小説葛野記:2009/02/03(火)DD51(TOMIX) 快走の雄叫び
昨日は気持ちが定まらぬママ午後7時前に葛野を退出した。結局12時間滞在したことになる。木幡でKATO客車の室内灯は正常に点灯したが、今朝起床4時、最初の考えは「DE10はギヤセット交換だな、しばらく諦めよう。しかしDD51はうんともすんとも言わぬ、治す!」だった。昨日は採点の山場を越えたので今朝は少しく人並みの出勤とおもっておったが、矢も楯もたまらず、やむにやまれず、またまた午前7時出勤となった。葛野は警備の人しかいなかった。
要するにわが嵯峨野鉄道図書館、全領域図書館は、事実はEH500やED79-100という電気機関車が主要動力車なのだが、それはどだい無理なことなのだ。深山幽谷や島にはなばなしく架線を張って電気機関車が走るのは、よほどへりくつをかんがえないと、一笑に付される(笑)。少なくとも2階建てトロッコ図書館列車を公開するには、古風なディーゼルないし、スチームでないと格好がつかない。(事実は、邪馬台国周遊図書館ジオラマを、2階建てMax新幹線が走っておるが)
そこで。今朝木幡で余も考えた。静粛走行TOMIXのDD51は単純に集電不良にすぎぬ。なんとしても治す、とな。
前口上はこれくらいにして、結果は見事、たった5分、珈琲飲みながら修理完了。かえって写真をMuBlogにセットしたり、駄文を書く時間が長くなった。一発修理5分、雄叫び30秒、駄文に1時間。これが現実なのだ。
写真を見れば分かるように、台車の頂上にそれぞれ2箇所ずつ銀色に光るところがある。これは集電シューの先端にハンダを付けた所である。勿論、このあとで台車をボディにはめ込むときは、このハンダ山の頂上をニッパーで切りそろえ、ボディの集電板(注:先頭写真の左右の丸い凹みの奥に集電板がある)に手頃に密着するようにしたわけだが。
原因は、集電シューではなくて、集電板にあった。なんらかの事情で集電板が凹んでしまって、台車の集電シューと密着しなかったわけだ。それ故に、最初はカックンカックンとなって、台車を強く押し込むたびに集電板が凹んで、ますます通電しなくなった。
最初は、集電板を外して曲げるつもりで先頭写真のように分解しだしたのだが、実はこのダイキャスト製のボディの組み立ては精密なので、力のいれ具合や引っかけのポイントを熟知していないと、壊れる。組み立て直しも素人の余だと数時間かかる。だから、それは止めて、台車側から攻めたわけじゃ。
うははは。
実に、実にスムーズに静かに力強く走るではないか!
まあ当たり前だ。Nゲージは電気で動いておる。そこが不都合だと、登る坂も脱線する。
これで、修理センターの手間を省いてあげた。しかし、ここまでいじりまわしてくると愛着がわいて、今後このDD51が余の手から他の本職技術者に渡ることはないじゃろう。
というわけで、さて今日はこれまたえんえんと新図書館法にのっとった新たな科目内容の説明文書に身命をけずる日々が続く。しばらくは、瞬間5分修理もできぬじゃろう(ホントかな?)。
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コメント
電気はどこから?
この記事を拝見して、ハテ、電動式列車で、電気はどのように供給するのだろう?と初歩的な疑問が湧きました。
普段乗っている電車には屋根に(パンタグラフ)と呼ばれるものがあって、それが上の電線に接して、車輪の接するレールからと相まって電気を流して、電力を供給されているのではなかったかしら?
待てよ、普段乗っている(南武線)にはそんな電線みたいなのあったかなあ?
一番前当たりの車両に(パンタグラフ)みたいなのあったかなあ?
ないような気もするなあ。
そういえば、ガキが子供のころうちで走らせていた列車は、線路だけで走っていたなあ。
ジオラマの電車の電源は直流なんやろか?
JRや私鉄の、在来線の電源は交流なんやろか?
