小説木幡記:2008/11/03(月)文化の日の文化的日常
今日は文化の日で、世間の多くの勤め人はお休みしていることだろう。
かく申す余といえば、早朝から授業をしておった。さまざまな事情により、大学全体が今日の祝日を授業日にせざるを得なかったわけである。と、そればかりではない。実は、昨日日曜日も余は葛野に出勤しておった。入学試験はどうしても土日に集中し、教員も役割を果たさねばならない。
余などは、さしずめ、「怠け者の節句働き」にうつるであろう。人が汗水たらしているとき、余はのんびりと鉄道図書館列車の天井をカッターナイフで切り刻み、出来具合にニヤリとしているから、こうなる。人生はプラスマイナスがゼロとなって、平衡を保っておる、脳。
とこうなると、ずっと連続勤務が続き、普通ならば「Muさん、過労死しますよ。いいかげんに休みなさい」とひと言もかけられて、人のいたわりにほっとするところだが。生憎、そうは問屋が卸さない。「日頃ぼんやりしすぎているから、よい薬です」とか、「せいぜい、おきばりやっしゃ」と、皮肉を言われるくらいじゃ。
さて。
しかし授業は、いつになく顔ぶれが少なかった。現代の学生は余の授業の場合、実質受講生(いろいろあってな)の大体9割以上が定常的に出席しておるが、それが7割くらいになっておった。最近の学生は遠隔地が多いが(北のはてから、南の果てまで)、居なくなっていたのは関西に隣接する県出身者だった。丁度、二泊三日の連休に都合良く帰省しておるのじゃろう。無理もない脳。
そう言うわけで、毎週の月曜と、余の日常は変わりなかった。ただ、身体的疲労というよりも、精神的疲労が積み重なってきた。今日は杖もついておった。軽く頭痛もし、お腹もごろごろ鳴っておる。怠け者がひさしぶりに節句働きをすると、速効で不調になる。今週は、前代未聞(笑)の会議日行事日が続くので、いささか不安になるが、まあよかろう。そういうことがあってもよい。目をつむってオマジナイでも唱えておれば、あっというまに週末になる。それに、もしもの時は歩けなくなり、万事休す。安全弁が働くから、長生きするじゃ老。都合のよいことに、財布も軽い。
と書き記しておると、自慢の瞑想黙想考究の片鱗もみえぬ小説日記となってしもうた。いかぬのう。これではMuBlog の名が廃る。
まま、そういうこともあるとして、筆を置くなり。
(まだ夜の8時というのに、もう、ねむくなってきおった。あはは)
| 固定リンク
「小説木幡記」カテゴリの記事
- 小説木幡記:楠木正成のこと(2013.06.07)
- 小説木幡記:腰痛と信長(2013.05.28)
この記事へのコメントは終了しました。
コメント