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2009年1月25日 (日)

チーム・バチスタの栄光/海堂尊(宝島社文庫 上下)の終盤の扱い

 面白く痛快に読めた。
 2005年の第4回『このミステリーがすごい!』大賞受賞作で、2008年には映画化された(未見)。2009年1月下旬に京都の書店でも、海堂尊(かいどう・たける)の本が山積みされていた。昨夜も宴席で卒業生に「近頃、何をお読みですか」と問われ、チーム・バチスタとか~、ガリレオ(東野圭吾)と言った途端に強い反応があった。時間の余裕がないくらい仕事に追われていても、バチスタとかガリレオは読んでいるようだ。それだけ、世の中に知られている図書だと知った。残念ながら、米流ドラマ・Lostについては、「?」と素っ気ない返事が返ってきた(snail)。Lostのエバンジェリスト(福音伝道者)として自覚が無かったせいか、「ほぉ、ご存じない、と」で終わった。話はまた元に戻った。しかし聞き間違いかもしれないが、バチスタは映画とTVドラマで犯人が違うとか、そういうことも耳にした。ともかく発表されて五年近くなるのに、バチスタは良く読まれていると知った。

 物語は、有名大学病院で「バチスタ」という心臓手術の術式を天才的にこなす外科医の執刀の元、何名かの術死があり、ミスか事故か犯罪かで関係者が密かに悩んでいた。病院長は田口講師に白羽の矢を立て、調査を命じる。調査の途中でトンでもなく異様な白鳥技官が厚生労働省から派遣され、病院中をかき回す。田口は自称落ちこぼれの万年講師だが、患者の愚痴を日がな聞くだけの愚痴外来の責任者らしく、調査は相手の言い分を聞く受動的(パッシブ)な手法をとった。白鳥は、田口の方法は前段階で、これからは喧嘩を売って回る(アクティブ)と言って田口を辟易(へきえき)させた。しかし「殺人」という意見の一致点で、田口は白鳥の突出性を知らぬ間に受容していた。

Batisuta 世評も高く、私の読後感も秀の結果だったので、いまさらここで褒めちぎってもしかたがない。今日は珍しくあら探しというか、ケチをつけたい気分になったので、読後しばらく考え込んでいた。~しかし、どうにもケチのつけようがない。もう一歩褒めちぎって、じっくりケチをつけようと算段したが、最後に解説(茶木則雄)があったので、そこからケチの種を探してみた。あった。大賞を受賞したときに、選考委員が全員そろってオマージュを捧げたらしい。それに一々ケチを付けたらどうだろう、と考えた(fish)。

 こんな誉め言葉があったそうな。「読みやすくて、娯楽性が高い」と。
  読みやすさから生じる欠点は皮相に走り読者に考えさせる機会を減少させる。だから娯楽性に通じるのだが、青少年が読みやすい物ばかり求めて、それに対応するのは、欲しがるからと言って甘いケーキや酒を与え続けて脳を破壊するような所行である。読みやすくて娯楽性が高い物の将来は、現代の末期的お笑いTV番組に通じる。文藝が衰退し、よくない。

 こんな言葉もあったよし。「キャラ(クター)が座り込んでいないし、ジェットコースター的展開がすごい」と。
 キャラとは現代用語では登場人物の個性のようなものを指し、それが座っていなくて「立つ」というのは、人物の姿形が鮮明でコントラストが効いて激しい印象を読者に与える場合、そう言うらしい。これはうまくいくと永遠の人物造形を味わえるが、欠点は飽きが来たときに強烈な個性ほどうるさくて、じゃまくさく、小説を読む楽しみを疎外する。小説の構成要素はキャラだけではなくて、自然や組織や何にしろ背景も大切だ。私は皆が褒めちぎる厚生労働省技官白鳥が、終盤でじゃまくさくなった。白鳥に今後は水戸黄門の印籠じみた味わいが生まれることを期待する。
 ジェットコースター的な展開については、全体の2/3で上り詰め犯人が分かり、後の始末に苦労した形跡があるから、評価はまとを外している。それに、海外翻訳物の通弊で、見開き1ページ単位で急制動急加速急カーブを繰り返す作品は読んでいて馬鹿馬鹿しくなる危険性も多い。逆に和製バチスタにはそれが無かったので、ジェットコースター的展開は当たらない。

 どうだろう、MuBlogには珍しく難癖を付けたつもりだが。
 要するに私は馬鹿馬鹿しいことに付き合えない質なので(taurus)、世間が単純に読みやすい、楽しい娯楽(エンタメ)だ、とかいう評判に忌ま忌ましさを感じていると言いたいのだ。かといって、分けの分からない空疎な芸術文藝作品が良いとも思っていない。私の評価はそこに「世界」があるかどうかにつきる。世界に妥当なキャラがあればよし。なければつまらなく思う。『チーム・バチスタの栄光』世界は、田口医師の愚痴外来、つまり不定愁訴外来の存在が世界を作り上げたとなる。(だが、この件は後の読書の折りに展開しよう。今は先を急ぐ)

 実は犯人が判明する前に、作品は頂上に立ってしまった。それが2/3で展開が終わったという意味である。その後で別の人物が犯人となるから、二つこぶのラクダのような作品だ。二つのコブが相互にどう作用したかと問われれば、一つ目の登頂で作品が終わっても凡作にはなっていなかったと言いたい。その段階で上りつめた二人のどちらかを犯人に仕立て上げる方法もあったはずだ。第三の犯人を仕立て上げるのに作者海堂は、医学専門知識を動員した。その結構はよかったし、納得もいった。だがそのことで、ある種感動をもたらす第一の登頂が無駄に思えてきた。作者の作者による「やらせ」という感が残ってしまった。小説とか映画とかは、ページ数や時間配分が読者観客に分かるから、峰が連なる場合その配分が難しいと思った。つまり本作の場合、一つ目のコブが秀逸だからこそ、二つ目のコブにドラマツルギーが失われ、白々しくなったとも言える。

 ただしかし、私は犯人が分かった後も延々と続くページを愛おしみながら読みふけった。前半がジェットコースターで終盤もそうなら、読後すぐに内容を忘れそして作者の名前も忘れ、MuBlogに感想を書くこともなかったことだろう。海堂はじっくりと、二つの山を登った後で麓の温泉を用意して、そこで一風呂浴びる余裕を読者に提供してくれた。
 やはりこの『チーム・バチスタの栄光』は秀作だと評価できる。

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