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2008年10月30日 (木)

小説木幡記:2008/10/30(木)朝からMuBlog

 今朝は3:30に目覚めた。よく寝たなぁと背伸びした。そう言えば、昨夜はドラマ「相棒」の後編が午後9時からあったはずだが、9時前に床に入り、ついちょっと数分休もうと思って電気を消したら、朝だった。つまり、見過ごした。まあ、よいか。そのうち、まとめてDVDを江戸のエドルン君が買うだろう。

 エドルン君のことだが、どうにも「映画鑑賞」はエドルン依存症のようで、帰京しない限り映画を見ないことに気がついた。夏は「二十世紀少年」だったが、帰京を待っている間に「スカイクロラ」は見逃してしまった。今度、11月から「まぼろしの邪馬台国」が吉永小百合さんらによって、映画になったが、年末まで上映しているだろうか。むりだなぁ。ただ、なんとなく「感動を期待して入館」しないといかんようなプレッシャがあって、ふむふむ。まあ、行くとしたら、今度こそ自立して、余ひとりで暗い映画館におそるおそる入らざるをえないような、気がした。

 自立といえば。ますます依存症が強い。
 ひとりでできることといえば、読書と研究と鉄道図書館列車を作ることくらいだな。長い間組織(木幡研も葛野研も組織)に生きてきたから、そこここで依存症が身に染みついてしまった。たとえば授業。今では助勤(上級生による授業支援)なしではやっていけない状態だし、会議も心やすい同僚たちの支援、事務手続きも司書や秘書さん達、漫画道も葛野や木幡の専門家支援、映画はエドルン支援、……。そうそう、MuBlogはなんとか一人でやってこられたが、これも数年後には身代わりをやとって、一見MuBlog らしい記事が書かれているかもしれない。

 ブッダは30前に王宮をすて、地位をすて、家族をすてて、出家なすったらしい。はげしい独立じゃ。
 しかし、現在の余がそんなことをすると、三日で餓死してしまいそうだ。
 もっと、長生きしたい(笑)

ところで閑談余事
 毎日一週間分のMuBlog記事アクセスが右サイドバーに表示される。一週間分なので、日々のアクセスが速効反映されるものではないが、なんとなく毎朝見ては楽しんでいる。

解析対象期間: 2008年10月23日(木) ~ 2008年10月29日(水)
人気記事ランキング
1位:NHK篤姫(40)篤姫と和宮、家茂を挟んで写真を撮る
2位:NHK篤姫(42)徳川家茂・なにわの死
3位:NHK篤姫(17)小松帯刀前夜
4位:NHK篤姫(43)女達の徳川・男達の薩摩
5位:丕緒の鳥(ひしょのとり)十二国記/小野不由美:雪のような音
6位:NHK篤姫(41)小松帯刀の薩長同盟
7位:涼夏2007PCの自作(1)アクリルケースとファン、電源
8位:涼夏2007PCの自作(8)RAID設定(WindowsXP)とグラフィックスボード
9位:NHK篤姫(39)薩英戦争と徳川家茂(いえもち)
10位:NHK篤姫(38)嫁姑よりも勝海舟と坂本龍馬

 上位の七割がNHK篤姫でふさがれているから、これはもうMuBlogがNHK御用達のまぎれもない大河ドラマ専属blogになったようなもんだ。その中で、5位の不由美さんや、7、8位のPC自作を見ると、涙ぐむ脳。余はいつから、「日曜NHKドラマ批評家」になったんじゃろう。しかし、読者が求めるものを書くというのも、日曜作家の役目の一つ。このまま、師走まで突っ走るほかない。もし、大河ドラマがなくなったら、どうなる?

検索フレーズランキング
1位:丕緒の鳥
2位:うぶめのなつ
3位:小松帯刀
4位:長尾真
5位:落飾
6位:篤姫 小松帯刀
7位:アクリル PCケース 自作
8位:英姫
9位:椿井大塚山古墳
10位:甘樫丘

 読者が直に検索エンジンからくる場合、その言葉内容は「篤姫」ばかりじゃないと分かる。「2位:うぶめのなつ」は、京極の夏ちゃん原作の映画記事が相当する。ふむふむ。これは「平仮名表記」が原因じゃろう。あの書名の漢字は、難しい脳。
 「4位:長尾真」は、国立国会図書館長で、なんでヤクザなMuBlogと縁があるかというと、それは余にも分からぬ。余がどこかの図書館長でもしているから、という噂もあるが、それはないでしょう(笑)。ただ、最近文化功労賞を受賞されたので、こういう結果とあいなった。祝。
「9位:椿井大塚山古墳」「10位:甘樫丘」これこそ、MuBlog遺跡なのじゃろう。そういえば、昔のMuBlogは古代史専用blogとおもわれていたことも、あったなぁ。いまじゃNHK篤姫の用心棒、……。(ここで、三波春夫さんの「大利根無情」が流れてくると、さまになるのじゃが)

 というわけだ。明日も明後日もこのランキングは変わらないだろう。しかし来月来年になると変わっているはずだ。
 このように、統計というものは、時間の中で刻々と対象が変化し、そしてまた、こうして観察するだけで変化する。つまり各記事へのアクセスが変動するというわけ。観察しただけで、対象が変化するなんて、まさしく現代物理学の深奥にいたる気がするのう。かくして未来は予測できない。不確定。

さて、そろそろ葛野へでかけてみるか。

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2008年10月29日 (水)

小説:読書相談/浅茅原竹毘古

 毎日、毎週、毎月、毎年、なにか本を読みたくなったとき、ぼくは泉谷さんに尋ねてきた。大抵はよい結果がでて、ぼく自身の気持ちにあっていた。泉谷さんは図書館の司書ではないけど、いろいろなことを知っていて、なにか思いついたときに話してみると、「これが今の君に合っていますね」と、本を直接さしだしてくれたり、30分間ほど内容を細かく説明してくれてきた。
 泉谷さんが最近どんな本をぼくに薦めてくれたか、思い出してみた。

 「SF小説に飽きたこともあるのですが、それでも何となく好きなんです。なにかないでしょうか」
 「……、小説じゃないけど、君は星新一さんをご存じ?」
 「ええ、以前に短編を読んだことがあります。好き度は中くらいですね」
 「じゃ、これ、読んでみたら、星さんのすごさが分かるでしょう。もっと、読みたくなるかもしれないしね」
 と、差し出されたのは『星新一』という分厚い本だった。
 「これは、小説ではないですね。伝記ですか?」
 「読んでみたら、わかります」
 「はい」

 別のある日、タルトを持って部屋に来てくれたので、隣室のオジサンに一個プレゼントしてから、残りを泉谷さんとじっくり味わった。泉谷さんはカバンからお茶をだして、急須にいれてくれた。少し変わった味だった。聞いてみると、頭がよくなる薬草茶だった。

 「メールを読みました。今度は、どんなこと?」
 「はい。小説を創ることに興味がでてきました。ぼくは、読むだけではつまらないと思ったのです」
 「そうね。私が思うに、君は純文学を書いてみたらどうか、と思っているの」
 「純文学って、芥川賞とか直木賞のことですか? ぼくはミステリーとか、SFとかついた小説をよく読んできました。まとめて読んだのは、文庫本で、江戸川乱歩賞受賞作を十作ほど読んだことがあります。純文学って、それと違って、村上春樹とかバナナとかいう、ああいう作家の作品ですか?」
 「普通はね、直木賞作品は、純文学とは世間では言いません」
 「はい」
 「村上さんも、バナナさんも、君以外の人になら、何作でもおすすめします。けれど、君にはお二人とも向きません」
 「ぼくに向かない、作家なんですか?」
 「お二人とも、現代風のポップなところ、つまり、なんかね、ふわっとはじけるようなところがあるの。それは、君には味わいが、きっと分からないと思う」
 「はあ、そうですか」
 「向き不向きがあるからね。それに村上春樹さんは、ラーメンが大嫌い。でも、君はラーメンも中華料理も好きでしょう?」
 「はい、好きです。好みの問題。文学もそういうものですか?」
 「そういうものです」

 「純文学って、私小説のことですか、……。書けないなぁ」
 「私小説を知っているの? それが純文学とは言い切れないけど、君、勉強していたな」
 「いえ。高校の国語でならいました」
 「純文学って、言ってみたまでのことで、つまりね、君はまだ文章の芸もないし、人を楽しませる気持ちが強いわけでもないから、そういうジャンルを書いたら、はっきりするって、思ったわけ」
 「はあ。ぼくも書いてみないと、わからないですね」
 「それで、今君と話していて、おすすめはこれ」と、背中の書架から一冊をぬきだして、見せてくれた。
 ぼくの部屋にはあらかじめ、泉谷さんが段ボールで20箱ほどの本を置いている。ぼくの本ではないが、ときどき自分で選んで読むことがある。大抵は、泉谷さんの選んでくれた本の方が、おもしろかった。

 「『小説から遠く離れて』、これは評論ですね」
 「難しいわよ。私は、この蓮見という人の映画関係の本は、すべてすいすい頭に入ったけど、この本は、私には重かった。映画はね、蓮見さんが話題に出してくるのを、ほとんど全部見ていたから、分かりやすいわけ」
 「これ読めば、小説が書けるわけですか?」
 「そうね。君なら、そうかもしれない。楽しみ」
 「はい。難しそうですが、読んでみます」

 その日のことはよく覚えている。
 泉谷さんは一時間ほどして、帰って行った。ベッドから窓の外を眺めたら、黒い森の中を白くずっと外に続いている小道を、泉谷さんが一人で歩いているのが見えた。ずっと見続けていると、夕陽に向かって歩く姿が点になって、そのうち融けて消えた。

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2008年10月26日 (日)

NHK篤姫(43)女達の徳川・男達の薩摩

承前:NHK篤姫(42)徳川家茂・なにわの死

 和宮さんは夫の家茂がなくなると、髪もおろさず都に帰ると天璋院に伝えました。
 しかし数日後、落飾されました。
 これは本寿院の「身勝手なことです」とのセリフに、和宮さん、考えるところがあったのでしょうか。

 京都から、兄の孝明天皇崩御の知らせを受け取ります。
 夫を亡くし兄を亡くした和宮さんの辛さは容易に想像できます。
 そうです。
 天璋院篤姫も以前、夫の家定を亡くし、同時に養父であり最強の後ろ盾だった、島津斉彬を亡くしました。
 天璋院には、和宮さんの気持が良く分かるのだと思いました。

 また和宮さんは、天璋院が自分の帰京を喜んでいることに、「なぜ笑うのですか」と反発します。
 天璋院は、あなたが自分の道をとることがうれしいのです、と応える。
 和宮さんは、始めて天璋院に「母上さま」と語りかけます。
 そして「母上はなぜお強いのか。それを学びたい」と、江戸にとどまることを伝えました。

 この和宮さんや天璋院の心の動きは、短時間の間によく伝わりました。
 それと、和宮さんには、都へもどっても自分の心の落ち着け場所が、以前は実母の死、そして今度は兄の死とともになくなっていたのではないでしょうか。家茂の想い出を江戸で噛みしめるつもりになられたのでしょう。

 その間、薩摩の小松、西郷、大久保さんたちは、長州の罪を許す勅許をえようと、列侯会議を開く画策をします。小松さんは二条城の将軍慶喜(よしのぶ)への対応、西郷さんは薩摩藩家中、大久保さんは朝廷を説得する役を持ちますが、岩倉卿の予想の通り、慶喜さんは諸侯の言い分よりも、徳川主導の立場をつらぬき、兵庫開港、長州処理はそのままで、会議を終わらせます。
 慶喜さんの表情をアップして、そのしたたかさを表現していました。

 しかし、孝明天皇の崩御とともに、慶喜さんは後ろ盾を失います。他方、薩摩の三人組は、倒幕を決意します。列侯会議の失敗が、薩摩を倒幕に向かわせたと言えましょう。

 役者として光っていたのは、篤姫と和宮さんの微妙な対決と融和だったと思います。
 お二人とも、役柄そのままに、その雰囲気がまるで明治維新を数年後にひかえた大奥の、現実の情景に見えました。

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2008年10月25日 (土)

小説木幡記:2008/10/25(土)土曜の日曜作家

 午前4時起床、5時頃から正午前まで、土曜の日曜作家をしていた。長編「湖底宮」の不特定章のある部分を原稿用紙で8枚程度書いた。約7時間で原稿8枚というのは、非常に遅いペースである。本来は一時間に4~5枚書くのが余の体質にあっている。

 呻吟して書いていたわけではなく、楽しみながら、遊びながら過ごしたから、時間の割りに効率がよくなかった。それで良いだろう。なぜ半年もの間、一行たりとも書けなかったのか不思議に思い出される。遊びながら書けばよいのだ。今朝はそういう、ツボを掴んだと、思った。

 窓の外を眺めたり、珈琲を飲んだり、MuBlogを書いたり、図書館列車を走らせたり、石膏でぬりかためた「高台の図書館」ボードに、ツヤ消し透明アクリル塗料を吹き付けたり、途中の方が忙しい。

 午後は、例の500円Nゲージモデル(TMYTECの鉄道コレクション)の蓋を開けたら、中身は「三岐鉄道クモハ601」という電車だった。さっそくプラスチックの車輪を金属製に換え、重りをのせて、別の動力車に引っ張らせた。20m級の長い電車だが、半径14センチのミニカーブレールをすいすい走った。

 夜になったので、読書した。
 「聖(セイント)☆おにいさん No2/中村光」だった。
 そんなに長くないのに小一時間かかった。これで二度目だが、不思議な漫画である。ゆるいような、おもしろいような、静かに笑えるような、今回は複雑さが増した。ブッダとキリストが東京・立川で二人住まいしているお話だが、今のところ目だった宗教対立はない。お互いに相手を思いやり、騒がしく危険な日本でバカンスしているという、真面目なお話だ(笑)。

 目に見えないようなひねりが随所にあって、見過ごして後戻りしたり、もしかしたら気付かないまま通り過ぎたり、あるいはそんなこと一切おかまいなく、二人が現代の若者の生活を真似ているのを楽しめばよいのかもしれない。しかし、全編二人がお姉ぇ言葉なのは、どうにも現代っぽくて似合っているが、もしそんな男が二人そばにいたら、余は逃げる。~、回りの女子学生達のセリフ廻しをときどき観察するが、お姉ぇ言葉ほどには、男女差はないな。

