小説木幡記:2009/02/14(土)研究計画
今日はというよりも、ここずっといろいろあった。心身に多少の疲労を味わっている。夜間睡眠が自動分割睡眠になっていて、夜間9時~10時に熟睡し、午前2時ころ目覚め、それから約2時間仕事をして、午前4時頃から6時ころまでまた熟睡する。そして葛野に向かう。このリズムはいささか疲労を残すようだ。事の原因は単純であって、要するに例年無いことがいくつも発生しているからに過ぎぬ。
今日も朝からいろいろあった。そのことは後日に落ち着いてからメモを残しておく。
それよりも。
研究計画がおぼろになりかけていたので、しばし考えてみた。MuBlogを公開する以前、もっと昔からのことなので記憶にたよるしかないが。KT2システムによる日本語文章の可視化についてだ。
まず、三島由紀夫『豊饒の海』春の雪、奔馬、暁の寺、天人五衰。この四作を21世紀初頭に分析し終えた。しかしなお深く余が到達していぬ所も澱になって残っておるので、再考してみたい。物語の重層性をありのままに可視化する方法を考えてみたい。登場人物の動きに象徴的な用語がどのようにまとわりついていくのか、それが巻毎にどのような位相を見せていくのか、そういうパターンを表現してみたい。
保田與重郎については、なしたことをまとめきっていない感が残る。たとえば『日本の文学史』と『日本の美術史』とがあって、それぞれを固有に分析したが、なお統合について力も意も注いでいない。それぞれに疲労困憊した記憶が残る。これをまとめ上げる必要がある。
『日本の文学史』 20世紀終盤
・『豊饒の海』 2001~2004年
『日本浪曼派の時代』 2005年
『萬葉集の精神』 2006年
『現代畸人傳』 2007年
『日本の美術史』 2008年
{芭蕉} 平成21年夏
{後鳥羽院} 平成22年夏
{戴冠詩人の御一人者} 平成23年夏
{日本の橋} 平成24年夏
<まとめ> 平成25年
余は最終に「日本の橋」を置くのがよいと思った。これはスタイルであって、永劫回帰を心中希求しておると、我が身を眺めることができる。
課題1:『現代畸人傳』で顕著となったが、随想風の文体における著者の連想を追尾するシステムが未完。これなくして再考しても、この著作は余に新たな成果をもたらさぬ。
課題2:長編評論は平成21年夏の『芭蕉』で終える。問題は、その後の最も著名な評論集三作の扱いである。時系列にたよった分析ではうまく行かぬだろう。これは難問といえる。
ということでメモは残した。数年後の、今の余とは別人である未来の余がこのメモをどう解釈し研究に活かすのか、先のことは分からぬ。
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