小説木幡記:2009/02/02(月)DE10やDD51の修理に明け暮れる
鴨ロースの鉄板焼き。なすび、しいたけ、おくら(?)など、じゅうじゅう。豆腐の味噌汁。ホタルイカ、うどの酢味噌和えを添えて。キャベツの漬け物。デザートは林檎。
正常業務
極早朝から葛野に出向き、早朝勤行、採点事務開始。八時半に卒業生来室面談30分。採点事務継続。昼食と休憩30分。以後、五時半まで継続。さすがに脳がきりきりしてきた。
五時半から男
夕方からTOMIXのディーゼルタイプ動力車を修理しだした。二台が要修理でDE10とDD51である。両者ともに台車の集電部分がおかしくて、完全に停止したり、つっかえたりしてきたが、DD51は動かなくなった。で、DE10は走行停止と脱線が重なったので、3軸台車のダミー車軸をカットすることにした。
初夏の講演会(未来の鉄道図書館列車)では、このDE10を主力車種(MuBlogでは愛宕DE10ディーゼル機関車として、愛宕号を牽引している)にするつもりだから、躊躇はならぬ。スタティックな精密モデル志向ではなくて、なにがなんでも急坂急カーブの嵯峨野鉄道図書館ジオラマを走りきらないと、話にならん。台車の一つや二つ、走らせるためには躊躇なくカットする。(設計・製作者には申し訳ない)
DE10の3軸台車カット
DE10は小柄なわりに片側の台車が3軸(6輪)のせいかよく脱線する(半径14センチカーブ)。せいぜい90分の作業と見て、始めた。極早朝から夕方までの9時間採点に比べると脳の血流が変わったせいか、最初は快調だった(笑)。しかし30分経過したときに、案の定ギヤ(直径2mm程度)を飛ばしてしまった。捜索に10分(実は手元の紙の下に埋もれていた)。さて、セットしょうと思ったら、カット位置がずれたせいかギヤのカバーが止まらない。仕方なくハンダごてで溶接した(注:通常使用ではない。単にプラスチックを溶かして固まらせただけ)。以前、そこに瞬間接着剤をちょっとだけよの気分で流したら、車軸が固まってしまったので、今回はハンダごてを使った。
快調。いざ試運転。
轟音を立てるDE10
集電部分も磨いたせいか走り出した。ところが。壮絶な騒音。ギヤのかみ合わせが悪いのだろう。タブーを破って油を流し込んだ(グリスとか油は後日にレールや車輪が真っ黒けになって、集電不可となり、磨かない限りまた停止する)。しばらくして落ち着いた音になったが、リバースに入れると、また止まった(悲)。しかたなく、部屋を出て帰還した。どっかで手打ちしないと深夜になる。また今度物語なのだ。DE10が正常走行しなくても、まだ時間はある。今夕は当然だが、DD51の方は触ることもなかった。またまた今度物語。
木幡客車の停電
木幡帰還後、今度はKATOの客車ナロネ21タイプの室内灯が消えていた。KATOの室内灯は以前6燈セットを1600円程度で入手していたので、余っていたランプを取り替えた。これが麦球? かなと考えながら完全に再セットしたつもりだったが、点灯しない。客車のボディーを外して触っているうちに内部の長い集電板がずり落ちてきた。完全に分解してよく見ると、要するに台車集電シューと集電板とが接続できない状態になっていた。長い集電板に少し曲げをいれて再セットした。以前のランプを付けたら、点灯した!
電装男
ということで、本日の修理要点は電装部分につきた。よく考えてみるとNゲージは12Vの直流で走っておるわけだ。余の20代は自動車(パブリカSRと、シビックRS)の電装をこてこてにさわりまくっていた。だから、Nゲージもジオラマ照明もその当時の気分を思い出せば、今後も無料修理出来る事じゃ老(笑)。苦労は若い頃にしとくもんじゃ。
さて、明日からまた終日校務が連続する。夕方になっても心身回復せぬ予感。
DD51はしばらく運行停止。ふむ。
| 固定リンク
「小説木幡記」カテゴリの記事
- 小説木幡記:楠木正成のこと(2013.06.07)
- 小説木幡記:腰痛と信長(2013.05.28)
この記事へのコメントは終了しました。
コメント