後円墳の初期の形だと思います。尾根に古墳を作るのは意味があるのではないでしょうか。聖なる山の血を受け継ぐ神にのみ許された大王ではないだろうか。

 茶臼山古墳の墓は木カク墓だそうですね、中国の影響でしょうね。朝鮮半島では馬韓、弁韓、辰韓の時代は木棺墓で、木カク墓
なるのは、百済、加羅、新羅の時代だそうですよ。

 ホケノと共通なのは墓に壷を添えてい点です。道教の影響ではないでしょうか。あの世と壷、前方後円墳形状は壷ではないだろうか、という、世界観が益々、重要と感じいます。

投稿: jo | 2009年3月19日 (木) 20時11分

Joさん
 三輪山→ホケノ山→箸墓、と丘尾を切断しながら、前方後円墳をつくったというわけですか?

 そして
 鳥見山→茶臼山古墳、も丘尾切断。

 ホケノ山と茶臼山とは、壷が顕著。

 墓制についても時代的地域的な流れがあるわけですね?
 魏志倭人伝研究ではさかんに、墓にカク(箱だね)があるかどうかが昔の邪馬台国論点になっておりました。

 横浜の書斎にもどったら、じっくり考察を聞かせてください(JoBlogが楽しみです)。

なお次回の関西遺跡見学会はですね、高槻の今城塚古墳が整備されただろうから、そちらはどうでしょうね。ついでにと言ってはタイショクカンさんにもうしわけないが、藤原鎌足さんのことも調べておきたいです。
お互いに忙しいねぇ(笑)

投稿: Mu→Jo | 2009年3月20日 (金) 15時46分

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