「日本は侵略国家であったのか/田母神俊雄」について感想
産経新聞朝刊(平成20年11月11日火曜日)の一面を使って、田母神氏の表記論文が掲載されていたので、一読した。
分かりやすい論調だった。論旨が明快で、過不足無く、これが応募作品235の中から最優秀賞に選ばれたのも肯える。
ただし、各段落での事実確認をしたわけではないので、日本およびアジアの近現代史のいくつもの点で反論は当然わきあがるだろう。
私は数十年前、20代のころに林房雄『大東亜戦争肯定論』を読んでいた記憶から、普通の心で読めた。馬鹿げているとも思わなかったし、これこそ歴史の真実と昂揚したわけでもない。一つの歴史観としてスジの通った論文だと評価した。
事後のために各段落での要点を抜き出しておく。
1.今から70年近く昔に、当時の中国や朝鮮に日本軍が駐留していたのは、国際情勢の中で、二国間の協定による条約にしたがったもので、それは現代の日本に、条約によって米軍が駐留しているのと大差ない。
2.泥沼の日中戦争に引き込まれたのは、蒋介石国民党による日本駐留軍および家族への激しいテロが発端で、日本と蒋介石との争いを背後から推し進めていたのはコミンテルン(当時のソ連を中心とする世界同時革命組織)の、毛沢東のゲリラ組織、スパイ組織である。
3.悪名高い二つの、日本軍の対中国侵略のための謀略と言われている事件は、いずれもコミンテルンの謀略だった可能性が明かである。
1928年の張作霖列車爆破事件は、コミンテルンの工作だった。
1937年の廬溝橋事件は、中国共産党の劉少奇が「仕掛け人」だったと、本人の証言があった。
4.日本は当時、国際情勢の中では異例の「植民地統治の内地化」をはかり、満州帝国や朝鮮半島は生活水準が上がり、旧体制(中国や李朝)の圧制から逃れられ、発展した。
(Mu注:言外に、戦後のGHQがそれまでの厳しい体制から日本人を解放したという神話に似た話と相似であるが、また、当時の日本の植民地統治を否定するなら、現代の欧米先進国は全員懺悔し、全世界に贖罪せねばならぬ論法もある。米国などは日本統治の前に原爆二個でのべ20万人の、ほぼ非戦闘員を虐殺した。これは事実であり、政治的捏造話ではない)
5.日本の植民地統治における宥和政策は世界がなしえなかったものである。
日本には当時九つの帝國大学があったが、
1924年に、朝鮮に京城帝國大学(6番目)
1928年に、台湾に台北帝國大学(7番目)
1931年に、大阪帝国大学(8番目)
1939年に、名古屋帝国大学(9番目)
このように、本国よりも先に外地の教育環境を整えた。当時の欧米列強国の強烈な人種差別に基づく統治とは比較にならない。
また、陸軍士官学校からは、多数の中国人、朝鮮人が卒業し、日本軍将官として存在した。彼らは日本風の名前に変えることを強制されなかった。李王朝や清朝(満州帝国の皇帝となる)の皇族とは、日本人の女性が結婚した。こういう事実は当時の欧米列強の植民地政策下では無かった。
6.五族協和の考えが当時の日本にはあった。
つまりアジアの、大和、朝鮮、漢、満州、蒙古の共生である。
(Mu注:未だに朝鮮や漢から強い非難を浴びているのは、大和が先頭に立ったからであろう。それは明治時代に最強国のロシアから侵略をうけそうになった日本が、日露戦争で勝ったから、先頭に立ち得た。
また歴史的に、漢は「遣唐使の国」で、顔をたてないと怒りだし侵略する国であった。侵略されたのが朝鮮だった。
五族協和の思想は、末弟の大和にとっては「理想」だったが、漢や朝鮮にとっては、唾棄すべき神話だったのだろう。歴史の流れでは、大和は漢、韓、の末っ子だった。韓は、漢には礼をつくすが、末弟大和の興隆には心理的に複雑である。
満州にいたっては、清朝という異民族が数百年間の長きにわたり漢を支配したのだから、清朝最後の皇帝溥儀が、日本の後押しで満州国皇帝になったことは、未だに怨みが晴れぬのだろう。そして、蒙古については、これまた数百年間も元王朝に支配された漢民族としては、何百年たっても、モンゴルのジンギスカンは恨み骨髄であろう。
かくして、近代国家として先に先進国の仲間入りをした末弟・大和の五族協和神話など、その恩恵をどれだけ受けても、侵略としか写らない。これも、事実だ)
7.日米戦争は愚行だったのか?