 で、日曜作家のことで〆としよう。
 余は、設計図なしで作るのが身にあっていると痛感した。半年書けなかったのは、ましな設計図を作ってから書こうとしたからだと、わかった。それは過去の失敗を思い出して、今度はシリーズ四作目だから、張り切って正確なものを事前に用意しようとしたわけだ。が、設計できなかった。それが半年の結果だった。

 仕方ないので、10月に入ってから、なにかしら書き始めた。すると、どんどん想念が、妄想が、世界が広がってきて、先行きが明るくなった。

 人それぞれ。自分の方法を見付けるのが大事なのだろう。
 余の場合、それで日曜作家になれたということ。
 この半年間、書きもしないのに、わずかながら毎日毎日過去作にアクセスがあったことを知り、感動した。つまり、その間、まるっきりそのblogを、開けることもしなかった。パスワードやIDは、棄てかけの手帳を引っ張り出して、やっと見付けた。あはは。

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小説木幡記:2008/10/25(土)爺爺放談(じじほうだん)

★老けはりましたなぁ
 家路につくとき近所の親父と数分一緒になった。親しくはないが30年来の近所の人だ。開口一番「Mu先生も、老けはりましたなぁ」。内心、ガックリした。生物学的年令は意識しておるが、気持の上では十代と変わらないというのに、なんたること、サンタルチア。

 しかたなかろう、髪も真っ白、しわだらけ、背中丸めてとぼとぼ歩いている姿はただの爺にすぎない。「先生」と呼ばれたのは意外だが、昔なにかの都合で新聞に顔がでたこともあったから、余が先生してると知れたようだ。なんの先生かは、知られていないじゃろう。N屋大人(うし)と、そのうち呼ばれてみたいもんや。

 しかし余よりずっと年長の麻生太郎総理は、わかわかしいというか、貧乏くさくない。一国の代表として、世間を歩いても恥ずかしくない。ほっと一安心しておる。資産公開があったが、課税標準額で4億5千万円の資産というから、時価だと10億円はくだらない。たいしたものだ、これこそ我が祖国日本の代表として、内閣総理大臣の資格が十分ある。やはり、末は博士か大臣か、の値うちがある。

★ミステリー作家麻生太郎の日常
 ニュースや新聞写真でみたが、東京のお屋敷など、「館モノ」密室ミステリーが何作でも出来るような風情ではないか。総理は密かに書いているかもしれない。深夜になると、廊下を真っ暗にして、メジャーやストップウオッチや懐中電灯を手に、地下から三階まで、20秒で走り抜けてスーツからパジャマに着替えられるか、などなどリアルな考証をされているかも知れない。あるいは窓からロープを下ろして68歳の体力でスムーズに降りて、別棟の茶室(あるだろう~)に1分以内に駆けつけて、警視庁警部が来たら悠然と茶を点てているなんて、できるかどうか、総理は絶対にやっておられる。

 あるいは窓から、隣の敷地に移ってきた某野党代表をサイレンサー付きライフル、しかも氷で作った弾丸で、見事打ち倒せるかどうか、クレー射撃とは異なるが、素人から見れば区別のつかない同じ鉄砲技。これは麻生君の腕前がオリンピック級だから、十分ありそうだ(笑)。しかし氷の弾丸は、考えないと、実現不可能かな。いや、国際法違反ではあるがこの際クラスター方式をとって、何層にも零下100度C程の氷玉を組み合わせたら、的に届いたとき中核氷玉だけが氷弾になるかもしれない。

★麻生太郎君の豪遊
 ああ、前置きが長すぎた。じじい放談じゃった。
 その麻生総理が高級ホテルで千円のビールを飲んだり、数千円のチーズやキャビアを食べながら、秘密会議したり談笑したりするのが、著しく庶民感覚からずれているから、身を慎めと、野党あたりから非難がでたらしい。政治家は焼き鳥屋で砂肝たべて安い冷や酒をのむくらいの、清貧が必要だという、なんちゅうか大昔の節約令を聞かされたようで、何とも言えない気持になったのう。

 と、それを見聞きした余の内心、飾らぬ言葉をメモしておこう。
 その野党の人達への偽らざる感覚とは。
 「やっぱり、この豊かな資本主義を潰して、原始共産制にするつもりやな!」 
 そのうちMuにも、「貧乏教授は、高級湯豆腐なんか行かずに、伏見の鳥せいで松の雫でも飲んでおれ、ちゅうつもりやな!」
 「東京行っても、高層ホテルなんか登ったらあかん言うのやろぉ。入り口にバリケード貼る気やな。親友隊にそうさせるつもりやな!」(と、ここは「20世紀少年」やMuBlogの過去記事を知らないと意味が通じない)

★遙かなり、小学校のクラス会
 一国の宰相が、ガード下の焼き鳥屋で、毎日ホームレスのおっさんに混じって、安酒飲んだら、わが日本はうまく行くと、言いたいのか?
 いつも思う。もう、そんな貧乏くさいことで人の揚げ足をとるなよ。
 いまどき、ジョッキ飲んだら伏見の黄桜でも千円前後する。発泡酒のんでたら、庶民感覚ちゅうのか?
 ガキと変わらない論法やで。
 昔の、小学校のクラス会をすぐ思い出す。「○◎ちゃんは、御手洗いの後、手を洗いませんでした。悪いひとです」「○◎君は、修学旅行のお小遣いが30円と決まったのに、こっそり100円持っていました」……。

★贅沢は年金支給停止か
 内閣総理大臣麻生太郎君、毎夜一杯5000円の珈琲を飲んで、都内と石原君を眼下に睥睨し、総理大臣の威厳をわれら庶民に見せなされ。そうして下されば、将来、「RSみたいな、リッターで10キロしか走らない贅沢な自動車に乗る高齢者には、年金を支給しない! とか、一台1万円もするNゲージ機関車を年に3本も買う高齢者には、支給停止する」なんて、悪法をだれも通さなくなることでしょう。
 でないと将来は、産経新聞みたいな高いものを毎日購読するのは贅沢じゃ、となりそうな予感。朝日なら許すとかな(笑)

◎余は善人であった
 本当は、一本千円のビールが高いというのが庶民感覚からずれているのかも知れない。京都の庶民の小料理屋「めなみ」でも、松茸土瓶蒸しをいただくと、2千円はするなぁ。毎夜とは言わないが毎週は行ってみたい身分になりたいのう。だから、毎日仕事ができる。
 総理大臣になったら、貧乏のふりしないといけないなら、そんな仕事は厭だね。
 そうか、我が国では貧乏人が善人で、高位高官政治家閣僚達はみんな悪人という式が、昔も今も野党の正論なんじゃ。余は、ここにいたって、善人だと判明したtaurus
 やっと、分かった。

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2008年10月24日 (金)

小説木幡記:2008/10/24(金)君は小林秀雄を知っているか

 今日、葛野で密かに「本居宣長 補記/小林秀雄」を読み切ろうと思って、いさんで登校したが駄目だった。あと小一時間あれば読了できたのに。
 週末の疲れもあったが、本を手にするたびに、授業の準備を思い出したり、Nゲージ図書館列車が変な脱線をしたり、急に寒くなったり、あれこれと邪魔が入ったりで、来週に回すことにした。薄い本だから、木幡に持ち帰ればよいものを、木幡には木幡研の事情があって、そこには「本居宣長(本編)」が昨夜から眼前に立っている。そこで今、本編の(一)を読んだところだ。十分間の短時間読書だが、昔のことが脳全体にぱっと花咲いた。

 松坂の本居宣長記念館には昔行ったことがあって、その頃は本居春庭の使っていた単語帳(春庭さんは宣長の長男で、全盲だったが、著名な国語文法学者だった)に目を丸くした記憶だけが残っていたし、なぜ鈴屋大人(すずのや・うし)と、鈴が好きだったのか、すきなものはしょうがないと、ひとりで納得していた、余であった。

 余ならN屋とでも自称するのか。気恥ずかしくてN屋大人(うし)とは言えぬ。大人とは人様によばれるものよ。(注:N屋とはNゲージ鉄道図書館列車で頭も部屋も一杯になっている状態をさす)

 さて、肝心の小林秀雄。今は書くこともないが、ふと気になって。
 余の年代の者達なら、少しでも日本文学に興味を持ったひとならば、小林秀雄と言っても「ええ、知っていますよ」と自然な会話が成り立つが、どうなんだろう。一体、いつ頃までの人が、小林秀雄という名前を身近に知っているのだろうか。今どきそんな名前をつぶやいても、「ひとりごと」にしかならないでのう。

 そんなことが気になった。もっと若い人なら、吉本隆明という名前の方が身近なんだろうか。いや、この御仁もすでに古典。
 思想家はある時代にぱっと花開き、多くの人を魅了するが、余の場合、小林秀雄とか吉本隆明とか松本健一とかいう名前は、余の青春の「絵」だった気がするなぁ。

 で、昨日疲れ切って横臥している中、不意に小林秀雄を、手で無意識に探って読んでみたら、ものすごく脳というか心、そして身体全体がきりっとした。
 しめしめ、これなら吉本隆明や、松本健一を読んだら、さらに快適になるかな、と思ったが、そのまま眠ってしまった。

 もう一度言うが、余のように、ひさしぶりに小林秀雄を読んで、カンフル(注:つまり、強心剤のようなもので、へなへなほけほけとした状態を、瞬時に立ち直らせる強烈な薬のような効能をもつものの、総称)注射を打たれたようになる、そういう年齢層はどこまでなのか、それが疑問として強くわきあがってきた。

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2008年10月23日 (木)

小説葛野記:2008/10/23(木)小説といえば

 3:40起床、トースト、マーマレード、ソーダー水、煎茶、珈琲、一休み。朝刊はまだ届いていなかった。しかし昨日朝は傘マークがなかったので、手ぶらで出たら、帰路雨だった。しかたないので、汚い置き傘をさしたが、気にしているわけではない。余は、多少小汚くしている方が、皆に安心感を与えているようなので、そうしている(ははは、ホンマかな)

 そうそう、昨夜めずらしくTVにかじり付いた。ミステリドラマ「相棒」の前編だった。豪華ホテルって、ああいうものなのかと、うっとり眺めていた。しかし、五尺の身体にどうしてあんな広い部屋がいるんだい、と自問自答したとたんに、馬鹿馬鹿しくなった。
 したが、昨夜の相棒は上出来だった。なかなか脚本が好ましい。後編がどうなのかは知らないが。それで、相棒の主役の警部さん、いつもぱりっとしたスーツを身につけている。余があんな風にして葛野を歩いたら、別人に見られるだろうし、目立つなぁ、とひとりで考えておった。
 ……。
 やはり、ぼろ着て、しこしこ読書している方が身の丈にあっておる。

 読書といえば、小説。小説と言えば何を思い出す?
 余は、決まって松本清張の、或る「小倉日記」伝、である。内容を覚えているわけでもないし、いっぱしの利口な評論を書けるわけでもないが、思い出す。
 ところで、本居宣長・補記で、小林秀雄がしきりに「利口な君なら~」と、世間のお利口さんを罵倒していた。プラトンあたりの最初の方だった。メモ。

 いつも話題にする森博嗣なら、きまって「すべてがFになる」となってしまう。森世界で本当に好きなのは別にあるが、小説といえばそれを思い出す。実は、かくれからくり、の方が好きなのだが。記憶と好き度はことなるようだ。

 映画といえば、これがマイナー極地「砂の惑星」。昔、そのサウンドトラックだけテープにいれて、自動車で英語の勉強をしていたが、身につかなかった。やたらに、Duneとか、ムアディブとかいうセリフだけが耳に残った脳。

 と、朝から何を日記しておる。
 本日定食は、
 情報サービス、着手発表の後半。激戦。
 資料組織(分類)、同。
 そのあと、あれこれあって、最後の〆は、助勤会。そして、また眠る。繰り返しじゃな。

 今朝も、7時過ぎに葛野について、PCの電源を入れて、珈琲を淹れて、バルコニーに立って日本庭園を見下ろして、廊下を数度散歩往復して、珈琲を飲んで、PCの前に座った。もう十年以上まるっきり同じことの繰り返し。朝のセレモニー。その快感は余しか知らない。システムでも、repeat until とか、while not(eof) do begin、あるいは長大入れ子のfor ループは、ものすごい快感を余にもたらしてきた。それと同じやな。

 さてそろそろ助勤たちが顔を出す。朝の打ち合わせをすませて、教室という戦場に出かけるか。祈・武運長久。

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2008年10月22日 (水)

小説木幡記:2008/10/22(水)秋夜雨と小林秀雄

 今日は早朝に「生涯学習概論」、電気紙芝居を使っているが、比較的長く話して疲れがでた。生涯、自らの意志で学習するのは大切だが、難しいことでもあると、話ながら内奥の心が語りかけてきた。なにか指針を見せないと初心者はとりつくところがなくて、途方にくれてしまう、……。

 そのあと、会議にでかけた。懸案のいくつかが、いろいろ機運もあったのか、うまく行きそうだ。
 学生の中には、外からは見えにくいハンディを持っている人もいて、急な階段を登り降りするのに苦労している事例があって、それを改良するのにエレベータを有効利用する案がでていた。しかし、なにかをするには資金が必要で、個人宅じゃないから、余が叩き大工になって金槌やノコギリで解消するわけにもいかない。壁をこわしたり、事務机を動かしたり、塗装したり、カウンターを設置したりすれば、うん百万円かかってしまう。「無理かなぁ~」とベテラン達と話したのが先週だったが、とんとんと運びそうだった。
 会議の値うちもあるもんだ(笑)。

 屯所にもどると、倶楽部隊員が三名も加わっている「情報サービス」のある演習班が、明日の着手発表の話し合いや練習をしていた。なにかしら、胸がつまった。そこかしこで、いろいろな学生たちが、準備しているようだ。発表に投票制をとっていることもあって、多くの班が熱心にプレゼンテーションのリハーサルをしている。もちろん、各一票を持つ助勤たちも先々週にはまるまる一日かけて、発表全班の事前レジュメを精読し、助勤同士で相談しながら、質問を考えていた。これも、胸がキュンとなる風景だった。

 部屋で昼食をとってその後すぐに午後会議1が始まった。
 議題は難しい内容もあったので、途中でトップの部屋に行って現状や実情を相談した。また帰ってきて、残りの議題をかたづけていった。余はこのころからだるくなって、同僚や主任に「だるい」と言ったら、みなも「同じ」と頷いていた。気温や湿度の変化が激しいのと、同僚たちも余も、それなりに宿題や締切を抱え込んでいて、いわゆるプレッシャが強いので、外界の天候変化だけで、体調が低下するようだ。

