小説木幡記:2008/12/31(水)大晦日平成20年(2008)
こうして2008年の12月31日が、ゆるゆると過ぎていきます。木幡研にはマタリン翁の遺影と金魚君がいるだけで、無人です。ぼんやりしています。至福の時間です。
電話もない、手紙もない、メールも来ない。来客など十年来ない、この静謐な木幡研にも、大晦日は訪れるわけです。年越しの神に「ありがとう」と、語りかけながら、今年最後の「小説木幡記」を記しておきましょう。
1.日曜作家 浅茅原竹毘古はいずこに~
今年(2008)の三月に、定稿『化石の村』を発表して以来、不調でした。筆がすすみませんでした。この十ヶ月かけて新作未公開の『湖底宮』を、原稿用紙でやっと150枚書いた程度でした。別サイトの「小説工房」は閑古鳥が鳴いておりました。平日作家なら、おそらく首をくくる羽目になっていたことでしょう。まだ、毎日美味しい物をたべて、よく眠られるのは、日曜作家だからこその幸せと、痛感しました。
まだまだ気力はあるので、書けない理由は文学的には明確ではないのですが、他の要素が入り込んできて、そちらに全身全霊が向いてしまったと、言えるでしょう(笑)。人は、文学・小説だけで生きているわけではないと、この年令になって気がついたわけです。物分かりの悪い相当なオクテだったと、自覚しました。
しかし、第四作『湖底宮』はやがて書き起こされるでしょうし、探偵司書小泉佐保シリーズ最終巻「嵯峨野篇」や、別系列の「三輪山幻視」が待っていますので、読者の皆様、ゆるゆるとお待ち下さい。
2.二階建て図書館列車考:鉄道図書館ジオラマ
こちらはものすごく充実した1年を過ごせました。みずからを「叩きモデラー」と定めたとたんに、解放感につつまれて、日々どんどん作品がしあがって行ったのです。ただし、ジオラマ(レイアウト)の本質的な特性によりすべて普請中なので、読者に「どうだい、すごい完成度だろう。うふふ」と、言えないのも事実ですが。
いま問題を味わっているのは、「未来の図書館」として、Nゲージ・ジオラマの中で、作成した世界がその対象(オブジェクト)自身のこととして、「わたしは、書庫のある二階建て図書館列車です」とか、「わたしは、図書館列車の中央基地としての、図書館本館です」と、語りかけてこないことです。
レール幅9mmの極小精密モデルを、技術なく根気ない状態で創作・改造するのは無理だとあきらめています。これを解消する一つの方法は、厖大なMuBlog記事を書き、教室にモデルを運び込み、授業で「未来の図書館列車なのだ!」と話し込むか、大学オープンキャンパスで、もっと充実した「図書館列車運行」を計るしかないようです。
嵯峨野鉄道図書館ジオラマ
○邪馬台国周遊図書館(カテゴリー)
最近影も形も見えませんが、すでに邪馬台国三輪山基盤上で列車は走っています。
○N2高台の図書館(カテゴリー)
○N4島図書館トロッコ列車(カテゴリー)
3.風雪梅安一家
今年は、Joさんと随分あちこち出掛けた記憶があります。蚕ノ社とか蛇塚。恭仁宮と紫香楽宮。高島市の継体天皇故地とか。肝心のふうてんさんこと「梅安」さんが、いっかな関西に出向いてきません。来年こそは、三人そろい組で、吉野や和歌山に出歩きたいです。
木嶋神社の三柱鳥居:魔界巡礼秦氏の謎
私の京都:蛇塚古墳:魔界巡礼秦氏の謎
恭仁京と紫香楽宮 (0)はじめに
白髭神社と鴨稲荷山古墳:近江の継体天皇 (0)はじめに
4.葛野図書倶楽部2001
今年も充実した一年間でした。
1月には第八代局長2008が生まれ、同下旬には新任幹部4名と終日の会議を持ち、2007年度の「共同演習」の栄光と悲惨さを、徹底的に語ってもらいました。演習は3~4ヶ月かかる長丁場で、見知らぬ学生5~6名のプロジェクトとして、そりゃ、端からみている顧問でさえ、涙無しにはかたれないほどの苦痛の日々なのです。それを乗り切った幹部達は、よい記録を残してくれました。結果は経理局長2008が鋭い筆のノリでまとめあげ、無事機関誌Truth23号に掲載され、好評をえました。
ひと言で言うと、主に局長の意見から抽出した「可変・スケジュール管理」でしょうか。徹底的に可変的な予定を組み、それを毎週定時にメンバー全員でチェックする方法でした。フィードバック、フィードフォワードが有効だった事例です。
機関誌Truthについては、今年は編集長・副長2008を中心に、局長2008と私とで息の切れるような編集会議を繰り返しました。このことで、メンバー全員の筆力も強くなり、また機関誌の毎号の特性も顕著になったと、安心できました。それにつけても、これまでも、これからも副長職は本当に縁の下の力持ちだと、涙無しでは語れません。この年末ギリギリまで、卒論締切を抱え込んだ副長と、若い副長補佐は原稿の整理に没頭したようです。昨夜届いた年内最後の原稿チェックを私が送り返したのは今日の昼のことでした。
