小説木幡記:2008/11/09(日)死について考えた
しかし直截、死を考えているわけではない。とどのつまりが、遠近いつの頃になるか分からぬが、考えが死に収束したというお話。
若い頃なら危ないことだが、今は、死をどれだけ回避して、生を楽しむかという一点につきる。
何度もつぶやいている。
夕食後、しばらくすると眠くなる。ほんのちょっとだけ、と思って横になり、明るいなぁと思って電気を消す。次は朝になっている。死とは、この「次」が無いのだろう。確かに夢をみることは多い。しかし確実に余は数時間、心理的には「死」の状態にある。
何度もつぶやいている。
死とは、朝が来ないことなのだ。
木幡でわしも考えた。
★電子図書館とインターネット
紙に印刷された文字と、ネットにただようディジタル情報と、あたかも図書館のように見えるインターネット世界のことだ。
まず、インターネットを(電子)図書館とは言えない。これはこの二十年間言い続けてきたが、野原に本や雑誌を山積みして、「これが図書館です」と言うようなものだ。
インターネット情報が図書館情報に匹敵するには、各記録のデータ構造が分かる状態になること。これは手動でも自動でも、そうする価値はある。
次に、情報・記録の粒度を自由に再編できるブラウザが必要だ。図書館単位でみるのか、コレクション単位でみるのか、図書単位でか、雑誌単位なのか、各章節項単位なのか。そして単語単位なのか。情報はその粒度によって、記録の持つ意味が変化する。
今のインターネットは、段落レベルでしか情報を(即座に)得られない。
★移動型図書館:鉄道図書館列車
これは生涯学習に密接に関係する話なのだ。
人は高級な脳を持っている。この脳が獣の側面でだけ使われるのがもったいない。人類全部が仏陀やキリストになる必要はないが、せめて、可能な限り神仏に近づく方がよい。
かといって、執着を断つ、欲望を断つだけでは、衆生は生きている値うちを味わえない。
そのあたりの折り合いを生涯考えることが、余の生涯学習である。
しからば、そこに鉄道図書館列車はどのように関わってくるのか。
謎じゃ。
謎の解明は楽しみにとっておこう。
★島図書館
今日の午後、夕風呂に入る前に、ようようNゲージの島図書館、レール・レイアウトが定着した。60センチ正方形の中に海と図書館と崖をセットして、眺望よくするにはレール・レイアウトに多少の困難があった。
コントローラ一台で、6つのレール・ポイントを使い、ショートさせず、しかもリバース運転まで可能にするには骨が折れた。
肝心の海底展望図書館を島にどう配置するかは、今後の課題。すばらしい生涯学習対応・島図書館が出来るであろう。
★文学映画芸術
手が付かぬ。
余はしかし、なにくれとなく断片的に読んでおる。このごろ他人の小説を読むのがうとましいので、自分で短編小説を作ってMuBlogに載せておる。これこそ特注小説。世界に一つしかない物なり。
★そろそろ
すき焼きをたべて、熱燗で脳をやわらげて、篤姫を見よう。
人生は、麗しい。
死は身近で、しかも遠い。
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