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2008年10月12日 (日)

NHK篤姫(41)小松帯刀の薩長同盟

承前:NHK篤姫(40)篤姫と和宮、家茂を挟んで写真を撮る

鑑賞前
 今回のタイトルは、NHKと同じく「薩長同盟」にせざるをえませんでした。これまでの小説やドラマでは、薩長同盟と言えば、坂本龍馬の周旋だけが光っていましたが、しかしこの「篤姫」では、小松帯刀が薩摩藩家老として重きを成すはずです。
 このころかどうか知らないのですが、長州の殿様は部下のいうことに大抵は「そうせぇ~」と肯定的に答える人で、ソウセイ公とか言われたらしいです。だから、長州側は若手が決めれば薩長同盟でも何でもありと、思っていました。桂小五郎さんもこのころ若かったはずです。

 さて、薩長同盟:薩長連合は、附録に任せて今夜のドラマ、いかなりますことやらお楽しみ。
 ……

和宮の若さ故
 今、ドラマを見終わって。
 あれこれありましたが、今夜は和宮さんのことに話を向けてみましょう。
 家茂を上方へ送り出すとき、天璋院篤姫さんは笑顔で送り出し、それをそばでみていた和宮は、実母が亡くなった後、天璋院からの語らいに、にべもない返事をしました。それどころか、「あなたは、笑っていた」と怨じるわけです。

 このころすでに和さんは20前後だったはずですが、武家が武運長久を願って笑顔で出征を送る習わしが、どうしても理解出来なかったのかも知れません。
 あるいは、「女」はそのように男を送り出すという風習が、そのころの朝廷・皇室・公卿の中ではなかったのでしょうか。

 出征男子を送り出す風習がなかったから、和宮は母親からも庭田さんからもそういう教育を受けていなかった。悲しみは悲しみとして、幾分無表情にすることが、和宮の生き方だったのでしょうか。
 あるいは、和宮が「死地に出向くものを悲しませてはならない」という、相手への意志よりも、自分の悲しみにどっぷりひたる自己中の方だったのでしょうか。若い人は、どうしてもその傾向が出てしまいます。相手も含めて、回りのことよりも、自分のことで精一杯になり、行動や感情表現がイビツになるわけです。

 どちらにせよ。
 またしても、義母篤姫は、嫁和宮にてひどい扱いをうけたわけです。
 当然ですが、私は篤姫の肩をもちました。それは、幾分、和宮役の演技が、まさしく若い女性そのものを演じきっていたからでもあります。つまり、和宮の篤姫を怨じる姿は迫真だったと言えます。なかなか、毎年毎回、大河ドラマの役者は、みなさん上等だと思いました。

「お琴」と「おりょう」 
 お琴さんの押しかけ側室姿は、愛嬌があって、幾分せっぱつまった哀愁もあって、良かったです。女性も、男性に入れ込んでしまうと、命をかけるものですね。当時だからでしょうか。今でもあるのでしょうか?(笑)
 いやいや、帯刀君がよほどに良い男だったからなのでしょう。時代を問わない話だと思います。お琴さん、芸者姿と、町行きすがたの対照がよくあらわれていました。

 一方、おりょうさん。
 これは司馬遼太郎さんの受け売りですが、怜悧な美少女だったようです。ただし滅法クールというか、愛嬌よりも勝ち気さが勝負の女性だったようですね。その記憶があったので、今夜のおりょうさん、とても似合っていました。えらい、ずきずきと話す女性で、龍馬が言い負かされて「はいはい」というシーンがおもしろかったです。

小松帯刀
 薩長同盟ですが、薩摩の中心人物である久光(藩主ではない)に提言したのは帯刀として描かれていました。後世、知謀でならす大久保さんが、薩長仲直りには、なかなか同意しなかったシーンがありました。それだけ、小松帯刀の聡明さを強く印象づけました。

 ともかく、これまでの幕末維新物語に比べて、このドラマでは小松帯刀さんが相当に大きな扱いを受けています。女性主役が篤姫さんなら、男性主役は小松帯刀さんだったと、40回も過ぎた今になって、ようやく得心出来ました。最初は、単純に篤姫の幼馴染みとしか考えていなかったのですよぉ(笑)。

 小松さんが結局、龍馬や後の亀山社中の若者を数十人も薩摩に連れ帰って、さすがに久光さん、唖然としていた様子でした。もちろん久光さんは、そういう考え(人物を育てる)が出来る者が幕府におれば、もっと世の中が変わっていると、言いました。そして、帯刀の行動を「良し」としました。

附録:薩長同盟(連合)
 1866(慶応2)年、つまり明治になる2年前、京都伏見の薩摩藩邸(注)に、薩摩からは小松帯刀と西郷隆盛、長州からは桂小五郎(後の木戸孝允:きどたかよし)、そして土佐藩脱藩・坂本龍馬が集まりました。龍馬は両藩の周旋、調停役だったことになります。

 すでに長州は幕府の第一次長州征伐で敗北し、朝廷からは賊軍と見なされていました。一時は、幕府と一緒になって攻め立ててきた憎い薩摩藩。長州がその薩摩と盟約を結んだわけです。

 敗北によってもたらされた朝敵・賊軍という立場は、当時の長州にとって、孤立無援に追い込まれたと思います。それが、坂本龍馬によって氷結したことになります。記憶では、桂小五郎は用心深い人だったので、こういう博打に手を出したのが不思議な気もしますが。

 これは、幕府にとっても朝廷にとっても驚愕の事件だったことでしょう。しかし、明確な藩主同士の取り決めではなくて、それぞれ若手間の密約、約束だったわけです。ドラマが先か、史実が先か(笑)、小松や西郷、坂本や桂、みんななにかしら知り合いだったのだと、思います。

(注)ドラマの最後の解説では、薩長同盟が話し合われた場所は京都の一条戻橋あたりの小松帯刀京都邸になっていました。あるいは同志社大学近所の薩摩屋敷とも。伏見の薩摩藩邸は寺田屋が藩士定宿だったこともあり印象にのこり、私は混乱しているのかもしれません。あるいは京都の小松自宅が最近の定説なのでしょうか。

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