小説木幡記:2008/12/12(金)日常の死と折々のMuBlog
師走に入ってMuBlogの記事が途切れだした。いろいろなストック、蓄えが枯渇してきたことと普通の意味で師走だから、物事をまとめる知力や気力が衰えたに違いない。
燃料切れの師走
蓄えの枯渇とは、授業内容や会議内容がそれぞれにとりあえずの終盤を迎えだし、余なりに軟着陸を計るため、日常用の燃料以外を使うことが多くなったからだろう。たとえば慣性(人は惰性ともいうが)で動いてきた授業も、着陸態勢という常とは異なるモードのために、別の逆噴射用燃料を使い出し、その備蓄をどこかで使ってしまっていたことに気がついて、逆噴射ロケット部分が不都合を生じだした、……。と、そういうわけの分からない比喩を使うと、ますます分かりにくいが、なになに、余はそれで自分を分析し、満足しておる。
青年達の死
最近、身近な所で二人の青年の死を知った。
一人はよく見知る学生の兄で、二十代で亡くなった。その兄君がどのような青年だったかは、まだ学生本人から聞いていない。しかし、兄妹の仲のよさは普遍的なところがある。その「死」を、余から彼女に話かけられるのは何年も経ってからのこと、と想像している。
残された妹の悲傷は、筆舌に尽くしがたいものがある。余は、そのように想像している。
ただ、耐えるしかない。
それ故に、理不尽に残された者は、各人心身の健康につくし、力強く生きていかねばならない。
余は、「え、そうですか?」と思われるくらいに枯れつくして、世を去りたい。
また一人は受講生だった。
余の授業は一般に3年間かかるが、2年生頃の記憶はない。しかし頻繁に受講する昨年(3年生時)からの記憶が鮮明にある。
この春は、就職活動がうまく行かないと悲しげだった。ところが、初夏だったと思うが、図書館で突然呼び止められて「内定もらいました」と報告を受けた。「どこかな?」と聞いたら「京大の近所です」と、にこやかに答えた。余は破顔して、祝いを述べた。
秋になって突然休みだした。「?」と思っていたら、同僚の教授から、
「T君のことを、ご存じですね?」
「ええ、受講生です。何か?」
「突然入院して。ぼくのクラブ(外国語)の学生なんで、見舞いに行ったら、Mu先生の授業欠席をものすごく気にしていてね。だから、お伝えしました」
余の授業のうち、共同演習については出席を重視している。しかし、入院するような状態でそれを気にしていると聞けば、なんとも言いようのない気持ちに襲われた。
そして。
一昨日、同じ同僚から、学生の死を聞いた。病状が急変したとのこと。
事故でも自死でもない。入院の話を聞いてから、一ヶ月も経っていなかった。
その死を、T君が演習をしているクラスでだけ報告した。同じグループ員達は驚愕し、悲傷におちた。数日前に見舞いに行き、共同演習の作品作成のことも含めて、話したところらしい。
仲間の死は、辛い。儚さを納得するまでに、時間がかかる。
班長と相談し、その班の作品に、T君を共同制作者として「名を残す」ことにした。
昨日定常とおり授業した。各班班長と進捗を話した。一人の班長が余の前で突然涙を流し出した。
「うまく、期限に間に合わないのですか?」
「そうじゃないのです、……」
「班内で、諍いでもありましたか?」
「亡くなられたT先輩は、昨年別のクラブで、お世話になった方なのです」
聞くと、マンガクラブにも居たようだった。
……
死生不二
物心ついて以来、余の関心事は生と死だった。その媒介を文学とした。
選んだというのは、青年時の大学学部とか専門とか、後年の職業とか、そういう身過ぎ世過ぎの世間体のことではない。余の生と死とを文学によって、生涯考えてみるということだ。リストラとか、流行とか、定年とか、そういうこの世を渡る雑事とは別のところで、余は「死と生」とを常に文学の思念におさめる人生を選んだ。だから余の文学は必然的に死を言祝ぐことになる。
愛猫またりん君が亡くなって、あしかけ三年になる。いまだに、猫をみるとまたりん君の立ち居振る舞い、無臭の毛並み、肉球の柔らかさ、目のアイシャドーを思い出す。「今は、居ない」という肺腑をつく想いに襲われる。
余は、祖母の死、父の死、友人の死、母の死、恩師の死、そして愛猫の死に出遭った。いずれも涙を流した覚えがない。死を日々考えていると、死は生と同値になり、涙を超えてしまうようだ。
死に際して涙を流さない余は、親戚や知人たちから怪訝に思われてきた。
涙するまえに、死と生とは一つ。死生不二という思念が呼吸をするように、身に付いてしまっているようだ。
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