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2009年3月 4日 (水)

小説葛野記:2009/03/04(水)夢のまた夢なれど、捨てられない物もある

 今日は比較的気持が安定し、やや小ぎれいになった研究室で、涼夏2007PCに向かって「小説葛野記」を書く気分になった。これはよい兆候だ。

1.大学図書館から、図書延滞学生(卒業生)への督促状文案の可否を問うてきた。一読して可と返事した。しかし今更ながら、丁寧さに感心した。つまり、延滞の長短によって、督促内容が微妙に異なるということだ。この四年間、気がつかなかった。不覚なり。わが葛野は、総じて丁寧なところがあると、思った次第。
 なのに余が何事に付けても荒っぽいのは、これは反省を通り過ぎて、気質なり。しかたない()。

2.教授会で見知りの准教授が教授に昇任した。その学科の同僚が業績説明をしていた。ふむふむと余はうなずいていた。やはり、一般に研究者とは艱難辛苦の業績を積む人が多いと思った。
 評決が終わり、入れ替わりにご当人が会議室に来られた。案件はそれで終わったので、帰路挨拶した。「おめでとうございます」と。すると<いや、堕落したようなものです>と、軽口をもらされた。余も破顔した。一般に昨今大学では、教授職につくと、ありとあらゆる委員会や役職が回ってきて、研究教育時間は激減する。
 そういうことなのだ(笑)。

 ああ、余は極楽とんぼというか、なにかしら鵺のような生き方をしておるので、気味悪がってだれも余に無理難題を押しつけてこぬ。よいことじゃ。

3.掃除整理整頓は、順調に進んできた。捨てるべきものの7割を部屋の一隅にまとめるところまで来た。後の三割は、いまだに「捨てるに捨てられない」物がのこっておって躊躇しておる。しかし近頃はすべて「夢のまた夢」「いずれ、全部無用になる」という諦観が強くなり、今回はだいぶ整理整頓が成功した(しそう)ということだ。

 しかしたとえば、倶楽部初代達が卒業時、屯所に残してくれた小さな裁断機はわざわざ研究室に移動した。屯所では切れ味のよい最新の大型裁断機を入手したので、無用になったからだ。「先生、これが無かったから苦労しました。倶楽部屯所で後輩達と使ってください」と、当時の局長達の言葉が耳朶に残っておる。ふむふむ。

 あるいは30代のころ自分で作った、アメリカ議会図書館のLC分類記号を日本のNDC分類記号に、自動変換するプログラムのメモや仕様書も捨てられなかった。捨てて捨ててエッセンスだけ残した、フォルダー一つ分だが、そしてそんなアルゴリズムは二度と再利用しないものと分かってはいるが、捨てられなかった。棺桶にでも入れてもらおうかのう。

 あるいは、……。
 30代のころに作ったゲームソフトや、PC-DBMS/MDB11の仕様書も捨てられなかった。そういうものなんだろう。
 すべては、夢のまた夢、と思いながらも後生大事に抱え込んで、余生を生きていくのじゃ労。
 おお、そういえば今回も、またしても博物館行きPCが研究室の一隅に燦然と輝く位置を得た。名機FM-TOWNSと、SONY-SMC70也。まあ、これを無くしたら余の人生はゼロになるのう。

 というわけで、夕刻になった。副長2009が屯所で編集作業をまだしておる。明日は、機関誌の編集会議や助勤会が早朝からある。みなみな精勤なり。余も、もうすこし部屋を整理整頓しよう。

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コメント

よかったです、安心しました

 昔、Townsについて質問を戴きました。
今月(四季の会 冬春篇)で当時のメンバーに会います。
バッテリーの話でしたか、その他にも問題があったような・・・。

 しかしなんですなあ。
動かないパソコンを(捨てられない)と置いていて下さる。
一緒にやった(四季の会 四騎の会)の面々にも伝えておきます。
(10年前だったら僕が直しに行きますのに)
と、みんなが言い出しそうですね。

投稿: ふうてん | 2009年3月 4日 (水) 20時53分

ふうてんさん
 TOWNS一式は木幡にもありますから、合計2セットあります。
 何年か前に依頼した内容は、起動ドライブの設定を何度やっても、元にもどって、CDからしか起動しないので、考えた末に、電池切れかなと思ったのです。なにかシステムの一時的記録を電池でバックアップしてるんでしょう?

 丸い電池がどっかにあって、融けていたらどないしましょう(爆)
(昔のMacは、この電池寿命が極端に短くてトラブル続出時代もあったんです)

 そうそう、5インチの光ディスクドライブも装填しとるんです、ぶっちぎりのTOWNSでっせぇ~。

 別の問題は忘れました。
 まあね、動かなくてもただの箱じゃなくて、人生に関わるマシンですから(笑)
 あの、80386CPU、たったの2MBのメモリーで、あれこれできた名機なんだから、棄てられませんよね。
(と、TOWNSをあの世まで同行するのは無理だなぁ)

投稿: Mu→ふうてん | 2009年3月 4日 (水) 21時20分

アッそういうことでしたね、今度聴いときます

 確かに当時は電気がなくても生き残るフラッシュメモリなんてなかったですねえ。
記憶はいつまでも残った方がいいのか、ある時期がきたら消えた方がよろしいのか。
でも機械が勝手に人間さまの記憶を消してしまうのは、いけませんなあ。

 葛野と木幡に二台。
あだやおろそかな話ではございませぬねえ。
メーカーにとってお客さまは神さまです。

 こんど関東方面の某F社の連中に逢うたら、よういうときます。
(お客さん大事にせなあかんでえ)
と。 

投稿: ふうてん | 2009年3月 4日 (水) 22時30分

ふうてんさん
 やっぱり電池でしたか。鉄道図書館模型から12Vを引っ張って鰐口グリップで刺したら、うまく行くだろうね(爆)。そうそうPC系は5.5V位でしたかね。コントロールレバーを半分くらいにしたら、頃合いですな。
 おっと、PCは直流ですね。間違ったら大変。

 (お客さん)だなんて。近頃は、PCは手作りだから、Fマシンも遠のいております。
 なにかしら、最近の世界標準というのは、普及してくると空疎感も味わいます。

 OSも日の丸にして、基盤もCPUももっとローカルな国立版とか木幡版とか、シリコンディスクは名工Mu氏の手作り品、メモリーは熊野灘とれとれの一品上物とか。デザイン全体は瘋癲翁監修、アフターサービスは横浜Jo翁一括管理とかね、……。

 コンピュータも自動車も、世界中一緒って、最近面白くないなぁ。痩せておるな。成熟って、こんなもんじゃないでしょう。どこかで、間違っておる。

投稿: Mu→ふうてん | 2009年3月 4日 (水) 22時53分

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