新幹線はどないなんやろか。
少なくとも新幹線にはパンタグラフやら架線(電線)やらが上の方にあるような気がするよなあ。
分からなくなりました。
投稿: ふうてん | 2009年2月 4日 (水) 00時18分
ふうてんさん
たしかご専門は、工学部・電気系じゃなかったですか? 戦後の旧帝大ではNゲージ鉄道模型が直流か交流か、教えないのですねぇ。こまったことです(笑)。
お答えしましょう
今の、電気で走る鉄道模型は直流の12Vが主流のようです。供給は左右二本のレールからです。車輪の車軸は非金属で絶縁してあります。左右の車輪軸受け付近にシューと呼ばれる金属薄片が載っていて、そこからボディの中にあるモーターまで通電しています。(接触通電だから、不安定とも言えますね)
動かなくなるのは大抵、この経路で通電不良が発生しているからです。だから、車輪全体から集電している事例が殆どです。2軸あれば二カ所から、8軸あれば8カ所から集電するわけです。
レールも車輪もスパーク、火花が散って汚れ皮膜が張り付いて、通電しなくなるので、掃除ばかりしています。
まれにHOゲージとかGゲージとか大きな模型では架線を張って本物と同じ形式にする人がいます。小さなNゲージですら凝った人はそうするようです。要するにパンタグラフからスパークが見えるのがたまらない世界なのでしょう。(Muは二階建て図書館列車が走るのがたまらないわけです。いろいろあります)
さて。実車のことは良く分かりません。ただし、蒸気機関車以外で、パンタグラフとかポールのない列車は、ディーゼル機関車というか、ディーゼル気動車、要するに動力が非電機系のようです。まれにディーゼルエンジンで自家発電しながら、電気モーターを回す形式もあるようです。地下鉄専用の電車は、集電装置がどうなっているのかよく知りません。
交流と直流の是々非々も実車では話題になりますね。Muは無知です。交流の方が設備費がかかる分、強力で運行がスムーズだけど、なにかしら電波障害か電磁波障害を付近に生じさせるようです(?)。
MuBlogで時々話題にするEH500(愛称、金太郎)は、実車が交直両用で走る電気機関車です。つまり、路線によって変化するのでしょうね。
Nゲージ歴2年のMuはこれくらいしか分かりません。
(Muが小学校の頃さわったOゲージは、交流の模型だったです。集電はレールが3本あって、車体の真ん中
から集電シューが飛び出していました)
投稿: Mu→ふうてんさん | 2009年2月 4日 (水) 05時51分
おおきに
そうですか、左右の車輪から電気を供給されている、と。
それではいろいろと不具合が生じることも分かりますね。
なかなか、シンプルでプリミティブで愉快な電力供給方法ですね。
当方は、考えてみれば電気工学科出身でした。
電気にも強電とか弱電とかありましたが当方が通った研究室のせんせ~は、ひょっとしたら文学部のお人が紛れ込んでいた、ような気配もありましたです。
そやし、コンピュータで言葉をいじるとか、そんなことをね。
あれ、強電やろか弱電やろか、どっちゃでもないんやろか。
随分たって情報工学科ちゅうような話も聴きましたがあれは電気工学とちゃうんでしょうなあ。
情報は工学やおまへん、アートの世界でおます。
金融工学ちゅうのんがノーベル賞もらわはったけど、やっぱ工学やおまへんどしたなあ。
お金ちゅうのも情報の一つで、やっぱしアートどす。
アートは人間さまの都合でどうとでもなりますわなあ。
人間の都合だけではどないもならんのを扱うのが工学の世界とちゃいますやろか。
そういう意味ではコンピータなんてのは工学でもないアートでもない、中間かも知れませぬね。
ジオラマの鉄道模型もなかなか奥が深いんや、いうことよう分かりました。
投稿: ふうてん | 2009年2月 4日 (水) 13時24分
ふうてんさん
アートと工学とは対置できるわけですね。
わかりやすいです。
工業デザイン、産業デザインはアートですな。
……
それよりも。
模型は、現実と空想の間に位置しますから、アートだと思います。
子どもは大人のミニュチュアではないのと同じく、模型は現実のミニュチュアではなくて、独立自存していますね。
模型の場合は限りなく現実を縮小化し再現する方向があります。逆に模型である故に、この世に無い現実を作ることができます。後者では、作られた模型が現実を意味しています。となると模型ではなく、創造物ですね。
高さ15センチの精密精巧なロボットを作って、これに最新の人工知能があって、会話外国語自動翻訳を自由にしてくれるなら、これはロボットの模型じゃなくて、新たに作られた創造物ですね。
私は嵯峨野鉄道図書館ジオラマを作って、人には「模型です」と言っていますが、そのような景観は後先無く葛野研の当該ジオラマ以外、世界にないのですから、これは模型じゃなくて、創造物ですね。
だから本当は、世界に冠たる二階建てトロッコ図書館列車を作れば、これは鉄道模型じゃなくて、正真正銘の創造物です。ただし、Nゲージのその列車に人が乗れない点で、やれ「おもちゃ」これ「下手な模型」と言われることでしょう。あはは。
と、ふうてんさんのコメントを読んで夢想していました。
追伸
日々、お元気でしょうね(笑)
投稿: Mu→ふうてん | 2009年2月 4日 (水) 20時10分