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2009年3月22日 (日)

NHK天地人(12)兵糧と桑取

承前:NHK天地人(11)御館の乱:跡目争い


(中桑取)

 地図で見ると春日山城跡の西へ約5kmに中桑取という地名がありました。調査不足で、ドラマの桑取谷がどこかは分かりませんでした。しかし春日山城の背後にあって食料供給地であるという解説に従えば、一里強の位置からして、このあたりだと想像しておきます。

 この時代の桑取は土豪というか半農半兵と言いましょうか、上杉純粋の家臣団ではなかったようです。越後の山中に住み、半ば独立していたのでしょう。だから、兼続が食料調達のため桑取谷に向かう山中で、出会い助けた老婆は<あそこは、ややこしい村だから、行かぬがよい>と忠告しました。実はその老婆は桑取の長(おさ)の母親トメだったわけです。なにか、日本昔話の、なさけは人のためならず物語のようでした。

 独立心の強い土豪は、国主が代わったからと言ってそのまま新代と主従のちぎりをむすぶわけではなく、自分の目で確かめて、場合によっては与力する立場だったのでしょう。桑取谷は、謙信公でも手こずったほどに言うことを聞かない面もあったのでしょう(笑)。兼続はその長、斎京三郎右衛門(さいきょう・さぶろうえもん)を説得し、兵糧米を無事調達できたのですから、なかなかの実力を見せてくれました。
 もちろん、話し合いに行くのだからと言って刀をトメに預けたその誠意が通じたのですが、それよりも「理」もありました。北条の出である敵方景虎は、北条氏政の軍、および武田勝頼の軍を越後に導き、結局越後は踏みにじられると説いたわけです。どんな場合も占領軍の平和は、自尊心も独立心も損なわれ、当時なら生殺与奪権を他国の者にゆだねる事も意味しました。独立心の強い斎京は、そう言うところも分かったのではないでしょうか。

見どころ1:景勝の母
 景勝の実母仙桃院は、娘婿の景虎がいる「御館」に居ます。同居ですから景虎の情勢は良く解ります。北条(ほうじょう)氏政から、景虎助勢の軍が派遣されると耳にして、仙桃院は景虎の武将・北上(きたじょう)高広に話し込んでいます。<景虎は北条の軍を越後に招き寄せようとしている。越後が滅びる>、つまり景虎は才はあっても全体を見通す国主の器がない、という懸念をもらすわけです。そういう話を、景虎の武将にする情景は一つの見どころでした。
 敵味方と言っても、外には北条や武田が虎視眈々と上杉越後を狙っているわけです。景虎は聡明でしたから、実兄氏政の考えはすぐに分かります。景虎を人質に差し出したのは氏政でしたから、またしても兄は弟の私を裏切ろうとしていると、見抜くわけです。しかし景虎は北条という猛毒を用いてでも、景勝に勝ちたかったわけです。

見どころ2:武田勝頼と高坂(香坂)弾正、そして菊姫
 私は、高坂弾正(こうさか・だんじょう)と耳にすると、すぐに一昨年の風林火山を思い出します。つまり高坂はあの時、軍師山本勘助の薫陶を受けた第一番の高弟だったのです。その勘助が命かけて守った由布姫の遺児が勝頼です。因果はめぐるぅ~ですね。
 北条氏政から<一緒に越後の景虎を助けるために軍を派遣しよう>と誘われそれに乗ろうとした勝頼は、高坂弾正の強烈な諫言を耳にし、激怒します。弾正から<御屋形さま(信玄公)の遺言は、利に走らず無駄な戦はせず、頼るべきは上杉>と言われ、それを守らなかったから<織田・徳川に、長篠の戦いで敗れた!>と面罵されたからです。あまりに当たり前のことだから、余計に勝頼は切れかけたわけです。
 憔悴した高坂弾正は、庭先で弓を射る菊姫に慰められました。<もう、兄上(勝頼)にいろいろ言うのは止めた方が良い。兄上は、所詮父上(信玄公)の器には遠く及ばないのだから。いくら言っても、弾正の忠告は理解されない>と。
 この菊姫は後日、景勝の正室になるようです。なかなかきりっとした雰囲気がよくでておりましたなぁ。

見どころ3:米の威力
 昔からわが日本の兵事は兵站(へいたん:食料とか武器弾薬とか、軍生活を維持する資源及びその確保)に弱いと、たしか司馬遼太郎さんがあちこちで書いておりました。国がせまいせいか、どうしても短期決戦で決着を付けようとするわけです。つまり必要資源の確保が後回しになるのです。一方、北方謙三さんの三国志や水滸伝を読んでいると、北方さんは徹底的に兵站の確保を描写されています。戦う軍よりも、食料や医薬や武器をどんな風にして順調につなげていくかに筆をさいておられました。中国は猛烈に広いですから、一切合切を長い長いバケツリレーのようにして運ばないと、戦う前に餓死する国柄なのでしょう。感覚的には、日本は兵事に80%、兵站に20%程度なのに、昔の中国なんかだと、兵事に40%、兵站に60%という雰囲気ですね(北方作品からの印象)。
 さて。
 今夜のドラマはまさに兵站の弱さを克服する一夜でした。景勝は籠城戦に入っていたわけです。もとより謙信公の住んでいた春日山城ですから、お金も武器も食料も十分あったわけです。しかし、外敵ではなく内戦でしたから、食料(兵糧米)を戦時なみに確保する余裕がなかったわけです。あと半月で尽きるまで追い込まれてしまいました。
 その時、冒頭の桑取谷を兼続が思い出したのです。まさに、謙信公は桑取という「食料貯蔵庫」すなわち兵站も用意していたわけです。
 お米がどれほど貴重なものであったか、今夜の握り飯をほおばる景勝達の姿に良く現れておりました。

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コメント

おはようございます^^
昨夜の兼続の「殿のためなら、この命などいらぬ・・」に感動し、景勝のもとへ、三郎右衛門とともに帰ってきたときは、思わず拍手してしまいました^^
笑顔でおにぎりを食べるシーンは印象的でした。

先生の記事拝見して、見どころ1のところ、よく分かりました。
見どころ2はまだわかりません・・>< 先生、菊姫がお好きなのですね^^ 可愛かったですね

おにぎり。まるいんだなぁ。のりはつけないんだなぁ。とか思いながら・・余韻にひたっていました~
来週も楽しみにしています^^/

来年の竜馬にむけ、いま、竜馬がゆくを読んでいます^^

投稿: yuyu | 2009年3月23日 (月) 08時15分

YuYuさん、コメントありがとう。

 さて、1の方が微妙でややこしいとMuは思いながら書きました。実子景勝の敵になる武将とねんごろに話し合うという点がよかったのです。このころの戦は関係が入り乱れていて、兄弟敵味方もあるわけですから、結局自分の思いと、そして全体像とのかねあいで、戦があるのでしょう。考えてみれば、北条・武田・上杉は全部親戚関係みたいなものですからね。上杉の内部で敵味方と言っても、全部知り合いなんだから(笑)。だから、微妙なシーンだと思いました。

 みどころの2は、これは一昨年の風林火山という背景がないと、分かりにくいし、表面的になりますが、香坂弾正はMuのお気に入りの一人でした。
http://asajihara.air-nifty.com/mu/2007/11/nhk46_248c.html

 ともあれ、来週も楽しみです。

投稿: Mu→YuYu | 2009年3月23日 (月) 12時12分

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受信: 2009年3月29日 (日) 22時10分

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