NHK篤姫(48)西郷隆盛と勝海舟
はじめに
西郷南洲隆盛は薩摩藩の下級武士で、勝海舟も下層の御家人でした。大平の世なれば、お二人とも赤貧洗うがごとき生涯を過ごし、まして「歴史記述」には一行たりとも名前・存在が残らなかったことでしょう。
そのお二人が、歴史に残る「江戸城無血開城」の談判役となったわけです。結果として徳川江戸幕府が崩壊し、江戸城を明け渡し、しかも江戸での市街戦がなかったことは、歴史の不思議であり、特筆に値することだと思います。徳川はこの時、軍艦を何隻も持ち、味方する大名もおりました。余力はあったわけです。しかしすでに徳川慶喜は朝敵とされ謹慎し、時の勢いからずれていたともいえます。
西郷さんと勝さんとは、どのような話し合いをしたのでしょうか。それぞれは、後日に内容をもらし、研究者や関係者がいろいろ事情を分析しているでしょうが、このNHK篤姫ではどうだったのか、それが今夜の見どころとなりました。
鍵は、天璋院篤姫の人を見る眼力と、最後まで人の情を信じる気質にあったと思いました。
勝海舟の当初案
薩長の攻撃と同時に江戸八百八町に火を放ち、官軍に益するところなしと思わせる策でした。このことは英国公使の耳にもいれ、そこから薩摩に「徳川の覚悟」を届くようにしたわけです。
しかしこれは、西郷さんに見破られました。
勝も西郷も男性で、そして武士階級です。勝は徳川を守る戦士・御家人として、西郷は薩摩土着武士として育ったわけです。大平の世が続いても、「武士」として「勝ち抜く」という気力は旺盛だったと思います。ですから、勝海舟が考えた大江戸焼き討ち作戦は、それが恫喝であれ準備はしたわけですから、覚悟があったのでしょう。
西欧ではフランスのナポレオンやドイツのヒットラーがロシアに侵攻したとき、ロシアでは村々を焼き払って奥地に逃亡しました。侵入した軍にとってロシアの大地は廃墟だったのです。
江戸は当時世界有数の大都市であり、豊かな町でした。そこには富があり、人がいて、そのまま手に入れた者(官軍)には宝庫として、政治経済の中枢を得たことになります。しかし、焼け野原となった江戸には、荒涼とした武蔵国の大地があるだけです。
この策には西郷も困ったでしょう。しかし、なお西郷は江戸攻めと徳川廃絶を譲りません。
……。
歴史的事実として、勝は戦略戦術の理と利をとき、西郷は「うむ、わかりもうした。おいどんもおはんと同じ考えでござる。じゃっとん、徳川の廃絶なくば禍根を残す」と言ったのじゃないでしょうか(笑)。
西郷隆盛の考え
京都にいる大久保さんや岩倉さんとの合意(約束)もあったでしょうが、後の禍根を断つという、歴史の教訓を守ろうとしたわけです。平氏は清盛が助命した頼朝、義経に滅ぼされます。室町幕府最後の将軍は諸大名の間を転々とし生き延びて、長生きします。天璋院篤姫時代から260年以前の豊臣家の場合、「物語」では、徳川から提示された一大名として豊家が残る案を淀君ら大坂方が蹴ったことになっています。そのために冬の陣、夏の陣で犠牲を出し、豊家は完全に滅亡します。
徳川は歴史があり強大でしたから、官軍が勢いのあるうちに徳川家を廃絶しようとしたのは、異常な戦略ではなかったと言えます。かえって、無血開城し徳川が残ったのが特殊だったと思えます。西郷は、勝ち戦の中で徳川家を倒すことが最良の終戦と考えていました。
しかし、島津斉彬の、篤姫あての手紙を勝海舟から見せられて、考えを変えました。おそらく、徳川という、そして日本という病人を、生きたまま治すことが大切だと思い至ったのでしょう。その転機が亡き斉彬の書状だったわけです。そこに何が書かれていたかよりも、篤姫を徳川に嫁がせた斉彬や当時の老中阿部正弘の遺訓、気持を西郷が思い出したのでしょう。つまり、融和です。婚姻は政略結婚という負のイメージを持ちますが、敵対する者同士の融和策でもあるわけです。
西郷は島津斉彬に育てられ、下級武士から藩政の動きを見る立場にまで引き上げられた過去を持ちます。その大恩ある斉彬の手紙を、当の篤姫から渡されたのですから、西郷は目から鱗がおちたのだと思いました。小松帯刀も京で西郷の報告にうなずき、「恨みの上に作った新政府は、恨みによって壊れる」という意味のことを申します。日本国の維新、あらたな中興を果たすには、融和しかないと私も思いました。
まとめ
西郷南洲隆盛は事実、大人だったのだと思います。大人は策を弄しますが、策は多様であり、一つに拘泥するわけではありません。勝海舟がドラマで言った「無策の策」は、実は西郷さんの気持だったのだと思います。諦念の中で「江戸城総攻撃」を、時の流れとともに岩倉や大久保の気持ちに合わせたのでしょう。勝海舟は聡明な、洞察力のある人でしたから、そういう西郷南洲のことがよくわかったのだと思います。
そして、天璋院は西郷が情理に厚い大人であることを知っていました。だから、亡き父島津斉彬の思いがこもった手紙を南洲に読ませたのでしょう。西郷は策を如何様にもとることの出来る大人です。篤姫は、西郷南洲に「もう一つの道」を歩ませるきっかけを見付け、示唆したのです。西郷南洲はそれに応えたわけです。
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