小説木幡記:2009/01/24(土)倶楽部の初代・ご隠居たち
昨日金曜は、木幡記を休載した。
葛野に朝から出向いて書類作り他に専念し、午後遅くには疲労が極まった。余が木幡に帰還したとたんに江戸から荷物が届いたので回復した。夕食は極上質の肉ですき焼きをいただき、シャンペンを空けたのは覚えておるが、あとは朧ぉ。
今朝土曜はまだ覚えておる。
早朝から覚悟してLostシーズンⅢ、DVD7~8巻を観た。ますます謎が謎を呼び、もう手に負えない謎謎世界である。最初は気にくわなかった島の女(不妊症研究者)が、最近その佳さがわかってきた。島のベン(ベンジャミン)の人心操作、力の源は一体何なのだろう。
そのあと、島図書館を改修し、眠り、午後からは「チーム・バチスタの栄光」下を2/3まで読んだ。時間が来たので、京阪に乗って祇園四条下車、高島屋の真向かいの書店に入って、近頃の出版状況を眺めた。
時刻になったので、心霊ゾーン「世界地図前」に行くと、二人がいた。3人目はタクシーに乗って会社を出たところだった。寒いので幹事について懇親会場に向かった。先斗町四条上がる西側に店があった。
「京町屋豆富料理 先斗町 平林」
席について余は、以前酒に懲りたので(笑)、梅酒のソーダで茶を濁した(こういう日本語はよいのじゃろうか?)。閑談するまもなく、リエリエ副長2002が到着し、コースが始まった。カホル局長2002がてきぱきと料理を指示し座をまとめていった。ミッカー二番隊長2002と余とは、借りてきた猫のように静かにしていた。なんだか5年たっても当時と雰囲気が少しも違わないことに気付き、しかし居心地が当時の何倍もよくなっていることにも愕然となった。心理的に余が面倒をみる立場ではなく、逆転しておったぁ。
たとえば携帯カメラ。うろうろしていると副長がさっと余の携帯をとって、しゃかしゃかと調整しだした。余は携帯カメラがいまだにうまく使えない。梅酒が減ってくると、局長がさささっと水や茶を注文してくれた。話が途切れて「ところで~」と言ったとたんに、超絶無口で通っていた二番隊長が、
「せんせ、また新しい試みをしました」
「うん?」
「なんだと思いますか」
「さて~ぇ」
「保育士の資格をとったんですよ」
余も皆もこれには驚いた。もともと情報処理関係の資格を1ダースほど取っている人だったが、「ほ、保育士!」と目点になってしまった。将来が楽しみだ。倶楽部ご隠居・御用達保育所とかな。
口当たりの良い料理だった。土曜の夜の先斗町は華やいでいた。焼肉や洋風もよいが、時々はこういう華やかな街で、あっさりすっきりした豆腐料理を口にするのもよいものだ。副長は「豆乳」フェッチというかフリークというかマニアらしい。会社の冷蔵庫には山のような豆乳とケーキを保管していると聞いて、皆で爆笑した。
席を変えて、南にさがってフランソワに行くか、北に上がって「林や」に行くかをきいてみると、みんなぜんざいや抹茶好きなのか、和風「林や」に決まった。席を立つ間もなく局長が支払いを済ませてくれた。
途中、皆で二番隊長に「今度は、鍼灸師はどうでしょう」と、言った。余もご隠居たちも社会では細かい作業や思案が多いから、肩に来るようだ。局長の話では、時に鎮痛剤をのまないと、腫れ上がって動けなくなることもあるようだ。ミッカー君が鍼灸師チャングムになって、倶楽部ご隠居達や余の肩をほぐしてくれたなら、葛野に銅像が建つかも知れない。
穏やかな時間が流れた。いまでもしっかり、送付された機関誌「Truth」を隅々まで読んでいると聞いて感動した。
仕事のこと、将来のこと、まだまだ若いご隠居たちには停止がない。ぽつぽつと語る話に相づちを打ちながら、余も青年時の「不透明な将来」を思い出していた。今度出会う頃には、何人かが一つの選択をしていることだろう。楽しみじゃが、それからの人生がまたまた長い脳ぉ~。
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