3月には「明治村紀行」、8月にはオープンキャンパス(経理局長の仕切)、そして「Asuka2008 (飛鳥)」、11月には授業支援「生涯学習」(一番隊長がまとめ役)と、例年になく充実しかつ忙しい一年間でした。夏期には3人の新人もむかえ、いろいろな役割を果たしてもらいました。彼女らを含めた今の三年生や二年生が、2009年の主役になっていくわけです。
年末に私と、副長、書記局長、経理局長の四人で昼食に「牛タン塩焼き」を食べに行きました。その時、書記局長がいつになく食事速度が遅く「嫌いなのかな?」と一瞬思ったのですが、あとで皆や本人に聞くと「とんでもない!」、牛タンの味わいを、まるで京都の4年間や倶楽部の総決算のように、じっくりじっくり心の底まで噛みしめ味わっていたようでした。その話に、顧問は深く感動したわけです。
博物館・明治村研修旅行HMK2008
OC2008:葛野のオープンキャンパス
飛鳥は石舞台が一番人気でした:Asuka2008研修旅行
○葛野図書倶楽部2001(カテゴリー)
5.葛野のこと
2008年も一年間、無事過ごせました。夏期には「日本の美術史/保田與重郎」も書き上げ、2009年夏には「芭蕉」に取りかかる手筈となっています。
しかしながら大学全体が変革の時期ですから、研究教育も手薄になりがちな重い会議が日常的にありました。さまざまな解き得ぬ課題に直面し、汗を流す毎日でした。他方、未来になんら不安を感じておりません。おそらく、脳天気な性格なのだと思いはしますが、それだけではなく、昨今の世間の激変の中で、比較的落ち着いた校風の、安定した歴史の中で、大学の核というものが見えてきたからです。前衛的な教授連も、古典的な教授連も、それぞれに所をえて、大学の時代を乗り切っていく「心」があると、確信できたのです。そのことで、誰かと盟友になったわけでもなく、誰かと激論を交わしたわけではないのです。ただ、はっきりと道が見えてきた大晦日でした。
今年度までですから、2009年の3月になるのですが、二期4年間つとめた図書館長職を既定により免ぜられる事になりました。葛野キャンパスに鉄路を敷いて、葛野鉄道図書館を作る意図は達成できませんでしたが、いろいろな支援もあって、図書館が細かな所で変わってきました。次年度はさらに変化していくことでしょう。図書館長ががなりたてるよりも、事務司書の人や図書館好きの教授の発言が、変化を促したと、痛切に味わいました。自分の意見よりも、他人の意見を大切にする、こういうことを肌理で味わえたのが、この4年間の任期の幸でした。
○小説葛野記(カテゴリー)
6.MuBlog2009年にむけて
来年も、さっそく4日から「NHK天地人」が、あたかも御用達記事のように連載される予定です。NHKとの係累縁戚関係は全くないのですが、世間との窓口は友人知人たちのblogと、NHK大河ドラマしかないのが現状です。書かざるをえないでしょう(笑)。
もう少し、「卑弥呼の墓」シリーズとか、「読書余香」シリーズを充実させる予定です。が、しかし、しばらくは鉄道図書館シリーズが幅をきかせ、やがて自作PCや桜シリーズ、ついには「少年司書ロボ」シリーズも、再開されることでしょう。
まことにMuBlogは百花繚乱、ついには混沌世界に突入するような、よい予感がしております。
2008年の読者諸氏、さようなら。
再見。
2009年の読者諸氏、よろしく。
浅茅原竹毘古 識ならびに璽(通称、MuBlogのMu)
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コメント
あけまして おめでとう御座います
何かと多忙な年末と正月だったのと違いますかね。昨年は色んな場所に連れて頂き、有難う御座いました。
年末に、磐船神社に行きましたよ。夕方で暗くて、身の危険を感じるような、岩くぐりでした。家内と息子も一緒でしたが、彼らは何故このような危険な苦痛な体験をしなければいけないのか、理不尽と言うてました。
先頭に立って親父が、恐れ多くもニギハヤヒさんの記念の場所を探訪しているのだから、文句言わんとついて来いと言いました。
ズボンは泥々、散々でしたね。
今年も、又、宜しくお願いします。色々、探訪に連れていってください。
投稿: jo | 2009年1月 3日 (土) 23時08分
Joさん
年末は積もる宿題を息つめてやっておりました。
正月三日間はひたすら映画やDVDやおせち料理や、ぼんやりと、遊興にひたっておりました。
年末の片も付き、正月のぼんやりも体験し、言うこと無しですが、……。一月二月は、教員のかき入れ時というのでしょうか、野暮用満載トラックが列をつらねて向かってきます。
ええ、関西探訪旅行ですが、次回は応神天皇さんや、聖徳太子さん、それに近飛鳥(ちかつあすか)の博物館なんかどうでしょうかね。楽しみにしております。
では、よろしく。
追伸
そうでした、磐船神社。Muは以前、一人だったので「危険」と言われ、洞窟巡りは断られました。無念!
投稿: Mu→Jo | 2009年1月 4日 (日) 00時55分