小説木幡記:2008/11/04(火)PC黎明期と生きた真実
今朝、心身50%稼働の状態で、うすらぼんやりと考え込んでいた。
「ぼく」の一生のことだ。
10代末から小説を読んでいた。そして書いていた。小説はすでに「ぼく」の時代に存在していた。
20代の末頃から、PC(パーソナルコンピュータ)にさわりだし熱中し、DBMSやゲームを作っていた。
それが30代末まで続いた。
そのころだったか、源氏物語のデータベース化プロジェクトに参加していた。
40代になって電子図書館に熱中し、勉強し、研究し、創成のメンバーとして頑張った。
再度、小説を読み書くことに熱中しだした。
今になって、鉄道図書館列車構想に熱中し、作り、それとなくMuBlogに発表しだした。これが余生の研究テーマなんだろうと、思った。
いま、今朝おもったのは、PascalもCもない、ただのスッピンの極小BASICで真珠のようなプログラムを作ってみたいという、痛烈な、胸を突き上げる欲望だった。化粧っけもない、本当のスッピンのゲームを、最小ステップ、最高アルゴリズムを駆使し、作ってみたい。もちろんRPGに決まっている!
結局、MSやAppleの創始者達も、いずれそんな思いにとらわれるのじゃなかろうか。
だから、「ぼく」らの時代は、きっとタイニイBASIC時代だったんだ。
今どき、そんな楽しみは得られないのだろう、きっと。
ファットな世界になってしまったなぁ。
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