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2009年3月29日 (日)

NHK天地人(13)武田(高坂弾正)との和議

承前:NHK天地人(12)兵糧と桑取

上杉(越後)と武田(甲斐)の因縁
 上杉謙信と武田信玄とは川中島を挟んで25年の長きにわたり戦った仲です。
 これは一昨年の「風林火山」でも良く知られているわけですが、お互いに相手方の領国深くに入らなかったようです。特に上杉勢は、信玄に刃向かった小領主から助けを求められると出撃し、武田が引くとそのまま帰ったことが何度もあるようです。関東への侵攻もあくまで関東管領上杉憲正から助けを求められてという形です。「敵に塩を贈る」という言葉は、海のない甲斐の国が塩に困っていたとき、海のある上杉謙信が塩を贈ったという伝説です。
 他国を侵さない、困った相手には手をさしのべる、上杉謙信のこういった話は造られた美談ともいえますし、事の真実を残しているとも言えます。私は、謙信公になったつもりで考えて、本当のことだったと思います。

高坂弾正
 そしてまた武田家にも、現在は勝頼の世代ですが、信玄&謙信という昔の漢(おとこ)同士の敵味方友情を懐かしく思っている宿老がいるわけです。その一人が今夜の主役、高坂(香坂)弾正でした。つまり高坂(大出俊)は御屋形(信玄公)さまの遺訓として、頼るべきは上杉の越後と考えている人なのです。この事情を、昔の記憶からではなく、今の私の気持で考えてみました。

 どういう事かというと、
 上杉と手を結ばないと武田は常に背後を敵にすることになります。これは地勢的な観点です。山梨県甲府から太平洋まで真南に60kmしかありません。京へ上ろうとするとき最短距離になりますが、後ろが敵では上京もできません。

 上杉謙信、武田信玄時代に何度も川中島で戦って、両雄同士には親近感があったのではないでしょうか。憎み合うというよりも、分かりやすく言うと好敵手同士の関係です。時間をかけて戦うに意味ある相手ということでしょう。

 戦国武将としての上杉謙信の変人振りは知れ渡っていたと思います。信義を重んじる。無駄な侵攻はしない。膨張政策をとらない。だからその家風を武田としては好ましく思っていたと考えます。
 長篠の戦いで織田・徳川軍に鉄砲三千丁の威力で、その無敵の武田騎馬隊が完膚無きまでにたたきのめされた現在、武田には背後の越後を敵にする余力はなかったはずです。

智将・兼続
 万策尽きた兼続は諸将の反対を押しきり、景勝を説得し、武田の陣中で和議の使者として高坂弾正と向かい合います。条件は越後と甲斐の境界にある上杉領二国の割譲によって、武田が兵を引く、でした。

 兼続<今の武田は長篠の戦いで敗れ、織田軍の脅威のもとにある。その織田軍を破ったのは上杉です>
 弾正<若いくせに、痛いところを突く>

 この掛け合いに秘密(笑)があると思いました。要するに、今の武田は立て直しに時間もいる、金もいる、諸将を束ねる必要もある。北条氏政の口車にのって越後に侵攻したなら、上杉景勝は死力を尽くして戦うので、武田は勝ったとしても疲弊はますます深まり、さらに北条が自分の弟(景虎)を国主に据える算段以上のことを考えている(越後を北条の領国にする)ふしもあるから、結局武田は北条の先兵として使役されるようなものだ、という含蓄があると考えました。

 山本勘助の薫陶を受け、武田信玄の参謀をしていた高坂弾正ですから、その背景は言われるまでもなく熟知し、まさに痛いところを突かれたわけです。あっさりと、<分かった。勝頼様を説得して、この和議をまとめましょうぞ>と言い切り、さらに、
 <勝頼様も戦わずして二国を得ることに満足するだろう。それにしても謙信公は、若い人達を育てた(うらやましい)>と言って、咳き込みます。
 この時、弾正の顔が死相に近く、目に涙が満ちていたのが印象深かったです。

見どころ
 毘沙門堂の祠で、19歳の兼続が、24歳の景勝に向かって<謙信公の遺訓を乗り越え、殿は自立し、殿の考えで越後を守らねばなりません>と言いつのる場面が良かったですね。人生の「苦渋」とは両者のああいう姿をいうのだと思いました。別の場面で忍者初音が信長に、<小領地の真田が生き残ってきたのは、体面を棄て、裏の道(情報)を探り活かしてきたから>と言っていた場面がオーバーラップして、兼続は今の体面よりも、越後を守るという上位のプライドを持てと迫ったのですから、ドラマが重層化して迫りました。

復習
 19世紀のヨーロッパ・プロイセン(後のドイツ)にクラウゼビッツという優秀な参謀(戦争などの企画・スケジュールを立てる役割)がいて、『戦争論』という名著をあらわしました。彼の言ったことはつまり「戦争とは暴力行為であり、バクチであり、それは政治の一面である」ということでした。

 私は御館乱を数回見ていて思ったのですが、戦争には武力抗争と対になって和議があります。だから戦争とは「暴力と和議」であるという考えが浮かび、それが政治なのだと気付いた時、始めて若い頃に読んだクラウゼビッツが心の底にストンと落ちました。そしてまた一昨年の風林火山を思い出し、軍師山本勘助の謀略すなわち情報戦を思い出し、錯綜する政治や戦場では確かな情報などなにもなく、人(政治家、武人)の心などバクチを打つ人と変わりはないとも思いました。つまり情報とは、不確かな情報であっても誤った内容であっても、それを受け取る人の気持ちに変化をもたらし、結局不確かとか誤りとかとは関係なく、現実を変えることに気付いたのです。

 恐ろしいですね()。

 上杉(景勝+兼続、景虎)、北条、武田、……織田・徳川。
 ドラマ最近の「御館の乱」も背景にはこれだけの大物たちの思惑がうごめいているのです。しかし戦術は万華鏡のように色合いを変えても、優れた人ほど戦略は男の一本道です(篤姫の影響)。だから、謙信公の遺訓や、それを嗣いだ景勝・兼続の一種独特な正義感は、戦術レベル(武田との和議)では変化しますが、おそらくより上位の戦略レベル(越後を守る)では、方針(平和)と信義(亡き謙信公への)を貫くのでしょう。そこに今年のドラマの見どころがありそうです。

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