 その後、別の午後会議2に入った。珍しく1時間を切った。
 しかし、またそのあと、同じ場で、多少メンバーが替わって、午後会議3に入った。
 このころは、余も椅子からずりおちそうになるくらい、だるくなっていた。稀に発言している余の声が、内奥で、「なんか、ろれつの回らぬことを言うなよ! もう黙っておれ」と聞こえてきたので、マイクを切った(笑)。

 ようやく研究室に戻り、屯所を見たら、まだ一人、しこしこと明日の発表の準備をしておった。頑張り屋が、まだまだ葛野にもおるんやなぁ。
 余は自分の宿題を思い出して、部屋でかたづけだした。なんだか、意識朦朧としていたが、午後会議1で「今夜中」と言われたので、しかたない。

 全部終わったあと、ソファに横臥した。
 だるさが全身をのたうっていた。
 手を書架にのばすと、何年来、そこにあるだけで再読することもなかった図書があった。

 読み出した。
 す~っと、頭に入ってきた。やはり、文学はすごいと思った。
 小林秀雄の『本居宣長 補記』、だった。最初に読んだのはいつだったか。本編がでて数年後だったはずだ。本編は数十年前に買って読んだが、補記は借りて読んで返したまま、手元にはなかった。数年前に友人が補記を一冊送ってくれた。そのままにしていた。
 今夕、補記の半分を読み切れた。大きな活字で、独特の小林秀雄の文章に、知らぬ間に脳だけが楽になっていた。

 早めに木幡に帰ってきて、PCの前にすわったら、眼前に『本居宣長/小林秀雄』の本編があった。気付かなかった。またいつか読みだそう。小林にとって、本居宣長は古典化したと余は悟った。

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2008年10月21日 (火)

小説木幡記:2008/10/21(火)木幡でわしも考えた/Mu

★ 『木幡でわしも考えた/Mu』
 というような本をかいてみたいと思った。
 内容はまったく想像もできないが、この「わしも」という、「わて」でもない「余」でもない、「おいどん」でもない、独特のニュアンスが気持よいのだ。そのあとに、「考えた」とくるのだから、この「わし」さんは考える人だとわかる。
 「木幡で考える人」、とかけば哲学書じみておもしろくないが、「木幡でわしも考えた」というのは類例がすくなく目を惹くではないか。

 ところが、類例がないどころではなく、立派な集英社の文庫本で『インドでわしも考えた/椎名誠』があった。
 最近、この椎名氏の図書内容を毎朝毎夕耳にしてきた。余が読んだわけでも見たわけでもない。余が読書好き故か、余の周辺には読書人が多い。その中でも鉄人クラス、最強と言ってもよい読書人が、しきりに「インドでわしも~」の内容を話してくれる。

 余は幼少期以来、回りの影響を強くうける質(たち)で、数度同じことを耳にするとすぐにその世界に染まってしまう。この場合、普通なら『インドでわしも考えた』を読むのだろうが、余はもう読んだ気になってしまって、あわてものというか、書いてもいない『木幡でわしも考えた』のことまで、考え出している。

 それほどに椎名氏の図書内容は強烈だった。この世の中には、身体張って、命がけで、他の人の真似が出来ない決死の世界に飛び込んで、考えや思想をまとめる人がいるようだ。作家の筆力、行動力とは、ここまで伝染力が強いのかと、毎朝あっけにとられるこの頃だった。
 いや、未読でも、耳にするだけでよくわかる。耳学問とは、言い得て妙なり。

★感染したのか体質なのか
 余、自らを知るためにここで思い出しておこう。感染したのか、自らの体質によって病気になったのか。病気ではないのか、診断のよすがに記しておこう。

 ミステリー病。
 森博嗣、京極夏彦、島田荘司 、……。このあたりの感染ルートは、はっきりしておる。あっというまだった。
 松本清張、内田康夫。ここは、自然に発症した。
 綾辻行人。意外にも、この症例は体質による、自然発症だった。
 小野不由美。この病に罹患した時の情景を今でも覚えておる。場所は葛野の屯所だった。不由美菌の入った玉手箱を、言葉巧みにそそのかされて開けてしまったような思いがする。
 ……。

 鉄道図書館列車病。
 大局的にみるなら、森博嗣HPからなのだが、実は少年期への挽歌であり、そして引き金は講談社の「昭和の鉄道模型」だった。少年期への挽歌とは、そのころOゲージという三本レールの電車を一台だけ走らせていたことがあったのだが、資金難でそれ以上に発展しなかったうっ積が半世紀つもりつもっていたわけだ。引き金になった講談社のシリーズは、手にするまで数度迷いがあった。衝動買いでは決してなかった。一ヶ月以上悩んだ末に、感染覚悟で手にとった。
 もちろん、ここ何年もの授業の間、数年ごとに「鉄道図書館列車」に感染しかかったことが何度もあって、心身抵抗力がなくなっていたのも原因だろう。もう、治らないだろう、不治の病。

 漫画世界病。
 これは幼児期はほぼ体質から、自然に病になっていた。病弱だったのだろう、日々雑誌「少年」や「冒険王」のことしか頭になく、身体中漫画発疹がでておった脳。もちろん後発の少年サンデーやマガジンが症状を悪化させた。
 ここ二十年ほどは、感染源が二つあって、毎日毎晩漫画菌に汚染され続けてきた。最近はまた別種多種の菌にも感染し、まるでバイ菌世界に住んでいるようなものだから、これも生涯治らないだろう。

★病原菌あるいは情報の伝搬
 余も、外界から選択的に情報を受容してきたようだ。いや、選択的にウィルスや細菌汚染に身をさらしてきたといってもよい。ある一定の閾値をこえた場合、それが強烈な菌だからなのか、病膏肓(やまいこうこう)にはいってしまった。実に、免疫の少ない、要するに素直な性格のようだ(笑)。

 そうそう、ロボット少年司書の場合、これは明確な感染源をおもいだせないので、多分少年期以来のうっ積への復讐劇の一種なのだろう。
 勉強好き、研究好き。これは、青少年期に学校で勉強の成績がはかばかしくなかった事へのリベンジに過ぎず、病気とは言えない。まともな世界じゃ。 

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2008年10月20日 (月)

小説木幡記:2008/10/20(月)インターネットが消えた日:タイムマシンに乗って

 『2ちゃんねるはなぜ潰れないのか? 巨大掲示板管理人のインターネット裏入門/ひろゆき(西村博之).扶桑社新書014、2007.7』
 という新書を日曜日に読んだ。とてもおもしろくてためになり、そして刺激を受けた。しかし余は文系女子大学のヘボ教授なので、この図書のそこかしこを引用し、評価し、感想をMuBlogに書くのを止めた。

 ひろゆき君の破壊的言辞や、世間体とはちょっとずれた物言い、すべておもしろおかしくふんふんと頷いてよんでおったが、やはりこれは悪書なのだと思った次第。
 どう悪書かは、それも言いたくない。言えば、ひろゆき君の信奉者が読んで喜ぶだけだから、けったくそわるい。もちろん、ひろゆき君は市井にうもれたblogなんか知るよしもないだろうから、書く必要もない。

 余には世間体とか立場がある(と空耳、「Mu先生に、世間体なんてあったんですかぁ~」)、だからいかんものはいかん、こんな悪書に染まって、2ちゃんねるなんぞの悪所通いを省令じゃなかった、奨励するようなことは断じて、職業倫理としてできない。「できない」というのは、余はロボット人間だから、自動的に12Vのブレーカーが落ちるくらいにできないことなのだ。自動シャットダウンしてしまう。

 悪書の所以は、「ちょっとだけ」言及するならば、いたずらにウィニーの良さと将来性をかたり、恣意的に悪所2チャンネルへ若者を誘い込み、意図的に著作権無視をあおり、ホリエモンを偶像視し、とどまることがない。その一々を引用して論破せんとしたが、この新書は1年前の作品、いわば業界では犬年令で7年前の古書故に、過去をあれこれ言うてもしかたないと思った。
 一刀両断「悪書」と言えばすむ。

 さて。
 世の中にはいろいろな読者がおる。特に余が日頃接する年端もいかぬ学生達に、こういう悪所通いの図書を見せるのは、乳幼児に18禁映画を見せるような衝撃を与える。まあ、乳児なら何を見ても分からぬと思うなかれ。抱いて観ている母親を通して世間の悪に染まるものじゃ。
 余は、教え子達には、2チャンネル通いや、ウィキペディア通いのコピペ課題提出を、口元ゆがめて否定し、そしてまた年に数回は、「お前達、ウィニーを自宅PCに入れていないじゃろうな。もし、あれば早速HDDごと破壊せよ」という回状をまわしておる。「YouTubeで、著作権違反の馬鹿なTV番組を観るひまあれば、勉強せー」と、吠えておる。それが、余の立場、余のロール、役割分担ちゅうもんや。
 (余は、RPGの世界に住んでいるのか?)

 余は思った。タイムマシンにのって学生時代に遡れば、インターネットも、ケータイもない、TVと新聞と図書と映画しかなかった、穏やかな時代だった。マスメディアは「公器」と呼ばれておったなぁ。
 うるわしい時代であった。
 公器であるかぎり、お上と同等、間違いは極めて少ないはずと、安心してTVや新聞をみておった。しかるにいまや、ケータイやメールには、馬鹿メルは入るし、せっかく検索してぴったりの情報を得たと思っても、まるっきり新聞や図書のデッドコピー(まあ、コピペじゃね)だったり、トンデモだったり、嘘が多い世界になってしもうた。

 なにを信じればよいのか、分からない時代やのう。
 やはり、ひろゆき君やホリエモンは、きっと~嘘世界に生きるひとやったんやな。
 信じるに値するは、MuBlogと、そのリストに載ったサイトしかない!

追伸
 「小飼弾xひろゆき」、末尾のこの対談は悪書の中の聖書であった。ここだけ80ページほどOCR入力・コピペして、MuBlogで宣伝しようと思ったが、それでは余も悪に染まったことになるので、やめた。
 波及効果というか、余は大昔に書いた、Basic,C,Pascal,Modula-2,そしてDelphi 記述の図書やプログラム紙リストを引っ張り出して、ひととき眺めておった。
 余にも、宇宙人じみた会話を交わしていた時代があったんだ。

 記念に、新しくGoogle・Blogを作って、そこに全リストを掲載し、古い時代のLuna企画ゲームや、初期DBMSの「中枢アルゴリズム」を痕跡として残そうとおもったが、なにやら無駄無駄しく思えて、やめた。
 つまり、プログラマー魂ちゅうか、生粋の技術者の面を二人は臨場感あふれる対話として残した。それが余を異様に刺激した。
 その分は良書なのだ。
 なれど、悪貨は良貨を駆逐する(笑)。やはり感想は書かないことにしよう。

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2008年10月19日 (日)

NHK篤姫(42)徳川家茂・なにわの死

承前:NHK篤姫(41)小松帯刀の薩長同盟

 14代征夷大将軍徳川家茂(いえもち)は今宵、軍艦奉行勝海舟に見守られ21歳の若さを終えた。
 その若さで、激務心労は激しかったと想像できます。
 家茂は、幕府内で一橋慶喜を将軍に推す中、井伊大老の力で将軍になり、井伊大老が勅許なく開国し天皇の怒りをまねき、幕臣達の画策で和宮の降嫁を、攘夷という条件付きで迎えたわけです。

 攘夷の約束を朝廷と長州に迫られ、京へ自ら出征したのは数度。いずれも、かつての将軍家の威令およばず、惨憺たる中で、後見人の慶喜のやりように歯を食いしばり、孤立無援の大坂城、なにわの土地で薨去されました。

 たしかに、そういう背景からみて、勝海舟が家茂の死に水をとったのは、スジから言うなら唐突なのですが、なぜかドラマの中では、あれよあれよというまに、みている私も勝海舟になって悲哀を味わい、21(数え年)の青年の悔しさを十分丁寧に受け止めた夜でした。

 ドラマでは多分、大坂城でのことはわずかな時間だったのですが、厚みがありました。あれだけの激務をこなし、何一つ成し遂げられなかったという思いを背負ったまま、若くして死ぬ青年の悔しさが、手に取るようにわかりました。
 松田さんという俳優、どこか面影が父親のふと見せた優しさをほのみせて、よい演技だったと思います。

 そしてまた、江戸で大阪からの悲報を聞いた篤姫、足が地に着かないまま嫁に知らせに行く姿、言葉なく涙だけで将軍薨去を和宮に伝えきり、まさかと言ったまま崩れ落ちた和宮。

 お飾りの将軍ではなくて、そしてまた陣羽織なびかせ幕府を切り開いた将軍でもなく、ただ末期の徳川を支え、力およばず上方(かみがた)で病に倒れた若き将軍。だからこそ、今夜の勝海舟、家茂、篤姫、和宮のそれぞれの涙が綺麗だったのだと思いました。胸をつきました。

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小説木幡記:2008/10/19(日)blog、ネットの利用異変

 近頃めったにコメントやトラックバックのない寂れた(cancer)MuBlogなのに、数年前の古代史記事に以下のようなコメントがあって、喜んだ。で、コメント返しをする前に、その文中の紹介図書がどんなものかをGoogleしてみた。

 すると、結果は出ない。
 その代わり、文章が全く同一の記事が一ダース出てきた? 驚いた。おもに2チャンネル投稿だったが、それ以外の記事へも、同一文章がコメント投稿されていた。ただし、コメント著者名は全部異なっていた。

「いま、◎◎○○著「△△△王権のZZ」が密かなブームになっていますが、それによると○○に▲▲■王権が出来た当初は□□をもった■■により興されたとの説になっています。  そうすると、がぜんあの有名な■の×××時代がおわり・・・・・・・が作られ▲の製造が行われたあたりに感心が行きます。当時は、++++++++++++大勢力が形成され、そのどちらかがVVVVVVとなったと考えられるのですがどちらなんだろうと思ったりもし」
(特徴的名詞をすべて消しました)

 まったく同じコメントを機械的に方々に投稿するって、どんな気持なのだろう。プログラマブルかな? とも思ったが、最近のココログは滅多に変なコメントを受け付けないし(来ないだけかな?)、頑強な門がしつらえてある。だから、アルバイトの人か、同一人が如何にもそれらしい対象記事を発見すると、手技投稿しているのだろうか。
 今回の場合、余の記した記事本文と、おなじみJo庵主のコメントが功を奏して、まさに投稿コメントはツボをついておった。

