小説木幡記:2009/02/23(月)雑記帳
鯛の塩焼き、ワサビ醤油でいただいた。うむ。シジミの赤だし。コンニャク刺身甘味噌かけ。キュウリの漬け物自家製。煮物(小芋、カブラ、いろいろ数種類判別つかず)。仕上げは練乳イチゴ(好きなんだ)。煎茶。
今日、隣の棟の図書館長室を感慨深く眺めた。無くなるわけではないが、エレベータの一般利用者・利用促進のために事務室全体がシフトし、どん詰まりにあった館長室が縮小されるわけだ。夕方訪ねると工事前のビニールが貼られて入れなかった。ところで、余はここしばらく研究室を図書館の或る部屋に移しておる。研究棟がそれぞれの階にしたがって10日間使用不能になるからだ。棟全体の冷暖房工事は相当に大がかりだと知った。工事は先週中頃から始まっているが、別の部屋だとなにかと用品や図書が無く不自由もある。図書館に住まいして、図書がないとはこれ如何に? いやそれがな、文系図書館としては結構いろいろあるのだが、Nゲージのモータを分解するとか、HOゲージ電車の重さとか、GeForceタイプのグラボの起源とか、猫ちゃんの笑い声と猫の気持とか、……。調べようとすると無くてなぁ(笑)。なにしろ研究室には「戦艦大和100の謎」まである。しかし不自由しないのは珈琲に茶、時間になるとメールが来て、ルームサービスはないがそれなりに快適。(艦内飲食禁止)。持つべきものは教え子達なり。
しかし遂に夕方ひと気が無くなった頃、研究室に戻った。一番の大工事は完了したのか、室内ビニールが外されていた。もちろん天井板は外されて、冷暖房機がムキだしじゃったが。たまらず涼夏マシンに手をのばし、そのまま2時間仕事した。これからも、夕方にこっそり戻れば、ピンバイス、ヤスリ技も雑誌の横臥読みも思いのまま出来る脳。
ところで、保田與重郎『芭蕉』を読み出した。薄いものだからすぐに読めるが味わって読むことにした。『萬葉集の精神』に比べると30%ほどの分量じゃ。しかし重みは同じ。さすがに芭蕉は近世文の引用が多いから、家持卿の返り点無し訓みなしの論に比較すると、ほんの少し気がらくになる。
余は日頃、理屈世界に生きておるから時々息が詰まる。意識していないが、マシン系は理屈で成り立っているから無意識に神の手(笑)が動いて作業が進んでも、やはり理屈や経験を総動員しているところがある。そして授業や倶楽部や会議やカリキュラムも、やはり理屈世界なのだ。四六時中その世界にいると失神しそうになる。よってな、芭蕉の句やその解釈を読んでいると、理屈よりさきに、四季とか自然とか心情とかが先にイメージされるから、今読んでいる内は楽なんだ。事前に通読する分にはイメージ先行、屁理屈は夏期まで待ってくれる。猫の春ちゃんを相手にしているときも、理屈はないなぁ。保田先生の文章は、あまり構えずに読むと楽に消化できる。もちろん、論立てするときは四苦八苦、絶息寸前まで行ってしまう。
今が一番よい時期じゃ。桜もあとひと月。春早朝の嵐山、夕暮れの嵯峨野、よろしいなぁ。思い出した。二週間ほど前に、なんのきなしに嵯峨野鳥居元の平野屋の提灯を写真にとって、あたりをRSで走って落柿舎(らくししゃ)の横で停まってペットボトルの茶を飲んだ。暗くて人の姿もなくて、シーンとしてなんとも物寂しい夕暮れだったが。育った地域だから、ものすごく気持が落ち着いてきた。理屈で考えると、寒いし、ガソリンは使うし、お茶を飲むくらい研究室でも飲めるし、何も見えない観光地に行ってなにが嬉しいのか、となる。ただ、そうしたかったからそうした。イメージ先行だな。で、楽になった。
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