つまりは、20世紀はコミンテルンの謀略戦に日本が巻き込まれた世紀だった。
1995年に米国で機密解除された公式「ヴェノナファイル(1)」では、コミンテルン(当時だと、ソ連のスターリンか?)と米国内スパイとの厖大な暗号交信記録が、米国によって37年間かけて解読され、その内容は当時のルーズベルトをして日本を開戦に追い詰めた「ハル・ノート」が、大統領側近のスパイによって起案されたというものである。つまり、当時の米国は間接的にソ連の後押しをうけて、<東洋の小生意気な日本>をたたきつぶす作戦に乗ったわけである。
米国は当時も今も決してお人好しの国ではない。当然のことだが、国益が最優先する。当時米国のアジア支配にとって最難敵が日本だった。
(Mu注:日米が仲良くするのは良いことだ。しかし、米中、米高麗、米ロシアが仲良くするのも、米国の国益から見て妥当なら、そうするだろう。場合によっては、日米が破綻しても、米は他国を選ぶ。日本が侵略を受けても、国益にそわなければ米国は無視するだろう。日本が他国から侵略されない保証は、全くない。現に、米国軍は日本に駐留している。そして最近ロシアは近隣国を近代兵器でもって侵略した。本心から、聖徳太子や天智天皇や明治天皇、そして昭和天皇の苦悩が偲ばれる。建国を維持するのは至難の技である)
8.東京裁判は勝利者の驕り。
私の考えでは、第一次世界大戦の戦後処理のまずさが、ドイツにナチズムを招いた。各国は敗戦国ドイツに対して、気の遠くなるような賠償金を命じた。ドイツは疲弊し、それに十倍する反動が欧州戦争、つまりは第二次世界大戦を招いた。そういう歴史の流れを少しでも知れば、大東亜戦争に対する後始末、つまり東京裁判がどれほど、勝利者の驕りであったか、きっちり説明すれば小学生でも分かる事実である。すなわち「すべて日本が悪い」とし、日本は未だにそのマインドコントロールから抜け出せていない。
日本は、その反動として有数の経済大国になったが、失ったものもまた大きい。
9.しめくくり
さて、田母神氏は現代の自衛隊ががんじがらめの制約の下にあると言っている。このままでは、日本という優れた母国を守りきれないという、論調で終わっていた。
想像するに氏は、軍を自衛隊と言い換え、武器を持っていてもスコップしか使えない、なにかしら笑止千万な漫画世界にどっぷりひたってきた戦後であったと、言いたいのだろう。
おそらく、個別事象と「歴史全体の流れ」を逆立ちして見るから「日本は侵略国だった」「悪い国だった」と、現代の知識階級や、ある層の人達が思いこまされ、そう信じ、過去の祖国をあしざまに言うことが、常識人と見なされるような国になってしまったと、言いたかったのだろう。
世界中を眺めても、国家の暴力装置ないし暴力制圧装置、つまりは警察や軍を、持たないでよいとする政治家は、まともな政治家とは言えない。国家が無くても良いというのはユートピアンであり空想家に過ぎない。そして日本国家などいらない、世界中を自由に旅したいという人がいても、その巡る世界は国家秩序があればこそ、身体生命財産自由が保護されることに、気がつかないのだろうか?
平和は大切だ。ある種の平和憲法も大切だ。人を消耗品扱いする戦争など、だれもしたくない。
しかし、経済的利益のためには、あえて戦争を仕掛ける国も組織もある。
つまり悪は存在し、戦も絶えない。
法力だけで戦を避けられると思ったり言ったりする人が、いつのまにか無間地獄の宗教戦争に入り込んでしまう。そう言う世界史、日本史を、まともに教えない教育世界が、やはり諸悪の根源なのだと、田母神論文を読んで長嘆息した。
(1)以下の図書をさしているのだろうか。
Venona : Soviet espionage and the American response 1939-1957 / Robert Louis Benson, Michael Warner, editors.
Washington, D.C. : National Security Agency : Central Intelligence Agency, 1996.
xliv, 450 p. ; 28 cm.
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コメント
『見つかった!南京の記述!、翰林版にも!』
「Voice of America」などによると
南京の記述が無い無いと騒いでいた(2007年2月頃)、
翰林版の教科書にも、最後の付録の大時紀(大年表)に
"日軍入城大肆殺戮、是為南京大屠殺"
と書いてあるそうです。
http://www.voafanti.com/gate/big5/www.voanews.com/chinese/archive/2007-02/w2007-02-13-voa42.cfm
臺教科書淡化南京屠殺國民黨不滿 記者: 張永泰
台北
Feb 13, 2007
台灣新版高中歴史教科書當中,出現了淡化處理南京大屠殺事件的情形。
在野黨的國民黨對此相當不滿,並提出了批評。
有關1937年的南京大屠殺事件,台灣今年許多不同版本的高中歴史課本都出現了淡化處理的情形。
以翰林版為例,課文沒有提到南京大屠殺,只在最後附録的大事紀當中提到“日軍入城大肆殺戮,
是為南京大屠殺”15個字。
Voice of America
投稿: カルビー | 2009年3月18日 (水) 14時56分