 考えられる意図は、その図書を発行前に「密かなブーム」とたきつけておく、著者や出版社の仕掛け。
 あるいは、無意味な、投稿趣味。
 ……。
 あるいは自説瀕死の考古学者のダイイング・メッセージ(爆)。

 効果は。
 MuBlogがαブロガーなら、いろんな検索エンジンによって、コメントまで含めて洗いざらい採取されていくだろうから、そのコメント中の図書名や著者名のランキングが上がる可能性もあるがのう。残念ながら、誰もこない(わけではないが、古代史関係は無理。篤姫さんなら、多少は影響あるかも(笑))

 なんにしても、てをかえしなかえ、いろいろな工夫があるもんだ。
 わからぬ。暇があるのじゃろうか。
 あるいは余が無知なだけで、ネットではこういう流儀が流行りなのかもしれない。

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2008年10月18日 (土)

小説木幡記:2008/10/18(土)死と詩と文学

 分かりやすい文章や言葉、そして明晰な表現は、扇情的な流行にのった風潮の中では、より高い位置に置かれている。人の行動、言動も公の中では、理がととのってかつ受け入れやすいものが評価をうけて、信頼感を生み出している。
 そして人と人との間柄も、流行や「ノリ」を半分まぜて、それでも理解しやすい、そして結論の出やすい関係が長続きするものだ。

 他方、分かりにくいこと、難解なこと、理不尽なことは大抵の人が目や耳や身をそむける。なにかを理解するには、体を動かして歩いたり走ったりすること以上に脳を働かせないと、受け入れる前に、じゃまくさくなる。未知の外国語を前にして、分からないと途方にくれて、その場を退出するに似ている。

 ことは「脳」の出来不出来、「脳」の訓練具合によるとは限らない。人の知識や情念の体系は体型とおなじくどこかで固まってしまい、それとは異種の体系には関与する余力がなくなるものだ。

 私は以前から、文学とは死を鎮めるためのもの、と思ってきた。
 これは効果があって、死は確かに文学によって癒される。もちろん「死」とは言っても、文章中に「死」や「自殺」や「死への恐怖」を語ったものが文学とは少しも思っていない。文学が死を鎮めるとは、死が分かりにくく難解な事象であることに起因する。そして、優れた文学は「死」に匹敵するくらいに難しく、難解で、分かりにくい相を往々にして見せるものである。

 何故、人は生まれ生きそして死するのか。
 与えられた生と人生と、与えられた死を楽々とこなす人は少ないはずだ。苦がいつも伴う。おそらく、人生の九割は「苦」に満ちている。そして残りの一割が、脳内麻薬によって苦を緩和され、きらきらしい瞬間を味わい、次の苦に備えることができるようだ。この「苦」には倦怠も含まれる。

 優れた文学には、この苦に満ちた人生を見通すだけの展開がある。もちろん、苦じゃ苦じゃとわめき立てる文学が、優れた文学とは思っていない。苦も楽も一言もなくても、苦にみちた人生を透観している文学が、確実にある。そしてそれに触れたとき、「死」に対峙するだけの見通しと、勇気がうまれ、さらに人の死も、我が身の予測される死も、そっと鎮めてくれる力がにじみ出てくる。

 文学とは、そう言うものだと思っている。そして、軽佻浮薄、流行の中に、虚実皮膜の透明な一皮が極上の癒やしをもたらす好機を、つかみ取るだけの力をやしなうのが、優れた読書・文学教育であり、そして人生教育だと考えている。

 文学の形態の中でも、詩は古来、もっとも難解であるにもかかわらず軽やかに、文学の本質を重く抱え込んでいる。だから、詩を味わうことは、生きる上で人とけだものとの違い、人の脳とアメーバーとの違いを知るに大切である。それを知ったなら、人として生きる多重苦を背負えるだけの勇気がでてくる。

  おなじ世にまたすみのえの月や見む今日こそよそに隠岐の島守/後鳥羽院御製
  剣刀(つるぎたち)いよよとぐべし古(いにしへ)ゆさやけく負ひて来にしその名ぞ/大伴家持卿

 日本古来の歌は、難しいところもあるが、母語に直結しているせいか、意味がぼんやりしていても、それを歌うことが生の苦に立ち向かう力をうみだしてくれる。だから、詩は文学は、死を鎮めてくれる。

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2008年10月17日 (金)

高台の図書館:鉄道図書館(3)ジオラマの石膏固め

承前:高台の図書館:鉄道図書館(2)試験走行→DD51+ED790(Nゲージ)

高台の図書館全景(石膏固め)
Muimg_1722

 夏の間、発泡スチロールを切り刻んで階段や前方後円墳らしき形を彫りだして、レールを敷いたまではよかったが、次の工程に進むでもなく毎朝毎夕列車の試運転を重ねてしまった。あわてないというよりも、モデルを思ったように動かすには、それなりの経験が必要だと痛切に味わった。
 すでに記したが、列車の台車の回転一つで接続部(カプラー)が無理な姿勢になって連結が外れたり、カーブで脱線したりするわけだ。一種の複合要素による脱線なので、すんなり解決するものではなかった。
 そしてようやく次の工程に入る機運が高まった。待機の長い、夏から初秋の季節だった。

 この回は、発泡スチロールをプラスタークロス(石膏布)で補強し、石膏を塗ってそれらしい地形に成型する工程で、「石膏固め」と名付けてみた。

3.1 処理前の「高台の図書館」

No.03-01 ジオラマ塗装前の列車達
No.03-02 石膏固め前と道具材料
No.03-03 高台の図書館・処理前の北面
No.03-04 高台の図書館・処理前の上面(前方後円墳)

 最初の写真には、プラスタークロスや石膏粉の箱も撮しておいた。
 石膏で固める前や下塗り前のジオラマは、単純に、コンセプトを表現することとレールを通すためだけの段階である。前者のコンセプトは、高い所から眼下の前方後円墳公園を見晴らすような「図書館」表現であり、後者はその勾配のきつい図書館に図書館列車が横付けできるようにすることである。
 レールの配置はすでに試運転を十分繰り返したので、こういう極端な設計内容でもNゲージの図書館列車が走ることは、確認できている。

 これらの写真は石膏固めの前にレールをすべて取り去ったもので、この後、石膏で固めたり塗装して地形が完成したときは、再びレールを敷設して、また試運転をすることになる。
 一般にレイアウト(ジオラマ)製作事例の多くは、基本地形が定まると、最初にレールを固定敷設して、その後で地形の詳細成型や塗装を行う事例が多い。レールを釘やクリアボンドなどできっちりと設定することが第一に大切なことの表れだと思う。列車がなめらかに走るレールなくしては成り立たない世界だから、そういう過程がうまれたのだろう。しかし、私の場合は、地形や塗装がどんどん変化していくので、レール設置は最後の最後にし、その代わりに試運転をたびたび行っている。
 
3.2 石膏を塗った直後

No.03-05 石膏を塗り終わった上面
No.03-06 石膏を塗り終わった正面(南面)
No.03-07 石膏を塗り終わった右面(東面)

 これらの写真は、プラスタークロスをボード全面に貼り付けて、その後に石膏を塗った直後の写真である。工程としてプラスタークロスをハサミで切って水につけて貼り込んでいく様子が抜けている。これについては、「嵯峨野鉄道図書館ジオラマ」を製作したときに、下地造りの章で詳細に記したので参照願いたい。

 ただ、工程を写真に撮らなかったわけは他にあった。カメラを持つ手がプラスタークロスを貼り込む時に石膏だらけになって、その場面や後の石膏塗りの場面を写すことが出来なくなったからである。手を洗って新たな手でシャッターを押せば良かったのだが、それをするのが面倒に思えた。
 だから、こう考えた。
 プラスタークロスの貼り込み手法はすでに別途記録した。
 そして石膏塗りは一行で済む。
 「石膏の粉と水を等分でよくかき混ぜ、筆で塗る」

 使ったのはTOMIXのジオラマ用の石膏粉(8141 シーナリープラスター)なので、ホームセンターよりも割高になるが、一箱504円だったし、プラスタークロスよりは安価と言える。そして使い勝手が良かった。
 材質表示には「焼石膏、炭酸カルシウム、耐熱セメント、速硬セメント」とあったので、不慣れな私には意味が掴めなかったが、事は単純で、水に溶かして塗りたくる、それだけのことだった。
 しかし「速硬セメント」と表示があるのに、なかなか固まらなかったのは、水を入れすぎてべちゃべちゃ状態のまま、残すのがもったいなくて三度塗りしたからである。それでも、粉は1/3残った。

 なぜプラスタークロスと石膏と二度手間にしたかの理由は、実験の意味と、プラスタークロスだけでは目地が目立ち、微妙な凸凹を表現しきれなかったからである。プラスタークロスは、新聞紙をまるめた上に山肌や地面を作るときに使うのが最良で、この「高台の図書館」で使ったのは、私のクセだと思った。以前、プラスタークロスを非常に気に入ったからである。発泡スチロール基盤に石膏を塗るだけで良かったのかも知れない。
 しかし、物作りのクセとは、その方法が充実感をもたらすので、迷わずよしとした。多分、補強にはなったが、無意味な事なのだろう。

3.3 石膏固めの完了

No.03-08 夜の半乾き背面(北面)
No.03-09 深夜の石膏乾き正面(南面)
No.03-10 翌朝の石膏乾き背面(北面)
No.03-11 翌朝の石膏乾き右面(東面)

 というわけで、なかなか固まらなかったが、翌朝には水気もほとんど取れて、翌日の夜には完全に石化していた。叩くと金属音に近い音がして、心地好かった。
 そのかわり、再びレールを仮置きして試運転をしてみると、走行音がキンキンしてイメージが狂った。別の雑誌記事では、レールの下にコルクを敷いて音を消す工夫もあったが、こんな小さなジオラマでそこまでしなくても良かろうと思った。
 ただ。なにか工夫して音を柔らかにしたいとは、思った。

 また、この石膏固めで得た経験から、慌てずにじっくり考えると、この後にジエッソやクリア塗料を塗って、石膏粉(擦るとまだ指に付く)を押さえ込む必要があると思った。以前は石化したプラスタークロスの上から、すぐに色を塗ったが、丁寧に仕上げるには、ここで「下塗り」が必要なんだと、確信した。

 次回は仮置きレールを外して、下塗りと、色塗りに入る。
 とは言っても、キンキン・カツンカツンとレールを鳴らしながら走る列車もなかなかおもしろく、しばらくは下塗りもしないでこのままになるだろう。

高台(2)←続く→高台(4)

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2008年10月16日 (木)

六十八万アクセス(68万/全体117万):MuBlogの分析

承前:六十六万アクセス(66万/全体114万):MuBlogの分析 (2008.09.19)

観測日時:2008/10/16(木) 13:36
MuBlog累計アクセス数:6800771日当たりの平均: 406.26
 (開設日2004/03/07 記事数 1,545 件 コメント 4,116 件 トラックバック 1,196 件  )
サイト全体アクセス数:1175117 1日当たりの平均:701.98
↓解析対象期間:  2008年9月16日(火) ~ 2008年10月15日(水)

(0) MuBlog68万アクセスの感想
 今回のアクセス傾向は、5番目のぎろぎろの一夜が特例的に上昇していた。なにか一過的なことがあったのだろう。TVなんかで話題になったことは、時々MuBlogに反映する。京都大学の時計台(ドラマ・ガリレオ)、黒塚古墳(鹿男)と事例があった。

 実質一位に小松帯刀があがり、ついで勝海舟もアクセスがある。篤姫の視点はインターネットに多すぎるのだろう。だから、帯刀とか勝海舟というヒロイン以外の記事を探すとMuBlogが引っかかるようだ。

