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2008年12月 8日 (月)

小説木幡記:2008/12/08(月)芭蕉の辞世句

 日曜の午後に五時間ほど眠ったせいか、夜半床についても目がさえてしまった。月曜の午前深夜に床をでて、身の回りの図書に手をのばした。
 芭蕉について読み出した。
 芭蕉は満五十歳で亡くなられたが、最晩年の句がなかなか魅力的なものだった。

此の道や行く人なしに秋の暮れ

この秋は何で年よる雲に鳥

秋深き隣は何をする人ぞ

旅に病んで夢は枯野をかけ廻る

此の道や行く人なしに秋の暮れ
 「此の道」が何を意味するのかを考えた。普通には「俳諧の道」、つまり五七五の短詩形の詩を詠う「芸術」を達成する道、芸道のようなものと考えられる。しかしそれは、芭蕉がどう考えたかよりも、読んだ余がどう味わったかに重きがある。そしてまた、芭蕉は俳諧を作ることそのものよりも、句にこめた「何か」をたどる道と、考えていたのだろう。

 芭蕉とは違った人生を歩む余が受けた印象では、道は芸道だけではなく、生まれて生きて死ぬまでの一生の道。つまり生道のように思えた。

 余は生まれ、生きてきた。社会に出たとき大学図書館の司書を職業とし、現在は別の大学で情報図書館学という学問を教授している。それが余の「道」だと思っている。そして、「行く人なし」とは同行者が居ないという意味なのだろう。「秋の暮れ」とは、日の光が早々と落ちる秋に、昼は鮮やかだった紅葉が闇に重なり黒く見える時刻を指すのだろう。つまり人生の晩年をあらわしている。

 だがしかし、「ああ、もうすぐ終わりだ。暮れてきたなぁ。あっちに灯りが見える。早く歩いて、晩酌にたどり着こう。温かい風呂もわいている」という、軽快な気持ちも同じく味わえる句なのだ。

この秋は何で年よる雲に鳥
 「この秋は」は、秋でもあるし、人生四季の晩年とも思える。「は」と強調しているところに謎がある。いつも秋は来る、しかしこの秋に限って、何故なんだろう、という疑問がある。「何で年よる」、年よるは加齢と感じた。余の父は正月が来るたびに、「もうあと、何回こんなに目出度く楽しい正月を迎えられるかのう」と、ちょっとおどけて言っていた。それを思い出した。

 芭蕉はおどけて言っている。「わしに断りもなく、今年の秋は、年を取らせるつもりなんじゃ」と。
 難解なのは「雲に鳥」だろうな。「に」は並記の意味で、雲や鳥や、と考えた方がよかろう。雲も鳥も自然物で、生きている限り、「あれ、雲が綺麗な形をしておる」とか「おお、鳥が飛んでおる。ねぐらに戻るのか、はたまた渡り鳥か」と思うところだが。

 しかし繁忙なれば、雲にも鳥にも気がつかない。暇ならば気も付くだろうが、胸をつくような情景でもなかろう。
 これは、関西風におどけて翻訳すると、分かる気がした。
 「おお、暗ろなってきよった。秋の終わりや言うても、勝手に年取らせるなよなぁ。雲も鳥も元気に空にうかんどるのに、なんでわしだけ年のことを考えさせるんじゃ、なあ、おまえ」

秋深き隣は何をする人ぞ
 「何をする人ぞ」の、「何」が何を意味しておるのか? 職業なのか、素性なのか。はたまた隣家から物音でもするのやろうか。

 「こいつ、何しとんのやぁ」と解けばもっと多様になる。関西では、うしろに大抵「あほちゃうか?」と付く。
 真摯に考えるならば、芭蕉は人生の大半を俳諧で生きてきた。江戸で生業についていた頃のことは、別の本で詳しく書いてあったが、それにしても短詩で物事の核をとらえることに苦心してきたのだろう。

 そういう真面目な芭蕉が時々、回りのものたちに「しょうもなさ」を感じ、その怒りをおどけて発した様と考えてはどうだろう。
 わしはもう、人生終わりの季節だというのに、回りの者達はわしの苦労もしらず、脳天気に馬鹿ばかりしておる。ほんまに、しょうもないやつらばっかりやぁ!

