NHK篤姫(45)実家か大奥か
一月から始まって11月上旬に45回目、つまり物語も9割の峠にさしかかりました。あれよあれよというまに、薩摩・長州の連合軍に徳川が敗走していく日々がもう始まるのです。これまでは政治上の覇権争いでしたが、すでに武力衝突しか残っていないタイムリミットなんです。
薩摩や長州が洋式兵装備を外国から大量に買い上げ、火力の圧倒的優位も分かるのですが。それにしても後日、たった二つの藩の同盟で、なぜ幕府が壊れたのかと考え出すと、分からない点が多いです。
おそらくこの頃は、禁忌(きんき)としての錦旗(きんき)、つまり「朝敵」という言霊(ことだま)呪術世界が帰趨を制するところだったのでしょう。これをもって「春秋の筆法」と言うのです。
薩摩と朝廷
小松帯刀さんは足を痛めて上京できず、よって都では西郷、大久保、岩倉の三人組が羽根をのばしました。
帯刀さんが足を痛めて動けない苦衷が、私には良く分かりました(笑:私もときどき動けなくなるからです)。
画面では、薩摩が77万石、徳川が400万石、そして加賀が100万石とでていました。徳川の経済力には圧倒的なものがあります。普通なら、薩摩や長州には徳川を攻める力はなかったわけです。しかし成り行きで、すでに薩長ははっきりと徳川に敵対しています。だからこそ西郷たちも必死だったのでしょう。その大きな梃子(てこ)が岩倉具視であり、朝廷の権威でした。
朝廷の権威。今夜は大久保が西郷に「錦の御旗」を披露しました。
戦とは、平常心で眺めれば、無謀で馬鹿げたことです。その愚行を一兵卒にいたるまで「意義あるもの」とするための仕掛けが古来あったわけです。分かりやすく言えば、大義名分。つまり戦うための意義と目的です。個人の争いなら、恨み辛み、一時の気の迷い、激情のほとばしるままに、片方が負ければそれで終わりです。しかし集団戦となると、仕掛け無しでは機能しません。
その仕掛けとは。
一つは掟。古来敵前逃亡は死しかありません。
一つは地位と名誉。勝てば一国一城の主になるかもしれない、ハイリスク・ハイリターン。
そして一番の大仕掛けは大義名分でした。
ある時は神の御名によって、ある時は愛国心によって、そしてある時は「錦の御旗」を守るために。人は持続的に戦う理由を、理性からも感情からも求め、それが折々の大義名分だったのだと思います。
こういった戦(いくさ)の心理は、そして真理は。私には良く分かります。おそらく人類の数割は、わかることでしょう。人類はそういう思考をもつように設計されているのだと、ふと思いました。だから否応なく有史以来、戦いの歴史でもあったわけです。
そして戦いは、もしその状態になったなら、勝利しかないです。負ける戦はしないものだし、してはならないことだと思います。
ただし負ける戦いでもせざるを得ぬ人達もいます。それが、古来軍人という仕事を持った人達でした。もちろんその中には、時代毎の「王」も含まれます。
もっと分かりやすく、身近に例を挙げるなら。
たとえば警察官は軍人ではありませんが、武力・国家の暴力制圧装置として社会的に認められた職業です。もし警察官達が、ヤクザが怖い、多勢に無勢「負ける」といって、市民を捨て置いて逃げたなら。そういうわけにはまいりません。
天璋院篤姫の心
薩長と徳川が一触即発状態になったとき、小松帯刀は篤姫の母に会い、姫の帰郷を薦めます。しかし「薩摩の女として、筋を通すなら、篤姫は帰らない」と、一旦は断られます。そこで、帯刀は国父・島津久光に面会し、「許し」を願いあげます。その許しは久光からの書状として、篤姫の母に渡されます。つまり、母が篤姫に手紙を書いても良い、という許しだったわけです。
一方、大奥では薩摩藩の老女が篤姫に面会し、薩摩藩家老小松帯刀の厳命により、なんとしても篤姫の薩摩への帰還を願いたいと食い下がります。天璋院篤姫は断ります。そして、今度は滝山や重野や唐橋までもが、篤姫に帰郷を薦めます。
なぜ篤姫は、それらをすべて「ありがたい」と思いながら、断ったのか。ここにこのドラマのドラマツルギーがよく表れていました。
義理と人情からみると。
人情として薩摩の母や家族と穏やかな生を送りたい。戦になれば、薩摩兵士によって討たれる(戦場には事故がつきものです)可能性がある。そのような危険を回避したい。
義理からみれば、徳川の嫁として、嫁ぎ先で死ぬのは本望という考えがあります。
しかし、天璋院篤姫は、そういう一般的な義理と人情の世界をもはや突き抜けた境地にあったのだと思います。
そしてこれは「女」の戦でもありました。そこに篤姫が自ら感じ作り上げた大義名分があります。
「徳川本宗家の大奥代表として、徳川を最後まで守りきるのが私の使命である」と。これは単なる嫁の見識をこえております。義理を超えた義理だと思いました。そして、薩長のなりふり構わぬ徳川崩しに、正義感の強い篤姫は反発を覚えていたのでしょう。
さらに人情を超えた人情として。篤姫は、滝山や重野や唐橋に言います。
「そなた達は、私の家族なのです。守らなければなりません」と。
母や生家への人情を超えて、大奥千人の女達という家族を、大御台所として、つまり家長として守るのが当然ですという、新たな超人情が篤姫の心にしっかり出来上がっていたのだと思います。
天璋院篤姫。
見上げた人だと思いました。
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