 あと、ロボットや鉄道図書館がじわじわとアクセスを保っている。こういう趣味の人が多いのだろう。

 というわけで、MubLogへのアクセスは大きな変化がなく、いつも顔ぶれは変わらない。いいことなのだろう。

(1)ページ別アクセス数:1ヶ月分:MuBlog のみ

アクセス数: 22,448
訪問者数: 18,017
解析ページ 訪問者 アクセス
1 トップページ 739 1,393 4.1% 6.2%
2 NHK篤姫(17)小松帯刀前夜 739 864 4.1% 3.8%
3 NHK篤姫(32)勝海舟と桜田門外の変 538 636 3.0% 2.8%
4 NHK篤姫(40)篤姫と和宮、家茂を挟んで写真を撮る 417 535 2.3% 2.4%
5 枝魯枝魯(ぎろぎろ)の一夜 377 467 2.1% 2.1%
6 NHK篤姫(39)薩英戦争と徳川家茂(いえもち) 358 439 2.0% 2.0%
7 丕緒の鳥(ひしょのとり)・十二国記/小野不由美:雪のような音 379 420 2.1% 1.9%
8 涼夏2007PCの自作 (8)RAID設定(WindowsXP)とグラフィックスボード 296 411 1.6% 1.8%
9 NHK篤姫 319 389 1.8% 1.7%
10 涼夏2007PCの自作 (1)アクリルケースとファン、電源 259 350 1.4% 1.6%
11 NHK篤姫(38)嫁姑よりも勝海舟と坂本龍馬 283 343 1.6% 1.5%
12 浦沢直樹の「20世紀少年」は「21世紀少年」で終わったのか 277 339 1.5% 1.5%
13 自作鉄道模型 265 313 1.5% 1.4%
14 NHK篤姫(36)寺田屋事件 204 260 1.1% 1.2%
15 NHK篤姫(37)篤姫と久光:お互いの心象が興味津々 184 247 1.0% 1.1%
16 NHK篤姫(34)和宮降嫁 201 223 1.1% 1.0%
17 ノート・パソコンのハードディスク交換、取り扱い処方 171 216 0.9% 1.0%
18 Prius(日立製ノートパソコン)のハードディスク交換 162 209 0.9% 0.9%
19 姑獲鳥の夏:うぶめのなつ(映画) 163 191 0.9% 0.9%
20 NHK篤姫(41)小松帯刀の薩長同盟 142 172 0.8% 0.8%
21 昭和の鉄道模型をつくる(31)飯田郵便局  138 171 0.8% 0.8%
22 NHK風林火山(32)山本勘助:景虎と宇佐美の思惑 155 166 0.9% 0.7%
23 On30レイアウト:庭園鉄道趣味/森博嗣 124 149 0.7% 0.7%
24 自作ロボット 124 139 0.7% 0.6%
25 地図の風景 106 121 0.6% 0.5%
26 涼夏2007PCの自作 (3)マザーボード(GA-G33M-DS2R GIGABYTE社) 100 117 0.6% 0.5%
27 みたかのもりじぶり:三鷹の森ジブリ美術館 93 112 0.5% 0.5%
28 室町和久傳(むろまち・わくでん) 83 105 0.5% 0.5%
29 勤王志士・古高俊太郎邸跡と、しる幸:私の京都・河原町通{四条→三条} 80 104 0.4% 0.5%
30 NHK篤姫(35)心心:和宮の心・西郷の心 84 103 0.5% 0.5%
31 NHK篤姫(09)薩摩の話:幾島の特訓 82 102 0.5% 0.5%
32 CPU空冷装置・換装のお勧め・SAMURAI-Z 56 96 0.3% 0.4%
33 登喜和(ときわ)のステーキと春の京北周山町 54 93 0.3% 0.4%
34 涼夏2007PCの自作 (5)メモリ:A-Data社 DDR2 SDRAM PC2-6400 ADATA 1GB & Heat sink 78 89 0.4% 0.4%
35 卑弥呼の墓(008) 箸墓古墳の大規模周濠確認 46 86 0.3% 0.4%
36 二階建て図書館列車考(4)Maxとき、上越新幹線(E1系新塗装) 76 84 0.4% 0.4%
36 読書余香 77 84 0.4% 0.4%
38 国鉄時代のレールバス:キハ02形レールバス(TOMIX) 68 83 0.4% 0.4%
39 涼夏2007PCの自作 (7)配線とアクリルケース 56 75 0.3% 0.3%
39 スマート珈琲店(京都・寺町)のホットケーキ 59 75 0.3% 0.3%
41 京都の書店 67 73 0.4% 0.3%
41 ti voglio bene : t.v.b (リストランテ ティ・ボリオ・ベーネ) 46 73 0.3% 0.3%
43 NHK篤姫(33)和宮の許嫁 66 72 0.4% 0.3%
44 HD(ハードディスク)の直付け増設のお勧め 65 71 0.4% 0.3%
44 目次:嵯峨野鉄道図書館ジオラマ 36 71 0.2% 0.3%
44 金魚水槽の掃除(2005/12/04) 71 71 0.4% 0.3%
47 昭和の鉄道模型をつくる(33)木造平屋住宅 51 68 0.3% 0.3%
48 ミホミュージアムの秋 53 67 0.3% 0.3%
48 ヴァンパイア・レスタト/アン・ライス 61 67 0.3% 0.3%
48 新世界より/貴志祐介 (上下):日本のアンチユートピア小説 66 67 0.4% 0.3%
48 20世紀少年:本格科学冒険映画 (第一章)/堤幸彦監督、浦沢直樹原作・脚本 (映画) 60 67 0.3% 0.3%
52 CPU空冷装置・掃除のお勧め 44 66 0.2% 0.3%
52 古いノートパソコン・再生のお勧め:SONY-Vaio(2000年)に外付けハードディスク 62 66 0.3% 0.3%
52 ミスター・スタンプス・ワインガーデン:Mr. Stamp's Wine Garden [その1] 52 66 0.3% 0.3%
55 涼夏2007PCの自作 (4)グラフィックスボード(EN8600GT SILENT/HTDP/256M)ASUS 49 64 0.3% 0.3%
56 甘樫丘東麓遺跡(あまかしのおか・とうろくいせき)と蘇我入鹿邸跡 44 62 0.2% 0.3%
56 嵯峨野鉄道図書館 53 62 0.3% 0.3%
58 岩風呂温泉図書館列車・嵐山号 40 60 0.2% 0.3%
59 昭和の鉄道模型をつくる(32)カワムラ理髪店 39 59 0.2% 0.3%
60 最古の前方後円墳(邪馬台国?)東田大塚古墳、矢塚古墳 36 58 0.2% 0.3%
61 NHK篤姫(01)薩摩の話:島津斉彬(なりあきら) 52 57 0.3% 0.3%
61 美味しいところ 50 57 0.3% 0.3%
63 ブラック・ラグーン(広江礼威)とヨルムンガンド(高橋慶太郎) 49 56 0.3% 0.2%
63 さくらだ:桜田 42 56 0.2% 0.2%
63 昭和の鉄道模型をつくる(23) 菓子屋(井口菓子店) 46 56 0.3% 0.2%
66 涼夏2007PCの自作 (6)CPU:Intel Core2 Duo Processor E6600 34 55 0.2% 0.2%
67 NHK風林火山(26)殺戮とガクト 49 54 0.3% 0.2%
67 涼夏2007PCの自作:目次とまとめ 38 54 0.2% 0.2%
69 NHK篤姫(29)落飾した篤姫:天璋院 50 53 0.3% 0.2%
69 ノート・パソコンのハードディスク保守(シャープのメビウス・ノート) 40 53 0.2% 0.2%
71 前方後円墳の航空写真 31 52 0.2% 0.2%
71 NHK篤姫(03)薩摩の話:お由羅騒動に薩摩おごじょ 44 52 0.2% 0.2%
71 Hollywood & Highland:ハリウッド・ハイランド 43 52 0.2% 0.2%
74 NHK風林火山(24)晴信の妄念とガクトの妖艶 46 50 0.3% 0.2%
75 応神天皇陵と二ツ塚古墳の関係 34 49 0.2% 0.2%
75 じょうしょうこうじ:常照皇寺 35 49 0.2% 0.2%
77 嵯峨野鉄道図書館ジオラマ(04) 塗り、川と池と滝 35 48 0.2% 0.2%
77 六十六万アクセス(66万/全体114万):MuBlogの分析 39 48 0.2% 0.2%
79 冷蔵庫の応急修理・20年ほど昔の日立製 41 47 0.2% 0.2%
79 遺跡 36 47 0.2% 0.2%
81 ごこうのみや;ごこうぐう:裏から見た御香宮 42 46 0.2% 0.2%
81 0501010・大晦日の鍵善と八坂神社 32 46 0.2% 0.2%
81 NHK風林火山 35 46 0.2% 0.2%
84 邪馬台国はどこか/NHK歴史の選択 35 45 0.2% 0.2%
84 NHK篤姫(02)薩摩の話:調所広郷の自死 37 45 0.2% 0.2%
86 時間の習俗/松本清張(新潮文庫) 24 44 0.1% 0.2%
86 私の京都:四条大橋と三条大橋の美味しいところ 41 44 0.2% 0.2%
86 自作PC 34 44 0.2% 0.2%
89 NHK篤姫(05)薩摩の話:養女とジョン万次郎 35 43 0.2% 0.2%
89 日本・文学・研究:古事記研究/西郷信綱 40 43 0.2% 0.2%
91 図書館司書採用試験問題概説:県立図書館・関西・200702 36 42 0.2% 0.2%
92 うさじんぐう:宇佐神宮 28 41 0.2% 0.2%
92 神々の乱心/松本清張<感想文 その1:上品な吉屋特高係長> 36 41 0.2% 0.2%
94 涼夏2007PCの自作 (2)ハードディスクとDVDのセット 33 40 0.2% 0.2%
94 卑弥呼の墓(006) 邪馬台国がみえてきた/武光誠 32 40 0.2% 0.2%
96 オーパーツ大全 : 失われた文明の遺産/クラウス・ドナ、ラインハルト・ハベック共著 37 39 0.2% 0.2%
96 甘樫丘展望台から見た多武峯:あまかしのおか・とうのみね 27 39 0.1% 0.2%
98 隠された十字架--法隆寺論/梅原猛 32 38 0.2% 0.2%
98 飛鳥 26 38 0.1% 0.2%
100 NHK風林火山:後日談→勘助、由布姫、ガクト 30 37 0.2% 0.2%
100 ふしみぶぎょうしょ:伏見奉行所跡と魚三楼 21 37 0.1% 0.2%
100 昭和の鉄道模型をつくる(28) 酒屋(青木酒店) 28 37 0.2% 0.2%
100 小説木幡記:2008/10/02(木)近況:十月になってしまった 32 37 0.2% 0.2%
100 「壬申の乱」の関係地図 30 37 0.2% 0.2%
105 ηなのに夢のよう/森博嗣 33 36 0.2% 0.2%

(携帯電話)ページ別アクセス数:1ヶ月分:携帯MuBlog のみ

アクセス数: 4,013
訪問者数: 4,013
解析ページ 訪問者 アクセス
1 トップページ 450 450 11.2% 11.2%
2 NHK篤姫 292 292 7.3% 7.3%
3 NHK篤姫(17)小松帯刀前夜 271 271 6.8% 6.8%
4 NHK篤姫(40)篤姫と和宮、家茂を挟んで写真を撮る 175 175 4.4% 4.4%
5 NHK篤姫(34)和宮降嫁 156 156 3.9% 3.9%
6 NHK篤姫(38)嫁姑よりも勝海舟と坂本龍馬 87 87 2.2% 2.2%
7 浦沢直樹の「20世紀少年」は「21世紀少年」で終わったのか 82 82 2.0% 2.0%
8 NHK篤姫(37)篤姫と久光:お互いの心象が興味津々 78 78 1.9% 1.9%
9 NHK篤姫(22)老中・阿部正弘の死 71 71 1.8% 1.8%
10 目次:新撰組(新選組!) 68 68 1.7% 1.7%
11 NHK篤姫(39)薩英戦争と徳川家茂(いえもち) 53 53 1.3% 1.3%
12 NHK篤姫(05)薩摩の話:養女とジョン万次郎 50 50 1.2% 1.2%
13 枝魯枝魯(ぎろぎろ)の一夜 48 48 1.2% 1.2%
14 NHK篤姫(32)勝海舟と桜田門外の変 47 47 1.2% 1.2%
15 NHK篤姫(41)小松帯刀の薩長同盟 42 42 1.0% 1.0%
16 四十九万アクセス(49万/全体83.9万):MuBlogの分析 38 38 0.9% 0.9%
17 0503210・ふしみみなと:伏見港界隈 35 35 0.9% 0.9%
17 NHK篤姫(36)寺田屋事件 35 35 0.9% 0.9%
19 ほうしょうかん:鳳翔館・平等院ミュージアム 28 28 0.7% 0.7%
19 石宝殿(石乃宝殿:いしのほうでん)と生石神社(おうしこ) 28 28 0.7% 0.7%
21 ηなのに夢のよう/森博嗣 27 27 0.7% 0.7%
21 嵯峨野鉄道図書館ジオラマ(04) 塗り、川と池と滝 27 27 0.7% 0.7%
21 嵯峨野鉄道図書館ジオラマ(06) 線路固めと大歩危トロッコ号 27 27 0.7% 0.7%

(2)ワード・フレーズ:1ヶ月分:MuBlogのみ 

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6 二十世紀少年 ネタバレ  G Y M 150 1.0%
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10 篤姫 小松帯刀  G Y M 92 0.6%
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14 篤姫  G Y M 64 0.4%
15 昭和の鉄道模型をつくる  G Y M 58 0.4%
16 大阪大学 少女ロボ  G Y M 56 0.4%
17 ぎろぎろ 京都  G Y M 54 0.4%
17 丕緒(ひしょ)の鳥  G Y M 54 0.4%
19 じぶり  G Y M 53 0.3%
20 京都ぎろぎろ  G Y M 49 0.3%
21 GA-G33M-D S2R  G Y M 43 0.3%
22 金魚 水槽 掃除  G Y M 42 0.3%
22 小松帯刀 側室  G Y M 42 0.3%
24 篤姫 生麦事件  G Y M 40 0.3%
25 幾島  G Y M 38 0.2%
26 昭和の鉄道模型  G Y M 36 0.2%
27 ミホミュージアム  G Y M 34 0.2%
28 xp raid インストール  G Y M 33 0.2%
29 西郷信綱  G Y M 32 0.2%
29 篤姫 寺田屋事件  G Y M 32 0.2%
31 寺田屋 焼失  G Y M 30 0.2%
31 室町和久傳  G Y M 30 0.2%
33 NHK篤姫  G Y M 28 0.2%
33 レスタト  G Y M 28 0.2%
35 英姫  G Y M 27 0.2%
35 甘樫丘  G Y M 27 0.2%
35 和宮 家茂 写真  G Y M 27 0.2%
35 落飾  G Y M 27 0.2%
39 しる幸 京都  G Y M 26 0.2%
39 勝 海舟  G Y M 26 0.2%
39 NHK篤姫  G Y M 26 0.2%
42 二十世紀少年 浦沢直樹  G Y M 25 0.2%
43 しる幸 京都市  G Y M 24 0.2%
44 鍵善  G Y M 23 0.1%
45 京都 桜田  G Y M 22 0.1%
45 小松帯刀 琴花  G Y M 22 0.1%
47 勝海舟 篤姫  G Y M 21 0.1%
47 伏見夢百衆  G Y M 21 0.1%
49 和宮 篤姫  G Y M 20 0.1%
49 京都 しる幸  G Y M 20 0.1%
49 じょうしょうこうじ  G Y M 20 0.1%
49 篤姫 和宮 写真  G Y M 20 0.1%
49 京都 ホットケーキ  G Y M 20 0.1%
54 魚三桜  G Y M 19 0.1%
54 貴志祐介 新世界より  G Y M 19 0.1%
54 家茂 写真  G Y M 19 0.1%
54 鉄道模型 自作  G Y M 19 0.1%
54 紅鮎  G Y M 19 0.1%
54 篤姫 幾島  G Y M 19 0.1%
54 20世紀少年 まとめ  G Y M 19 0.1%
61 HD 増設  G Y M 18 0.1%
61 篤姫 小松  G Y M 18 0.1%
61 ぎろぎろ 木屋町  G Y M 18 0.1%
61 篤姫 写真  G Y M 18 0.1%
61 恭仁京  G Y M 18 0.1%
66 京都 書店  G Y M 17 0.1%
66 高石智一  G Y M 17 0.1%
66 自作PCケース アクリル  G Y M 17 0.1%
66 皇女和宮 懐妊  G Y M 17 0.1%
66 On30  G Y M 17 0.1%
66 ヨルムンガンド 高橋慶太郎  G Y M 17 0.1%
66 ジぶり  G Y M 17 0.1%
73 十二国記 丕緒の鳥  G Y M 16 0.1%
73 SAMURAI Z  G Y M 16 0.1%
73 家茂 和宮 写真  G Y M 16 0.1%
73 家茂 和宮  G Y M 16 0.1%
73 美瑠姫  G Y M 16 0.1%
73 asus raid 設定  G Y M 16 0.1%
73 前方後円墳 写真  G Y M 16 0.1%
73 緒方拳 風林火山  G Y M 16 0.1%
81 出藍の誉れ  G Y M 15 0.1%
81 少女ロボ 大阪大学  G Y M 15 0.1%
81 ノート ハードディスク 取り出し  G Y M 15 0.1%
81 勝海舟 小松帯刀  G Y M 15 0.1%
81 お由羅騒動  G Y M 15 0.1%
81 アートスペース上三条  G Y M 15 0.1%
81 皇国の守護者 感想  G Y M 15 0.1%
88 壬申の乱 地図  G Y M 14 0.1%
88 和宮  G Y M 14 0.1%
88 CPU 掃除  G Y M 14 0.1%
88 小松帯刀 子孫  G Y M 14 0.1%
88 齋藤一土方歳三  G Y M 14 0.1%
88 鉄道模型 ジオラマ トンネル  G Y M 14 0.1%
88 登喜和 周山  G Y M 14 0.1%
95 プルートゥ  G Y M 13 0.1%
95 十三の冥府  G Y M 13 0.1%
95 椿井大塚山古墳  G Y M 13 0.1%
95 ミスタースタンプス ワインガーデン  G Y M 13 0.1%
95 ハリウッドハイランド  G Y M 13 0.1%
95 二十世紀少年 ともだち  G Y M 13 0.1%

