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2009年1月10日 (土)

小説葛野記:2009/01/10(土)仕事まっさかり

 土曜日だというのに葛野にでてきて、細かな教務に専念した。
 今、夕方だが、先ほどようやく2008年度の成績管理・仕込みが完了した。あとは、後期個人レポートの採点結果を今月末か2月上旬に入れるだけとなった。

 成績は、多次元評価をずっとしているので、あらゆる要素があって、それを間違いなく評価システム(自家製じゃ!)に組み込む必要がある。昨年4月からの記録を全部照合して、大がかりな事になるで脳。ときどき、そんな手間暇かけずに、一発で決めたいと思うが、結局、多次元評価の結果は、なかなかにおもしろくて、止められない。

 評価もアートなんですなぁ~。
 余の好き嫌いを限界まで捨てて、結局は本人自身の内在的評価を導くように、しておる。本人たちは気づかない。気づかない方が幸せかもしれんが。

要点
 1.手間暇をかけることに意味がある。あだやおろそかに、否とか優とか付けているわけじゃない。優だなんて、顔を一目見れば分かる。それが職業・プロというもんや。しかし、それを一年かけて実証する必要がある。優はまさしく優の経過を踏み、否はたとえようもなく、金輪際「否」である。
 大きく、個人の能力と、集団内での能力とを、併せて評価する。

 2.多次元評価の要素に、班(共同演習)活動時期には、3つの重み付けがある。
 2.1 責任者には補助点を付ける。いわゆる役職ボーナス。
  学生故に成果そのものではなく、半期中の責任者である重責に付加する。
  現実世界は成果主義一色だ。しかし余は、「努力」という評価をする。
  なぜか。努力なんてしてもしなくても優は優、否は否が現実だというのに。
  そこに「教育」がある。
  努力という能力は、才能でもあるが、一般に努力は認められない。
  失敗すれば、一挙に左遷、降格、リストラが現実である。
  しかし、世間で認められなくても、努力する鍛錬を若いうちにする必要がある。

 2.2 個人技能には補助点を付ける。
  班内で認められた者には、班の申請によって、付加する。
  プロジェクト達成にあって、個人の技能は意味を持つ。
  班全体の成果の結果にかかわらず、優れた個人の働きに班員達が感動したり、
  成果を認めたときに発生する。

 2.3 班除籍を認める。
  多くは語らない。
  ただ、共同であるかぎり、共同社会の掟がある。
  掟を破るか守るかは成員の自由裁量である。
  掟をつくるのは、各班によって異なる。
  成員が除籍と認めたなら、その期間の評価は、成果主義による評価の最下位以下の点をつける。

 というわけで、ほぼ仕込みは終わった。
 評価とは、個人の技能と、共同体内での技能、この二つを足して割ったところに導かれる。図書館司書は天才でも秀才でもなくてよい。まめまめしく、持続的にルーチンをこなし、時に天啓のひらめきをもって、事に対処すればよい(笑)。  

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