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2009年2月22日 (日)

NHK天地人(08)天下取りの系譜:上杉謙信

承前:NHK天地人(07)母の死(休講)

見どころ
 クノイチ初音が突如直江兼続の後ろに現れて、上杉の勝利に終わった上杉・織田の戦闘を語ったシーンが気に入りました。初音に、古代のカタリベを思い出しました。

天下取りの系譜
 日本歴史の上で、戦国時代から安土桃山時代、江戸時代にかけて、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康の流れがあります。このお三人はいずれも現代の愛知県近辺、Mu流には名古屋県人(笑)に属する方です。岡崎の徳川を名古屋県人とするのは乱暴ですが、離れて住むものには、一緒に見える物です。家康が江戸へ行くまで、大江戸はなかったわけですが、京都・大阪はありました。現代は、新幹線ですと名古屋を中心にして京都へ30分、東京へは90分の位置にあります。やや上方よりに位置するこの尾張・三河の三人は独特の雰囲気を持つ天下取りの流れをつくりました。つまり当時の、上方でもないし後の江戸でもない独自性がありました。その一つは他の文化文明に対するアグレッシブ、攻撃的破壊的な威力を秘めていた所です。出方は家康で分かるように三人とも異なります。

 他方、名古屋から北東にむけて、甲斐の武田信玄、越後の上杉謙信が信長と同時代人でした。しかし、この「天地人」では武田信玄は既に亡くなり、勝頼の代になっています。天下取りの別系列として上杉謙信が織田信長の胸中にはしっかりイメージされていたと思います。謙信は一昨年「風林火山」で分かるように、こと「戦さ」については鬼神でした。連戦連勝と考えてよいわけです。越後の兵がふんばり強くて、おやかた謙信の思考が戦略・戦術コンピュータ以上のものだったのでしょう。今夜も雨をねらって、三千丁の織田軍鉄砲を無効にしました。

さて、今夜
 その謙信が「足利幕府再興」を後継者達に漏らしました。信長からすれば破壊すべき旧世界を、上杉謙信は同時代の明智光秀と似た感覚で「守ろう」とするわけです。信義、愛の属性は「保存継承」にあって、信長流の「革命」には信義や愛が邪魔なものだったと言えます。何しろ第六天魔王ですから。

 世の中を改革するのに、どちらが佳いかは、一概には言えません。ただ、Muは若い頃は織田信長の考え方や方法論を高く評価していましたが、ここ十年は「そんなことせんでも、お迎えは自然にくる。自儘もほどほどに、血圧あがるよ」の感が深いです。要するに、名古屋県人・信長を一種の躁状態と判定しだしたのです。つまり信長のやりようには必然性がなかったと、思っています。逆に上杉謙信が鬱状態だったとは考えておりません。ただ酒量が多かったのでしょう。上杉謙信は、名古屋県人の天下取りとは別の道を歩んだわけです。覇王にはなりたくなかったのでしょう。

 そういうわけで、上杉謙信は信長から見れば守旧派でしょうが、足利幕府再興すなわち旧秩序復旧という点では、信長とも秀吉とも、家康とも異なっていたわけですから、守旧も革命もらち外の世界観と思いました。
 Muは信長、秀吉、家康の居なかったIF世界を時々妄想するのです。すると、謙信がもう少し長命だったなら、別の道があったと思った次第。
 来週、謙信は亡くなります。信義と愛は、家督相続の中でどのように解消されるのでしょう。課題は山積みです。

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