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2008年11月23日 (日)

NHK篤姫(47)西郷隆盛の江戸攻め

承前:NHK篤姫(46)最後の将軍・徳川慶喜

 見終わって今夜のドラマは難しいと思いました。
 現代人の多くが、幕府のあった江戸城は薩長軍(官軍)に無血開城し、大奥は解体し、徳川慶喜は明治時代まで生き残り、公爵という、貴族で最上の爵位をうけ天寿を全うしたと知っていますが、この幕末の江戸城や、官軍陣地や朝廷では、だれも明確なことは分かっていなかったはずです。

 朝廷への、徳川慶喜の嘆願書は、天璋院篤姫と、和宮の二人から京都へ向かいました。和宮さんの手紙がどこに届いたのかは分かりませんが、篤姫の手紙は近衛家を通して朝廷に出されるはずが、近衛家に断られます。後者は幾島が小松帯刀に渡し、そのまま江戸に戻ったようです。
 西郷に会うことも出来ない小松は、幾島に篤姫自筆の手紙を西郷に届けるよう頼みます。それは行われましたが、西郷の気持ちは変わらず、西郷は将校達に「江戸攻めは3月15日にする」と言い切りました。

 西郷が官軍参謀として江戸攻めを固執したのは、幾島の解釈では「自分一人で悪人になるおつもりかも知れません」と篤姫にもらします。篤姫は「西郷は変わっておらぬ。情に厚いところも同じ」と、不思議なことを言いました。

 ……。

 西郷の情の厚さをどう解釈すれば良いのか、観ている間中、私は考えていました。答は先週か先々週に、西郷の言葉としてあった気がします。つまり、若き篤姫の婚礼装束を全部調えたのは西郷でした。ですから西郷は最後まで、篤姫のことを自分で見とりたかったのだと思いました。

 ドラマでは、西郷は若い頃から篤姫と知り合いで、しかも彼女が徳川へ輿入れしたのは、大恩ある島津斉彬の考えからでした。西郷は、参謀になることで、他の者に江戸処理をまかせるよりずっと「確実な後始末」が出来ると考えたのではないでしょうか。それは単純に篤姫を救うことではなく、一本気の篤姫が自害するかもしれない、そういう危機を全部自分の目で確かめて、救えるなら救い、無理なら自分の目でそれを確かめたかった。大切なことを人任せにせずに、篤姫のことは、自分の手で最後まで見届けたかったのでしょう。

 情あればこその動きだと理解できました。
 今は、篤姫は徳川の人間だと、西郷は分かっていたはずです。一本気な篤姫が、帰郷を断り、徳川に殉じるのは火を見るよりも明らかなことです。しかも、慶喜の首で総ての幕引きをし、江戸城を紅蓮の炎にまかせねば、260年間の幕政は絶対に終わらないと考えたのでしょう。

 そうして私の結論は、西郷は篤姫の強情さ(一本気、いわゆる男前心)を知っていたからこそ、篤姫をあきらめ、篤姫の死があるなら、我が目で見る、と決心したのだと思います。また、篤姫の生死に関わらず、徳川の幕引きは慶喜の死以外ありえない、と考えたのだと思います。

 西郷が恋人でもない篤姫のことをそこまで考えた理由は、篤姫が、自分を今の立場に引き上げた真の主君、亡き島津斉彬の娘だったからだと思いました。養女ではあっても、斉彬の気持ちの具現が、今の大御台所天璋院篤姫さまだったからです。

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