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2009年2月28日 (土)

小説木幡記:2009/02/28(土)沈みこみつつ仕事はかどる

 先週は心身不調だった。今週は心が沈みこんで鬱じゃった。なんの、それが定常の人生よ。
 今朝はその理由を問い返してみた。要するにこの二週間ほど研究室が工事で使えなかったことと、それに便乗して研究室を整理整頓大掃除し始めたからだ。なぜ心が沈んだかというと、整理しても整理しても棄てても棄てても部屋が綺麗にならなかったから。
 それが。
 ようやく今朝も七時すぎから始めて、正午ごろに「おや?」と思い、午後三時には「おお、やっと目途が見えてきた。来週には、あと数日で完璧になる」と、分かってきた。
 それで。
 木幡に帰ってきて、MuBlogを見ると、なんと数日間も記事がない。長い長い暗い重いトンネルからようやく、余ははい出せる気分になってきたのだ。うむ。

 実は昼食後に小一時間、読書した。整理整頓を怠けての読書ではない。何日も長時間掃除をしていると、頭の芯がジーンとなって、身体もぎくしゃくしてくることに気付いたからだ。横臥して本を読めば楽になることを昔から知っていたので、怠けじゃなくて休養だな。

 しかし読んでいる内に、少し腹立たしくなってきた。このMuBlogでは余程のことが無い限り、批判的言辞はさけておるので、穏やかに抽象化してメモしておこう。

1.図書は純粋学術図書
 テーマは狭く限定されておる。同一分野の研究者が数名近所におるので、まず、その人達の研究内容ではないと、断っておく。

2.著者をα(研究者)とする
 αの対象はXという文学者・思想家の過去の業績に関する分析と批判(論難と言った方がよいな)。

3.αのメソッド(方法論)
 は、こうだ。
 Xのテキストを細かく読み、他にA、B、Cと数名の著名な学者の著名な著作をのべつまくなしに引用し、比較検討する。
 そして、そのA,B,Cのフレーズが少しでもそれより後のXの作品に現れると、αは「Xが模倣した」と断じる。
 そしてまた、Xがそれに類することを後年(十年後くらいに)、再考し深めると、「模倣を隠し、そのまま模倣内容を自分の考えとして書き連ねていく」「独自性が全くない」と、こういう論法だ。

4.問題と思った点
 αはついに「模倣」を突き詰めた果てに、XをA,B,Cのエピゴーネン(亜流、祖述者)と断じ終わった。Xの業績は無意味だと言い終わった。

 ところが対象としたXの年令は高校生、大学生から30前後の作品であった。若書きといってよい作品を、亜流と断じ、もっとも成熟した後年の作品を「過去に埋没したものなので、批判に値しない」と終えた。

5.青春と熟成
 どんな場合でも、もし対象が同じテーマならば、青春、夏、秋、冬とみるだけの余裕なく、断じるのはおかしい。まるで、余の20代を根掘り葉掘り掘り起こして、これは誰の考え、これも誰の考え、Muに独自性は全くない。その人生は模倣にすぎぬ無意味、と言いつのるようなものだ。まあ、それでもよいが。

 そしてαは、突然Yを引っ張り出してきて、Yの成熟に比べれば、Xは二流であると断じるにいたって、余は「こいつ、アホか」と密かに罵詈雑言をなげつけた。あはは。というのも、若い頃のYが某国の某思想家達の、横文字を縦にしただけとは、よく言われた事実だからだ。だが、余はYを駄目とは思っていない。後のYこそ、それらが一身に消化され血肉となって、YをYたらしめているのも真実なのだ。

6.嘆きと、安堵感
 まず嘆いた。現代日本の研究者がこの程度の方法で一家をなしていることに唖然とした。
 つぎに安堵感を持った。
 この程度の方法論で一家をなせるなら、余はすでに豪邸を成しておる脳。

7.歴史の話
 突然テーマを変えよう。
 学問を否定、疑似客観性、懐疑の目で眺め、それだけで進むことの危険性だ。
 まず己を疑うこと、これは正しい。ただし疑った上で、検証し実験するのは、対象よりも自らの論に向けるべきだな。自然科学だと分かりやすい。自分のだしたデータをありとあらゆる面から眺めて、検証を重ねる。そこからぽたりと落ちた一滴が大切だ。

 しかし、歴史や文学だと、難しさが二乗する。歴史や人の心は、「分からない」との諦念から出発するのがよろしかろう。わからないものを否定するのは安易にすぎる。αは、自分でわからぬことを、むりやりひとつの「否定物語」にしてしまった。A,B,CもXも多少のズレはあるが同時代人である。似通ってくるのは、当たり前ではないか。片言隻語を如何に大量に引用し比較しても、「どうせ、都合のよいところだけ引用したんでしょう」と、なってしまう。
 若い頃のXは、AやBやCの模倣に過ぎないのだから、意味がない。老成した頃のXは「現代を語らぬ」から無意味、とαは論じ終わった。

 昔(戦後かな)の邪馬台国問題では、というよりも昔から、αのような方法論を使う研究者が多かった。一番分かりやすい事例は、古事記も日本書紀も全部嘘だ、という方法論。まるで、昔の編纂者達は全員作家みたいに思えてくる。邪馬台国も卑弥呼も嘘で、存在していなかったなら、この世はたしかにあっさりする。

 今、奈良県桜井市纒向遺跡が、大規模な調査の対象となっておる。記紀は古代の国家御用達作家達の小説だから、きっと纒向からは何も出ず、無意味でしょう、と昔の歴史家(や考古学者達)は黄泉の国で顔をしかめておるのかな?

8.まとめ
 西郷信綱さんの図書を若い頃に読んで、対象に肉薄することを学んだ。ミイラ取りがミイラになる直前まで対象に耽溺する必要がある、内在的に評価するのが大切だという論だった。現在に生きる余は若い頃のそういう方法論をあらゆる局面で使っておる。となると、余のやることなすこと西郷さんの模倣、エピゴーネンになってしまう脳。
 二階建てトロッコ鉄道図書館も、対象に肉薄するには、自らカッターナイフを持ってスチレンボードを切り刻まねばなかなかモノにはなりませぬ(笑)。

追補
 αもXもYもABCもテーマも、極端に抽象化したので、もはや「モデル」であって、実在の人物や団体とはまったく関係、ありません。小説、木幡記だからなぁ。

 そうそう、小一時間かけてα氏の論をながめて、腹をたてて整理整頓に戻ったら、それから夕方まで研究室がどんどん綺麗になっていったと、さ。

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