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2008年10月15日 (水)

小説木幡記:2008/10/15(水)クラウド:雲中のスーパーコンピュータ

 今夜NHKのクローズアップ現代で、「クラウド」雲、つまり巨大なスパコン(スーパーコンピュータ)が目に見えないインターネット上で稼働し、それを有効利用する者達には、「コンピュータが目に見えない=雲の上」、と言われ出したことの解説があった。

 多くの企業が採用しだしたようだ。
 発端は例によってアメリカのヴェンチャー企業らしい。余には耳新しいので正式名称は覚えられなかった。ただ、後発の(笑)マイクロソフト社のCEOもさかんに「クラウド」を連発していた。そしておなじみのGoogleもクラウド会社と提携したようだ。クラウド会社はビジネス、Googleは消費(一般利用者)という構図らしい。

 そういえば、Googleのサービスの中に、ネット上に文章や数値を蓄え、自由に使えるサービスが昨年?くらいから日本でも使えるようになっていた。(Googleドキュメント
 それのビジネス判だとあたりを付けて、30分鑑賞しておった(まるで大河ドラマのように)。普通の大企業で、開発経費は1/6、運用も1/6の投資でできて、データ管理はクラウドの会社に任せ、インターネットが使えればどこからでも、企業で必要な仕事は全部やってくれるのだから、便利なものだ。もちろん各PCには、高額ソフトウェアを入れる必要はない。多分、ブラウザを少し改良した専用入出力ソフトか、ないし別の中小企業事例では、ブラウザで直接扱っていた。

 もちろん、ビジネスだから、これまで高額すぎて、とても使えなかったようなソフトアプリケーションが、小さなお店や工場でも安価に使えるのがクラウドの目玉だと、紹介されていた。たとえば、高度(すぎる!)人事管理、予測推測、そういう難しいことが、すいすい出来る場面がたくさんあった。店売の商品予測なんて、全国・世界あらゆるところから、たちどころに消費傾向がグラフ化される(だろう)。

 これが可能なのは、雲中にあるスパコン(Sunのマークが目だった(笑))というのか、高速ワークステーションの集合体なのかが、強力だから、PCでは出来ないことを、関係者全員がそれぞれに使える。そして、入出力ポイントの自由度が高いから(多分、新幹線からでも、喫茶店からでも)、あらゆる関係者が断片的情報を随時入力し、データベースの密度が高くなる。

 人工知能の古典的用語で言えば、教師付(統合ソフト、ないし会社幹部)黒板(関係者の数だけ書き込み、読み込み、自由)システム、と言って良いだろう。

……

 と、話が小難しくなってきたので、要点をまとめると。
 業務システムが、現代blog並に扱いやすくなった。それは個人にとってもそうだ。高級PCに山のようなシステムを積まなくても、ネットにアクセスするだけでよい。つまりはケータイでも。iPhoneなんて似合っているね(笑)。
 そしてそこから得られるデータは、全社一丸の共通データベースを強力なソフトウェアで処理加工したものだから、精度や扱いやすさが格段に良くなっている。

 恐ろしい話だが、各営業の個人的精密な働きぶりや、近未来の成果予測まで、あっという間に表示される。
 メリットは以上のようにいろいろある。
 (メリット・デメリットはコインの表裏、じゃがね)
 まるで、MSーOfficeさようなら、クラウド・システム今日わ! のように見える。

 ただね。好事魔多しとか、古典にもいわれておって。
 注意事項もいっぱいある。しかしそれは専門家のお仕事。
 余が言えることは、今から40年も昔、余は300ボーの通信速度で、小難しい業務を一括管理してくれるIBMのサービスに惚れ込んだ。IBMにある当時360システムだっけ、が全部まとめて処理してくれて、各顧客は安価にサービスを使えるという優れものじゃった。同時期に当時の電電公社(NTTの昔の名前)も、似たサービスをやっていた~。この頃は、集中管理が時代の先端だった。

 そしてPC時代が到来した。しかしまだ非力だった。
 インターネットが出た時代、1990~、それは「分散方式」が時代の先端だった。
 そして今、クラウド雲中スパコン。これはね、集中管理方式の世界規模のものだ。
 さて、その先は。
 みてみたい。

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2008年10月14日 (火)

小説葛野記:2008/10/14(火)「島図書館」のメモ

 今朝起き抜けに「島図書館」トロッコ列車というイメージが頭の中に満ちあふれた。
 ずっと以前から、島図書館周辺にトロッコを走らせる考えはあった。その発端は、情報図書館学の平成15(2003)年度作品「島図書館」だった。

 当時発表を聞いて、余は夢心地になった。瀬戸内海の島にトロッコ列車が走り、図書館があり、リゾートによし、研究によし、学習によし、日なが海を眺めて時々海底の様子をみて、散歩して読書して暮らすなんて、この世の楽園ではないか。
 そういえば、海底牧場とかいうSFが大昔あった。再読してみよう。
 HPの抄録では、しかし肝心のトロッコ列車のイメージがなかった。採録した当時の倶楽部・三番隊長が、全74頁の報告書から、トロッコは外したようだ。さて、どの三番隊長だったのか(笑)。この「島図書館」班の副班長が後の、局長2004として倶楽部に君臨した。今朝はそれも思い出していた。

 さて。
 余は、まだ整理もできていないが、N1邪馬台国周遊図書館、N2高台の図書館、N3山裾の図書館をすでにMuBlogに掲載してきた。そのうち「N2高台の図書館」はシリーズとして確立してきておる。一番先に完成することだろう。勿論、「N0嵯峨野鉄道図書館」は習作として2008年春に完成しておるが。
 今朝は「N4島図書館」についてメモを残し、後の建設に役立てようと思った。

1.孤立した瀬戸内海の島
 孤島の中心に図書館を置き、これを生涯学習の拠点とする。昨今は100歳まで生きるのが普通だから、最後まで人間らしく、感性を磨き知性を錬磨する「場」が必要である。ただ遊ぶ人生よりも、考えながら遊び学ぶ空間を作りたい。風光明媚で波静かな瀬戸内海は絶好の位置だと考えた。

2.島にトロッコ列車
 島を散歩するのもよい。しかし移動読書という要素を常に考えておきたい。通勤電車の読書は、単に時間つぶしのためではなく、僅かな拘束感の中で読書しながら空間と時間とを横切っていくという未知の要素が必ずそこにある。
 島図書館は、平成15年度の作品をまねて、トロッコ列車と電気自動車を島の移動に役立たせる。

3.海底図書館
 もともと「海底図書館」として独立したものを将来に考えている。
 しかし「島図書館」隣接ないし、島地下に海底を眺める図書館を併設するのもよいと思った。勿論、トロッコ列車はポイント切り替え一つで、海底に潜っていく。

4.ジオラマ概要
大きさ
 大きさは悩むところだが、葛野研や屯所の広さ、そして教室移動を考えると、60x60センチ程度になる。これはTOMIXの小型ボードを2枚あわせるとその大きさになり、使い勝手も造り勝手もよい。
 地形材質はいつものとおり、分厚い発泡スチロールでいく。これは切り刻むだけで簡単に整形できるので最良と考えておる。その上に、プラスタークロスと石膏を塗って、それなりの堅固なものが出来るだろう。

レールの半径 
 レールの種類だが、またしてもTOMIXのミニカーブレールを使う。海と島との面積を3:1程度にするなら、半径10センチの超ミニカーブになるが、これは列車走行に制限が大きい。となると、やはり1:3程度にして島を大きく取り、半径14センチか17センチにするのがよかろうか。
 ただし、海底線路を多用するなら、島の割合は1でも、レールの半径は大きく取れる。悩むところだ。

海の表現
 これが問題だ。いつもの「叩きモデラー」のやり方だと、だれも海とは思わず「沼ですか? 田んぼですか?」と言われるに決まっておる。これは、ちょっと根性入れて「海の製作」を勉強しないとならない。

トロッコ列車
 原点にもどって、嵯峨野トロッコ列車をモデルにせざるをえない。しかしDE10タイプのジーゼル機関車でも大きいと思うことがある。何か工夫が必要だ。
 そして木材(3mm程度の木、つまり割り箸かな(笑))で、いかにもそれらしい木橋(木造足組橋)を造ってワイルドな雰囲気をだそうかい。森博嗣先生の、On30レイアウトが、余のイメージにある。

島図書館本館
 今度こそ、できあいのストラクチャ(建物)じゃなくて、本館と海底地下間を連動させた構造的な図書館を必要とする。アクリルや紙を上手に使って、これだけで半年かける気持ちで臨まないと、失笑を浴びる。(もう、慣れたがな)
 
*.まとめ
 島図書館は、近未来の生涯学習館に通底する。モデルを造ってそこに遊び学ぶ余の余生は、充実しておるなぁ~。平成15年度の「島図書館」班、ならびに局長2004に乾杯。

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2008年10月13日 (月)

小説葛野記:2008/10/13(月)休日の過ごし方

 後の思いに、今日のことを書きつけんとするなり。
 昨夜就寝が22時前で、起床が午前4時、おおよそ6時間強の睡眠なり。

ソーダー飲んで元気だそうだ
 洗顔朝食をさっさとすませ、ソーダ村の村長さんがソーダー飲んで死んだソーダー、……。と軽やかに鼻歌まじりでソーダーと野菜ジュースと頭のよくなる薬草茶と、煎茶と、アイスコーヒーをそれぞれ一杯ずつ飲んだ。余は朝の飲み物に凝っておるなぁと、自然ににんまり笑った。

 朝の勤行(ごんぎょう)前に、昨夜の夕食を思い出した。「たこのお造り、エビと、なすびの天ぷら、豆腐の味噌汁、デザートは大きいブドウ、漬け物」思い出せた。まだ、脳は活きておる。全部うまかったなぁ。

プロジェクト・湖底宮
 今日は祝日ということも知っていた。なるほど、記憶も確か。それで、ずいぶん久しぶりに勤行につけた。一週間ほど前から、メモやデータベースを眺める気力がわいてきて、結局半年ぶりに再開できたわけだ。名付けて「プロジェクト・湖底宮」うむ、快調だった。
 結局、午前5時から10時半まで、悠々の再開だった。まだ、脳は生きておる。

 さすがに終日勤行は無理なので、茶を一杯飲んで、考えを巡らした。「そうだ、授業準備が終わっていない」と気づいた。しかし実は、今週の時間帯は授業時間にも飛び入りがあるので、電子紙芝居をかんかんになって手直しするまでもない。余裕のよっちゃん。
 そんな気分で「ひゃかしに、葛野でもいくか」と決めた。余は、一種の病気と自覚しておるが、木幡と葛野間しか出歩けない難病にかかっておってなあ。

味わいの飽和
 とるものとりあえず、木幡をRSで出て、途中一号線で早い昼食をとった。しかしいつもは好きなラーメンんが、なにかしらおかしく感じられた。
 「もう、ここのラーメンは止めておこう」と、決めた。
 いや、体調がわるいわけでもないし、そこのラーメンがまずくなったわけでもない。
 余は、要するにある期間好きな物を食べると、やがて飽和状態になって、別のものに目がいく、それが非常に極端に明瞭にあらわれるわけだ。そのラーメンは、比較的短くて、三ヶ月の間に6回通った。月に二回程度だ。とても気に入っていたが、しかたない。
 次に再会は、おそらく数年後だろう。

 と、考えると毎日毎夕、食膳が変化するのは、実にありがたい。いくら好きでも毎週数回たこのお造りがでれば、ある日とつぜん「もう、だめ」となるからな。
 不思議なのは、お米だ。これは物心ついて以来、毎日たべているが、飽きないねぇ。パン好きが1割、蕎麦うどん好きが2割、あとの7割は米好き男だったんだ、余は。

冷やかしの葛野詣で
 さすがにキャンパスは完全無人だった。気持ちがよい。
 さっそく珈琲を入れて、電子紙芝居に取りかかろうとしたら、不意に睡魔に襲われた。12時だったろうか。気がついたら、1時を過ぎていた。ほんまに、よく眠る男や。あはは。

 しかし、眠気覚ましにデコハッカ(デコにハッカ油を塗りつける。量にしてスプレーを三吹き。目に入らないように、まるで化粧するかのごとく丁寧に、デコチンに塗り込める。すると、脳がシュワッと生き返る)処理をすませると、またしても元気が出てきた(なんか、おもろい身体の構造やなぁ、とまたしても、にんまり笑う)

 快調に、なんとか.key というMacBookのプレゼンテーションソフトのファイルが、書き込みで増大した。近頃、この手のことはマックにやらせておるが、Winマシンとはまた別の味わいがあって、マックもなんやかんやといわれはするが、枯れてきた。よいのう。

レファレンス回答
 早朝の勤行中に、不意に気になってあることをご隠居の一人にレファレンス依頼しておいた。その回答が、授業準備が終わった頃に返ってきた。意外な内容なので、余は依頼しておいてよかったと、胸をなでおろした。世の中は知らないまに進んでおるようじゃ。
 ありがたいことと思い、丁寧な礼状を送り返した。