旅に病んで夢は枯野をかけ廻る
 この句は関西旅行中、大阪での病床から発したものなので、「旅」は本当の旅行中でもあるし、あるいは人生の旅人と考えた方が芭蕉には即しておろう。

 当時の五十歳が大年寄りとは思えない。若いとは言えないが、現代では六十五歳くらいの雰囲気かなぁ。いや六十歳程度かもしれない。心の内には、まだ死にきれぬという思いがあったことだろう。

 「夢」は、単純に芭蕉の想いととらえておこう。もちろん、その夢を解くことが芭蕉を理解することと同値なのだが。ただし一般に、誰しも「夢」というか、幻想をいだいて人生を歩む。歩む原動力は食事や同行者も大切だが、「夢・幻想」なしでは、歩く気力も出ぬものだ。

 その夢が走り去る世界、道が原野、枯野ととらえたところに芭蕉のおもしろさがある脳。芭蕉の信奉者にとっては、おふざけとも写る言葉じゃ。枯野だから花も実も葉も枯れ落ちた、スッピンの野原。自分の回りの世界は、俳諧世界はその野原やったんやぁ~という、皮肉というか雄叫びというか、悲傷絶叫というか、胸を突くと同時に「芭蕉はん、最後や言うても、そこまで本心言うてしもたら、後がないやないのう」と言いたくなる脳。

 芭蕉の「夢」は輝いていた。しかし、その輝きは何もない野原で光っていただけの、ただの戯れやった、という気持ちがうっすらとほの見える。

まとめ
 芭蕉の辞世句と考えられるものを、深夜に眺めていたら、かくのごとき想念を得た。
 言えることは、余は芭蕉の晩年が非常に好ましく思えた。気がつかないような皮肉は、彼が自分も回りも世の中も冷静に眺めていたことの証なんだろうと、気付いた。
 しかし、それだけ考えてみても、やはり芭蕉のこの四句は「佳い」、「絶品」と思った。秋の空じゃなくて、冬の空の雲が輝きだしたような印象を得た。寒々とした言葉が散見するわりには、「温かい」想いがしたのう。
 芭蕉。彼は素晴らしい短詩を残したんだ。
 ありがたいことです。

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コメント

芭蕉の夢の句

 芭蕉の句で好きなのは二つあります。

夏草やつわものどもが夢のあと
旅に病んで夢は枯れ野をかけめぐる

 貴兄の記事を拝見して、夏草や・・・を思い出していました。
芭蕉の句で(夢)という言葉を使った句は他にもあるようです。
ただ、たまたま当方の好きな句が二つとも(夢)を使っていることに驚きました。

 夏草と枯れ野。
つわものどもと旅に病んだ老人。
共通するのは(夢)ばかり。

 う~ん、芭蕉先生やるなあと、ため息がでました。

投稿: ふうてん | 2008年12月 9日 (火) 21時13分

ふうてんさん
 まずは感傷に走らず冷静に考えてみました。
「夢」は脳内の過去と未来の記憶の再現だと思います。手で触れる眼前の現実とは違うものですね。ちなみに「未来の記憶」とは、脳内に要素記憶が無ければ、イメージは出来ないだろうと、思ったからです。

 極端に言うと全部「夢」であり、記憶の再現の時点をどこに合わすかで過去にもなり未来にもなりますね。
 本当は眼前の現実も、夢の積み重ねとなりますが、一応「現実」と「夢」とは分けて考えておきます。

 さて、芭蕉翁。

 夏草が生い茂るのも、枯野も、ともに人為が加わらない、手つかずの自然の姿だと思います。人為を加えるのが文明・文化の証なのでしょう。
 人為の加わらない自然を背景にしてよまれたこの二句は、人為を拒否している風に思えます。
 そして、(滅びた)つわもの、と(滅び行く)病人。これも人為を離れた、離れつつある、生きるものの定め「死」なんでしょうなぁ。

 ともに「夢」があるのは。
 夢だけが確かな生だからだと思いました。自然がどうであれ、人為がどうであれ、人の「夢」だけが確固としてある、と言う風にとらえたのです。夢を見ることのできる「人」は、滅びた人の夢も、今病みつかれている自分の「夢」も、ちゃんと味わえるわけです。

 ふうてんさん。
 まことに、この世は、「夢」しかないなぁ。
 走馬燈を見る目は過去の夢を見る目。過去を夢見るならば、確実に未来を夢見ることもできます。年令とともに、過去を夢見る時間が多くなると、要注意。ちょっと方向を変えると、若い頃と変わらない、未来の夢を見ることができまねぇ。

 ただしバクチと一緒でゼロサム原理からして、どっちかに偏ると、悪しき夢にも佳き夢にも変わるねぇ。(爆)

投稿: Mu→ふうてん | 2008年12月 9日 (火) 21時47分

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