小説木幡記:2008/12/02(火)師走の季節
昨日12月にはいった。師走とか年の瀬とか、これから大晦日に至るまで風物詩がたくさん見られる。
何十年もの間「年度」世界で暮らしてきたので、実質的終わりは翌年3月末だが、気持ちの上では12月が一区切りと思ってきた。年令カウンターがカチリと一つ加算されるわけだ。old++; とか、old:=old+1; とか記すのだろう。
平日教授の一区切りは、授業内容の殆どをこの年の瀬でまとめきることになる。来年になると総括とか、課題相談とか、ゆるりとしてくる。たとえば演習科目の課題提出はこの月の中頃過ぎで、それを来年になって、受講生も含めてよってたかって評価する。関係者相互評価も授業のうちに含まれ、余ひとりのことではない。「神」さまが雲の上(クラウド)別の世界にいて、勝手に評価するわけじゃない。
また12月は悔恨の月でもある。一年間、まともに研究したか、授業したか、仕事したか、日曜作家頑張ったか、脳をつかったか、感情を制御できたか、読書したか、よく歩いたか、……。反省・悔恨のネタは貨車一杯連なってある。
相も変わらず新しい人士との遭遇はない。倶楽部の新人隊員達が新規知り合い程度で、外社会で名刺をかわしたり談笑した記憶はほとんどない。この十年ずっとそうだったから、驚くべきことに思えるが、余自身はそれが普通になってしまった。自分の内にうごめき鼓動する核を見極めるのに忙しくて、外世界を眺めるゆとりがないのが事実だろう。余はそういう風にうまれついたようだ。
そういえば、今年は滋賀県に何度か足を伸ばした。紫香楽、高島市、百済寺、……。来年もこれは続く予感がする。来年も、滋賀、奈良、京都と三県をカメラ持参で行ったり来たりするだろう。焦点がさだまった目的があるわけではなくて、歩けるうちに近辺を見ておきたい。同じ所を何度も通うことになるが、日々新しい。住んでいる宇治市だって、全貌を知っているわけではない。
それに付随して「歴史風土動画DB」の構築が、いまだにすっきりしない。時間がかかりすぎるから、時間の細切れ(スレッドかな?)状態で動画を扱うのは難しいのだろう。すでに研究テーマとして15年はほそぼそとやっておるが、なかなか快哉をあげられない。「やったぜ!」と言える日はこないなぁ。生のテープやハードディスクファイルだけが増えていく。整理仕切れないうちに、「葛野よ、おさらば」かねぇ(笑)。
来年は、余の文学研究が「芭蕉」の季節に入っている。へぼ俳句でもひねってみようかと思いはするが、短詞系は読むのに好きだが、作るのは難しい。これも才能が必要なのだろう。「葛野図書倶楽部・俳句コース」設立で、人を集めてみようかい。狂歌というものはしかし興味がある。
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