小説木幡記:2008/11/07(金)自動車免許証と運転者識別
このごろ世間情勢について語りたいことはいくつかあるが、どれも爺爺放談になるので止めておこう。言うてもセンナイことが多い。
さてしかし、自動車は現代日本にとって最強の殺傷兵器だと常々おもってきた。一馬力が馬一頭分の力に相当するという古典的な考えは科学的ではないが、しかしなお、現代の自動車は軒並み100頭分、200頭分の力を出す危険きわまりない潜在兵器に変わりはない。進歩主義的平和論者も、論文に書かれるまでは、こういうことには気がつかないようじゃ(笑)。
そういう殺傷力を持った兵器を現代社会にすっと溶け込ませるために、運転免許証が必要とされてきた。しかし、運転免許証をチェックされるのは、滅多にない検問とか、数年に一度の更新時期か、別のことで身分証明を果たすとき以外はない。
自動車にはナビとか高速有料道路通過用にETC装置とかがあるのだから、免許証をセットしないと動かない装置は無いのだろうか、出来ないのだろうか、と思った。ICチップで様々な個人ドライバー特性なども入れておけば、事故や無謀運転も減少するかもしれない。ついでに、赤信号なら自動減速程度は自動車に任せられる。
せっかく運転免許証に写真がはってあるのに、誰にも見せる機会がない。せめて毎日愛車にだけは「わしが運転するんやで」と、見せてやりたい脳。
現代技術なら相応の価格で出来そうなシステムだと思うが。しかも、法的にこれからの生産車全車両に搭載するとなれば、ナビ以上に安くなる。自動タバコ売り機が免許証で弁別できるくらいなのだから、免許証と本人顔写真との認証なんかすぐに出来るじゃろう。写真認別がむつかしいのなら、免許証に静脈なんとかとかいう銀行カードみたいな、実用化された方式もあるのう。
いまどきのレンタカーには、ナビやETCが常備されておる。
免許停止中とか無免許とか、酔っぱらって運転して人を引きずって走る「獣:けだもの」の話を聞くと、やはり人間の脳はアトムと異なり、良心回路・制御回路が壊れている、要するに脳の一部に欠損のある人間とも獣とも区別がつかぬ輩が、教育か食事のせいなのか、ちかごろ多い脳。
さて。なぜそんな、自動車に運転者を認識させるシステムが、生まれていないのか。不思議だ。
多分、ICチップカード免許証がネットに接続して、全国民がいつどこを走っているかを警察庁が把握するのを嫌がる人達がいるのだろう。
余もそれは厭だけどね。
ただ、愛車に余を識別させるのは、非常に好ましい。
追伸
ただし、非常用に約1km程度は、認証不一致でも走らせる機能をもたせておく必要がある。
高速道路走行中に突然認証システムがミスマッチして、真ん中で急停車されると困る。
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