最近のお仕事:ハードディスク復旧と、高台の図書館
1.工作:高台の図書館
 高台の図書館は、昨日木幡で石膏固めを完了した。小さなジオラマだが、石の階段や前方後円墳の形態が複雑だったせいか、KATOのプラスタークロス(骨折した時に使うような石膏布:水に浸して貼り付ける)で、全面を覆ったら、なんと20センチ幅の布を2mほど使ってしまっていた。

 仕上がりが今ひとつだったので、その上を工作用石膏で塗り固めた。
 今朝みたら固まっていたが、指をこすると手に粉がついたので、この後はクリアな水性アクリルを吹き付けるか、ジェエッソとかいう塗り物で下塗りする必要があると、感じた。
 しかし木幡のそこかしこが白い斑点だらけになったので、やはり木幡研で塗装は無理と思った。そのうち、気が向いたら葛野の工作室で、色塗りをしてみよう。

 しかし、隊員たちがまたしても、余をにらみつけるような気がして、気が重い。
 どこもかしこも、工作好きの女性は少なくて、困るねぇ(笑)。一時は、屯所を発砲スチロールの切りくずだらけにして、総スカンをくらったような、気のせいだろう。
 求む、工作愛好少年少女! 委細面談、JK、JD問わず。

2.ハードディスク復旧百パーセント!
 この僅かの間に、起動しなくなったハードディスクを3度修理し、すべて必要ファイルを復旧できた。ふむふむ。
 余もまだ、焼きが回っていないようだ、手技も脳もまだ活きておるぞぉ~

 一つは昔のご隠居さんのだった。2005年ころのSONY-Vaioノートマシン。今は知らないが、当時のSONYはまだ解体が難渋した。裏蓋だけでも合計30本ほどのネジ外し、往生した。しかし、データファイルは合計20GBほど、完全に復旧した(はずだ。人のファイルを眺める趣味もない)。
 一体、20GBものデータって何なんでしょう(笑)。

 一つは屯所の右京マシン。これは土曜日に一番隊の二名を「HDD復旧のトレーニング」を兼ねて呼び出した。可哀想に二人とも連休前の土曜日に、小うるさい顧問に~。
 結局二人は所用で、午前中に帰ったが。
 実は、午前中は、HDDの内容は確認できたが、肝心の倶楽部ファイルがまったく見あたらなかった。要するにロックされていたわけだ。二人は諦めて帰ったとも言える。

 そのあと一眠りしたら、アイデアが忽然と余の脳にわいてきた。
 で、全部復旧できた。
 しかし、このことは詳細を公開出来ない(邪笑)。

 最後は、自分の携帯用小型(2.5インチ)HDDだ。これは、さっき修理した。要するに、外付けタイプのを昔買ったわけで、80GBほどあったから、当時は小一万円しただろう。今なら、安いと思う。
 これが読み出せなくなった。
 で、そこに付いていたインターフェースを取り外し、その代わりにツールを使って、マシンに直づけしたら、あはっは、これも治った。
 
 余は大昔からハードディスクを愛惜してきた。あの重み、頬にひんやりする金属の冷たさ、電源をいれるとグゥーンと回転する官能音。そう、耽溺してきた。だからこそ、余の手かざしで、HDDは簡単に中身を見せてくれる。

 ただし、物理的なクラッシュは無理だ。回転部分がすり切れているようなHDDを手かざしでなおしたら、それこそギネスブックに掲載される!

 今後は、シリコンディスクというのか、フラッシュメモリが大容量の時代になっていくじゃろう。その時、クラッシュしたらどうなるのか。以前、一度だけある時期の倶楽部局長のフラッシュメモリをなおしたことがあった。結構喜んでもらえた。しかし、それは復旧に、合理的な理屈があったわけではないので、再現性は薄い。
 今後は、フラッシュメモリも愛惜しましょう。
 諸君、愛は不可能を可能にするぞぉ~。

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2008年10月12日 (日)

NHK篤姫(41)小松帯刀の薩長同盟

承前:NHK篤姫(40)篤姫と和宮、家茂を挟んで写真を撮る

鑑賞前
 今回のタイトルは、NHKと同じく「薩長同盟」にせざるをえませんでした。これまでの小説やドラマでは、薩長同盟と言えば、坂本龍馬の周旋だけが光っていましたが、しかしこの「篤姫」では、小松帯刀が薩摩藩家老として重きを成すはずです。
 このころかどうか知らないのですが、長州の殿様は部下のいうことに大抵は「そうせぇ~」と肯定的に答える人で、ソウセイ公とか言われたらしいです。だから、長州側は若手が決めれば薩長同盟でも何でもありと、思っていました。桂小五郎さんもこのころ若かったはずです。

 さて、薩長同盟:薩長連合は、附録に任せて今夜のドラマ、いかなりますことやらお楽しみ。
 ……

和宮の若さ故
 今、ドラマを見終わって。
 あれこれありましたが、今夜は和宮さんのことに話を向けてみましょう。
 家茂を上方へ送り出すとき、天璋院篤姫さんは笑顔で送り出し、それをそばでみていた和宮は、実母が亡くなった後、天璋院からの語らいに、にべもない返事をしました。それどころか、「あなたは、笑っていた」と怨じるわけです。

 このころすでに和さんは20前後だったはずですが、武家が武運長久を願って笑顔で出征を送る習わしが、どうしても理解出来なかったのかも知れません。
 あるいは、「女」はそのように男を送り出すという風習が、そのころの朝廷・皇室・公卿の中ではなかったのでしょうか。

 出征男子を送り出す風習がなかったから、和宮は母親からも庭田さんからもそういう教育を受けていなかった。悲しみは悲しみとして、幾分無表情にすることが、和宮の生き方だったのでしょうか。
 あるいは、和宮が「死地に出向くものを悲しませてはならない」という、相手への意志よりも、自分の悲しみにどっぷりひたる自己中の方だったのでしょうか。若い人は、どうしてもその傾向が出てしまいます。相手も含めて、回りのことよりも、自分のことで精一杯になり、行動や感情表現がイビツになるわけです。

 どちらにせよ。
 またしても、義母篤姫は、嫁和宮にてひどい扱いをうけたわけです。
 当然ですが、私は篤姫の肩をもちました。それは、幾分、和宮役の演技が、まさしく若い女性そのものを演じきっていたからでもあります。つまり、和宮の篤姫を怨じる姿は迫真だったと言えます。なかなか、毎年毎回、大河ドラマの役者は、みなさん上等だと思いました。

「お琴」と「おりょう」 
 お琴さんの押しかけ側室姿は、愛嬌があって、幾分せっぱつまった哀愁もあって、良かったです。女性も、男性に入れ込んでしまうと、命をかけるものですね。当時だからでしょうか。今でもあるのでしょうか?(笑)
 いやいや、帯刀君がよほどに良い男だったからなのでしょう。時代を問わない話だと思います。お琴さん、芸者姿と、町行きすがたの対照がよくあらわれていました。

 一方、おりょうさん。
 これは司馬遼太郎さんの受け売りですが、怜悧な美少女だったようです。ただし滅法クールというか、愛嬌よりも勝ち気さが勝負の女性だったようですね。その記憶があったので、今夜のおりょうさん、とても似合っていました。えらい、ずきずきと話す女性で、龍馬が言い負かされて「はいはい」というシーンがおもしろかったです。

小松帯刀
 薩長同盟ですが、薩摩の中心人物である久光(藩主ではない)に提言したのは帯刀として描かれていました。後世、知謀でならす大久保さんが、薩長仲直りには、なかなか同意しなかったシーンがありました。それだけ、小松帯刀の聡明さを強く印象づけました。

 ともかく、これまでの幕末維新物語に比べて、このドラマでは小松帯刀さんが相当に大きな扱いを受けています。女性主役が篤姫さんなら、男性主役は小松帯刀さんだったと、40回も過ぎた今になって、ようやく得心出来ました。最初は、単純に篤姫の幼馴染みとしか考えていなかったのですよぉ(笑)。

 小松さんが結局、龍馬や後の亀山社中の若者を数十人も薩摩に連れ帰って、さすがに久光さん、唖然としていた様子でした。もちろん久光さんは、そういう考え(人物を育てる)が出来る者が幕府におれば、もっと世の中が変わっていると、言いました。そして、帯刀の行動を「良し」としました。

附録:薩長同盟(連合)
 1866(慶応2)年、つまり明治になる2年前、京都伏見の薩摩藩邸(注)に、薩摩からは小松帯刀と西郷隆盛、長州からは桂小五郎(後の木戸孝允:きどたかよし)、そして土佐藩脱藩・坂本龍馬が集まりました。龍馬は両藩の周旋、調停役だったことになります。

 すでに長州は幕府の第一次長州征伐で敗北し、朝廷からは賊軍と見なされていました。一時は、幕府と一緒になって攻め立ててきた憎い薩摩藩。長州がその薩摩と盟約を結んだわけです。

 敗北によってもたらされた朝敵・賊軍という立場は、当時の長州にとって、孤立無援に追い込まれたと思います。それが、坂本龍馬によって氷結したことになります。記憶では、桂小五郎は用心深い人だったので、こういう博打に手を出したのが不思議な気もしますが。

 これは、幕府にとっても朝廷にとっても驚愕の事件だったことでしょう。しかし、明確な藩主同士の取り決めではなくて、それぞれ若手間の密約、約束だったわけです。ドラマが先か、史実が先か(笑)、小松や西郷、坂本や桂、みんななにかしら知り合いだったのだと、思います。

(注)ドラマの最後の解説では、薩長同盟が話し合われた場所は京都の一条戻橋あたりの小松帯刀京都邸になっていました。あるいは同志社大学近所の薩摩屋敷とも。伏見の薩摩藩邸は寺田屋が藩士定宿だったこともあり印象にのこり、私は混乱しているのかもしれません。あるいは京都の小松自宅が最近の定説なのでしょうか。

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2008年10月11日 (土)

小説木幡記:2008/10/11(土)祇園快走夜行バス

Gionyako047

 ただのバスなんだが、写真を眺めていておやっと思った。掲載するにしくはない。
 そうだった。このバスは日頃走りそうにもない所を走っていた。乗り合いバスではなかろう、観光バスだと思う。

 いま、書きながら気付いたが、もしかしたら京都の夜を走ろう、という観光バスではなかろうか。
 時間は、20時前後だったはずだ。
 場所は、タイトル通り京都の祇園町南側、花見小路、京料理・美登幸の前あたり。


大きな地図で見る

 そうなんだ。余はこのあたりは完全に歩道なのだと思っていた。いや、タクシーはよく見かけた。それにしても自動車の少ない道だったはずだが、夜行観光バスが走っていたのだ。

 ところで相変わらずGoogleのストリートビューはおもしろい。夜間オプションとかないのだろうか。画面の一部をマウスで押したまま左右に動かすだけで(ドラッグ)360度全景が見られるなんて、SFじみた世界になってきたもんだ。と、驚いているのは葛野老人だけかも知れないが脳。

(ああ、そうだ、今直感があった(笑)。暇なときにためしてみよう)

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2008年10月10日 (金)

小説木幡記:2008/10/10(金)直感と記憶

 華々しくノーベル賞が日本人関係者にもたらされた。物理学賞の南部という先生は国籍がアメリカで、永住されているようなので、アメリカ人と考えておる。化学賞の下村先生は、長年アメリカに住まいしているだけで、日本国籍のままらしい。

 こういう世界では今さら国籍がどうのという論議は、無駄にも思えるが、イタリアの学会が物理学賞の益川、小林先生の関係で、イタリアの研究者に与えられなかったのはおかしい! と怒っているらしい(笑)。まあ、オリンピックの金メダル、百個! とか、ノーベル賞50件! とか、なんとなく「全国に、(薬局とか飲み屋)店舗一千軒!」とかいうかけ声に似て、馬鹿馬鹿しい。

 しかし、なぜ馬鹿馬鹿しいかというと、それは余の個人的理由だが、一言。
 なるようになるのさ、余はそのころ、この世にいないという諦念じゃなくて、真理を体得したので、馬鹿馬鹿しく思えるだけのこと。

 さて、世間の祝い事にケチを付ける気は毛頭ない。
 もともと科学少年だから、忘れていた夢を思い出した。科学者って、よい人生だと思う。一応、好きでやっている方が7割以上だろう。好きでやって、なんとなくこの世の真理の一端を見たり経験したりする科学者は憧れの仕事だった。

 20代のころ、数学者、理論物理学者、コンピュータ科学者の、いまから思うと天才みたいな人達のそばで仕事をしていた(司書)。その想い出は、長くなるので今朝は止めておこう。ただ、懐かしいし、今でも「すごいな!」と思うし、その関係の研究者達はもっとも親近感を持つ人種だった。

 たびたび、若い研究者(今では、みんな大家)に語りかけた記憶がある。
 「あんた、何考えてんのや?」
 「うーん」
 「おもろい本あったら、おしえてよ」
 「ええ、じゃ、幻魔大戦。おもしろいですよ」
 「ほんなら、かりるわ」、……。
 ……。

 学問で一番分かりにくかったのは、そのころは素粒子論だった。理論物理学といって良いのだろう。なにかしら、直感的に思えた。何かを覚えていて、それを組み合わせると言うよりも、キラリと光るものがあって、それがぐわーっと脳内でズームアップして、全貌がわかる。そんな学問に思えた。だから、抽象的すぎて、縁遠い世界だった。

 数学は? これはたまたま懇意にしていた大家が、応用数学というのか、一般科学書も書いておられたので、身近に感じた。四色問題とかあって(忘れたが)、それの理屈を書いておられた。素粒子論よりも、分かりやすかった。
 コンピュータ科学? うん、これは理論よりも実践面で役にたった。ただ、30代、40代ころからは、「日本語文章」というものをどんな風にコンピュータのメモリーの中で泳がすのか、整理するのか、というそういう視点で、いまでも大好きな分野になってしまった。

 最後に。
 素粒子論の、少し年上の先生と仲良くなって、余は自宅で、大枚はたいて買ったPC(今なら高級車並の価格だ)を御覧にいれた。当時のBASICで、数学的な曲線をいろいろ描いてみせたら、先生は目を丸くされていた(笑)。というわけで、直感的には一番分かりにくかった素粒子論が、人間としては結構おもしろく味わえたという記憶。

