小説葛野記:2009/01/05(月)突然授業のこのごろ
全国的に仕事納めは28日、仕事始めは4日と頭にこびりついていたが、昨年は28が日曜で公的機関の多くは26(金)が仕舞いだったのだろう。そして昨日1月4日は日曜だから、わが葛野では今日から即日授業が始まる。忙しないことよのう(笑)
というわけで、余は昨日日曜に葛野にでてきて終日準備に追われた。今日月曜の準備ではなく、期末の始末を今から始めておかないと、本当に1月や2月が地獄の日々になるからだ。と、たった一日で何ができるかと、そういう量的問題じゃなくて、思案しているくらいなら手や身体を動かす方がよいという経験則によったものだ。
例えば4月からの授業シラバス(授業内容)とか、出欠管理システムのシステム外のデータ調整(学生カードを忘れて、欠席になる受講生が多い)とか、4科目の共同演習順位と個々受講生の付加点や免責や、もろもろ微調整をしておるので、今に仕込んでおかないと困る脳。昔風の旧帝大・大教授だと「Mu先生、大学で出席なんかとっておるんですかぁ~」と、微苦笑されそうじゃが、これはこれで深い洞察にもとずいた理由がある。別にぃ、文科省の大学管理がキツイからとか、最近流行りのアチャラ思想FD(内容はようわからぬが)とかなんとか、そういうもんでもない。余は今を去るうん十年前に葛野に着任していらいずっと、厳密厳格な出欠管理をしておる。
(なぜか、の理由はあるが、正月早々大演説をしてもしかたないので、止めておく。ところでMuは若い頃、大学クラブボックスには日参したが、教室とかは分からなかったし、教授の顔も名前も知らないまま卒業した、不良学生!)
……。
現在、そういった日々ルーチンをこなしていく余の姿は、ばかげても見えるし、あるいは「生とはそういうものである」とも言える。両方正しい認識なんじゃろう。日々ルーチンをこなすのも人間に備わった能力と考えられるなら、余は神仏からさずかった能力を日々執行しているという、快感に満ちあふれておる。その能力なくば、もっと天才的になれたかもしれない可能性と、かつかつ日々ルーチンをこなすしか無かった、のかは余にもわからぬ。
人は快感を求める。余の快感とは、日常ルーチン執行なのかもしれぬ。よって、余は正月早々しかしか、しこしこと、授業管理や校務専心するのが楽しいのである。こうして、余は日々機嫌のよい顔をして、授業にで、同僚たちににこにこしておるから、ときどき「Mu先生は、よほど楽をしているに違いない」と、あらぬ疑いをかけられて、むっとすることもある。
さあ、今年もがんばりましょう。皆の衆。
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