 実は、直感と記憶は別の観点(認知心理学系かな)で書こうとしたが、途中で変わってしまった、あはは。

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2008年10月 9日 (木)

小説葛野記:2008/10/09(木)倶楽部断簡:経年変化

葛野図書倶楽部2001の経年変化

 最近、倶楽部屯所の器具類が悲鳴を上げだした。
 スキャナー:画像が完全に入らないようだ→ 学生達の過去作品を整理してHPに掲載するための必須用品。
 プリンター:部品の一部が耐用限度を超えたと毎回メッセージが出る→ 日々倶楽部員達が倶楽部業務の為に使っている。
 右京PC:起動しなくなった→ 機関誌の編集や、図書貸出システムになくてはならないWindowsマシン。

 倶楽部員たちは、年々歳々入部退部、そして卒業し入れ替わっていくが、研究費のお下がりで屯所に置いてきたIT用品は長年変化がない。
 それが、今秋のきなみ不調を訴えだして、余は困っておる。

 隊員の中にも誤解している者がいて唖然としたが、故障は業者を呼べば簡単に治ると思っている人がいる。もともと倶楽部の目的には、こういうことが将来身近で発生しても、さっさと処理できる技量を持つための訓練施設という意味もあった。
 それに。
 業者が無料で治してくれるはずがない。耐用年限賞味期限を大幅に過ぎたマシン類を、だれが無料奉仕で治してくれるものか! 新品買うほどの修理代がかかるかもしれない、……。

 もう余の今年の研究費は底をついた。
 しかたない、ロートルの震える手、霞む目を我慢して、無料奉仕で治さないとならない。

 スキャナーは、分解して組み立てればなんとかなりそうな予感。画像が切れるのは何故なのか、ネットで調査してみよう。
 プリンターは、部品のメンテナンスをメーカーサイトで捜したら、「すでにサービス年限をこえました」と書いてあった(笑)。これは、完全に壊れるまで、メッセージ無視でいくしかない。
 しかし、エプソン君、長い間酷使によく耐えてくれた脳。もう、10年は使っている(爆)。つまり倶楽部がない頃から余は使っておった。長持ちじゃ。大学中さがせば、どっかにまだ動くプリンターが廃棄場にあるかもしれない。捜してみるか。

 右京PC、これはまだ4年くらいしか使っていない。新品で屯所に置いた廉価マシンじゃ。とりあえず、近日中に分解して修理してみる。HDDがクラッシュしたか、ないし画面出力まわりがおかしいようじゃ。PCの修理は余にとって気楽とも言える。要するに、作り直すと考えればよいわけ。ただしメーカー製品はぎちぎちの部品配置をしているから、シャーシー内部が細かくてじゃまくさい。
 問題は、昔からの倶楽部の記録が全部パーッと消えた可能性、……。必要なものは入れ直しになる。困ったことじゃ。どっかにバックアップがあればよいが、隊員達に口を酸っぱくして言っても、壊れるまではだれも気にしない世界やから、……。

 こうしてあちこちで一斉にIT反乱というか、不調の兆しが見えてきた。
 なんとかしなくっちゃ。
 余が、ノーベル賞でももらえれば、その賞金を葛野図書倶楽部2001に、バーンと一千万円ほど渡せるのじゃが。あいにく、物理学も化学も縁遠い。
 残る可能性は、ノーベル文学賞か、平和賞しかないなぁ。

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2008年10月 7日 (火)

小説葛野記:2008/10/07(火)読書の秋です

 自分の読んだ本を人に知らせるのは、blogならではのことだ。こんな仕組みが無い頃は、ごく限られた知人や親友と、「こんな本を読んだぞ。おもろい」とか言う程度だったが。
 もちろん、どんなおもしろい本があるかという情報も、書評新聞とか、一般新聞や雑誌の書評欄で知るくらいしかなかった。京都は昔から書店が町にいくつもあったので、たまに出かけると店頭に置いてある図書で、流行を知った。

 ところが。
 実は、blogが出来たおかげで、気に入った読書の後、感想文を発信することは多くなったが。
 逆に情報採取については、昔と変わらないことにも気がついた。余は、受容器が壊れているせいか、自分で求めたものしか手にしないようだ。例外はある。これだけ長く生きていると、まわりに何十年来の読書好きがいて、その人たちが勧めるものは、貴重な情報、貴重な別世界の窓口として、受容してきた。
 だから、図書本位制というよりも、「お勧め」人物本位制というのがあたっている。

 そのことは、よしとして。
 秋になって、毎晩読書しながら眠っている。数頁読むと目が自然に閉じられて、気がつくと朝だから、遅遅とした読書だが。

1.松本清張さんの眩人:うむうむ、不老長寿かな。
2.森博嗣さんの、α目薬・Gシリーズ:ふむふむ、目薬怖い。
3.内田康夫さんの歴史もの、天海大僧正さんの本:ふう、余は信長と同時代でなくてよかった。
4.宮部みゆきさんの、理由:理由がわからない。
5.ハハキギホウセイさんの、国銅:石から銅ができる話(笑)

 こうしてみると、余は小説類は、ごく狭い範囲を何度も何度も読んでいる雰囲気だ。作者自身は、斬新さとか、これまでになかったものとか、お考えかもしれないが、これまであってもなくても、今の余が受容できるかどうかが問題なのだ。つまり、古くても新しくても、読むのは余なのだ。
 多分、これからもずっと、リストした世界の中で遊ぶことだろう。どれも気に入っている。

 読書の秋。
 それは魂が静かになる季節でもある。心の珠が落ち着いたとき、あらたなものが生まれてくる、そんな予感。人はなんのために読書するのか。私は魂鎮めのために読書する。だから、シュールすぎるもの、激しい物は読みたくない。おだやかに、静かに、頁をめくりたい。もう、若くはないのだから(笑)。

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2008年10月 5日 (日)

NHK篤姫(40)篤姫と和宮、家茂を挟んで写真を撮る

承前:NHK篤姫(39)薩英戦争と徳川家茂

まえおき
 篤姫も40回目を迎えました。全部で49から50回の大河ドラマですから、終盤に入ったわけです。のこり20%がどう動くのか、楽しみですが、毎年一抹の寂しさをあじわうようになります。秋から冬の移行に気持が同調するのでしょう。
 MuBlogの過去事例を今朝眺めてみました。
★2007年 NHK風林火山(40)三国同盟よりも由布姫の去就
 ヒロイン由布姫(柴本幸)が20代半ばで亡くなる直前の回でした。由布姫と山本勘助の十年来の関係が切ないです。
★2005年 NHK義経(40)義経の血涙
 「義経が記した腰越状」の一夜でした。兄頼朝は京から訪ねてきた弟義経を鎌倉に入れなかったのです。兄弟の悲劇として有名なエピソードだったのです。義経や頼朝の顔をはっきり思い出します。
★2004年 2004/10/10-2(日)新撰組と言葉
 沖田総司が、友人・藤堂ヘイスケの新選組脱退に苛立つ回でした。藤堂は近藤局長や土方副長から日頃ねんごろな言葉をかけてもらえなかったから、自分を大事にしてくれる「伊東参謀の御陵衛士に加わる」という流れでした。それに対して沖田が悲しみながら、藤堂を「言葉がなければ、理解できない未熟者」となじったわけです。

 一つ一つの大河ドラマの40回前後は、終盤に入る一抹の悲哀感を思い出させます。さて、今夜の篤姫はどうなんでしょう。長州が中心になる「蛤御門の変」は、歴史的には重要なことですが、薩摩と徳川とを中心にした「篤姫」では、一つの事件としか扱わざるをえません。せめて、Google地図なりと記録しておきます。


大きな地図で見る
(蛤御門は、京都ガーデンパレスの東側(右ですね)の道路に立って、「ストリートビュー」ボタンを押すと周辺の様子や門を見ることができます)

今夜のドラマ
 今夜見終わって、いくつものエピソードを思い返し、つまりは篤姫と和宮に気持がおさまりました。もともとの話として、世間一般の立場からみると、天璋院篤姫と皇女和宮が折り合うことは非常に難しいわけです。まず嫁姑、それはもうよいでしょう。江戸のヱビスと都の雅。生まれも育ちもまったくことなるわけです。兄孝明天皇からの使命は攘夷を家茂が果たす約束で、公武合体をすすめ、その象徴が和宮降嫁だったわけです。さらに美しく若い義母篤姫は、和宮からすると家茂を挟んだ△関係の嫉妬の火種ともなるわけです、……。

 それだけの、厳しい環境の中で、なお篤姫は和宮の気持ちを理解し、どんな時にも手をさしのべます。今夜は和宮の懐妊話に手を打って喜び、それが間違いと分かったときには、涙を流します。持ち前の人の好さと言うよりも、原作者の宮尾さんは、天璋院という女を希有な、男気というか女侠、そういう女性として描いたわけです。多少の異説はあるでしょうが、つまりは天璋院篤姫は薩摩出の情理ともに熱い女だったわけです。

 一方、西郷さんが島流しから帰り、小松帯刀さんには都の花、琴花さんが吸い寄せられていきます。そして海軍操練所を「蛤御門の変」のあおりで閉鎖せざるを得なくなった勝海舟は、坂本龍馬を小松君に引き合わせ、30人ほどの塾生のめんどうを薩摩藩に頼み込みます。このことが後日龍馬と帯刀の名コンビを生んだわけでしょう。また、驚天動地の薩長同盟も、決して龍馬だけでなく、西郷さんだけでなく、桂さんだけでなく、小松帯刀という薩摩の重鎮がいたればこそ、だったのではないでしょうか?

 朝廷では、一橋慶喜(家茂将軍の後見人役ですか)が、何度も「長州など、私めが成敗いたします」と豪語しておりました。蛤御門の緊急時には良かったわけですが、来週の長州征伐戦となると、怪しい話になってきます。総大将は、江戸から家茂が行くことになり、……。慶喜さんのカメラ写りが先回も今回も、まことに悪相となっていました。これこそ演出の妙味というか、終盤の伏線として、すでにこの段階で、最後の将軍慶喜の描き方が、はっきり出ています。

 江戸では、家茂将軍の出陣に、篤姫も和宮も暗澹とし、不吉な影がただよいはじめました。

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小説木幡記:2008/10/05(日)ジョウビタキ(尉鶲)の秋→モズ(百舌鳥)らしいです

Muimg_1694

 日曜日のお昼、木幡は小雨でした。鳥たちは傘も合羽もなく、飛んだりとまったりしていました。木幡研周辺は渡り鳥の住み処のようです。
 日頃は鳥たちを気にもかけないのですが、促されて眺めてみました。たしかに、目のあたりの化粧が古代エジプト・ツタンカーメン風で、洗煉されていました。
 鳥たちも化粧一つで猛禽類の漢字にふさわしくなり、それなのに横顔を見ると優しげに見えて、ついつい見とれてしまいました。最初は双眼鏡で眺めていたのです。

 このお化粧の特徴から、ジョウビタキ(尉鶲)の雄と推定しました。鳥もけものも雄の方が美しいわけですね(笑)。孔雀やライオンやガクトを思い出して下さい。

 ついちょっと諸本を読んでみると、シベリアのバイカル湖より南東部、サハリン、中国北部や中央部で繁殖し、冬になると日本に渡る鳥のようです。日本画の題材にされてきたとか。(けさの鳥/山岸哲.朝日新聞社)

 こういう鳥名は慣れないと難しいので、後日知人に尋ねてみることにしましょう。(タカの渡り)知人の鳥師は、奇縁というか同じカメラを使っているようです。今カメラをみてみたら、CanonEOSとだけ書いてありました。レンズを入れ替えて写したわけですが、Canon zoom lens EF-S 55-250mmでした。目一杯望遠にしたので、250mmと思ってよいでしょう。手持ちでオート撮影だったせいか、なんとなくぼんやりしていますね。小雨のせいでしょうか?(笑)
 数枚とったので、ジョウビタキ(もどき?)の表情をお楽しみ下さい。

ジョウビタキの表情

ジョウビタキ(尉鶲)1
ジョウビタキ(尉鶲)2
ジョウビタキ(尉鶲)3
ジョウビタキ(尉鶲)4
ジョウビタキ(尉鶲)5

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2008年10月 4日 (土)

小説葛野記:2008/10/04(土)能の周辺

能の周辺
 観能の経験は少ない。若い頃に宇治の神社で薪能があったとき、能を楽しむよりも蚊に刺されて四苦八苦したことや、京都の能楽堂で居眠りしたことや、平安神宮の薪能で行列の長さに唖然としたこと、大阪の梅田近くへ、小鼓を楽しみに行った時は、見知らぬ能舞台にたどりつくのに疲れ切った、……。自宅と大学とを往復するしか無い人生なので、観能に出かけるには一大決心が必要だった。

 能の発祥について、歴史的な興味がそれなりにあった。奈良県の川西市結崎(ゆうさき)あたりが、観世能の始まりのようだ。最初は申楽(さるがく)と言われて「能」という言葉が生まれたのは別に調査しなければならない。また「踊る」じゃなくて「舞う」と言わないと駄目です、とは能に身近な「局長2007」(注)からさんざん言われ続けた。

 私は、観世能ができたころの室町時代について興味があって、観阿弥、世阿弥、元雅(もとまさ)の三代について、周辺をいくつか調べたことがある。そこから当時の「能」は現代の「能」とは異なるものだという、感想が生まれた。まず能役者世阿弥は、おそらく現代のスーパー・スターだったという想像。格式に包まれた現代の能楽とは趣が異なり、見る者達は、上は足利将軍義満から公卿、権門勢家、庶民老若男女まで、寺社で催される観世の踊りや舞いに無我夢中になったのだろう。そう、小柄な美少年・鬼夜叉(世阿弥)は、スーパー・アイドルだった。

 しかし生身から発散する強烈なオーラは、年齢とともに衰え、人気もなくなる。なのに世阿弥は高校歴史教科書に名を残し、中世芸能史では筆頭に位置する人物として現代に続いている。
 世阿弥にはもう一つの才能があった。おそらく物凄く聡明な方だったのだろう。人気故に武士階級の頂点にいる将軍義満に愛されただけではなく、時の朝廷の最高権力者にして歴史に残る文化人だった二条良基(にじょう・よしもと)にも気に入られた。良基から藤原家の一字をもらい、「藤若」という名さえ与えられ、最高の英才教育を受けた。悠々の青年時代だったわけだ。

 世阿弥の書き残した「風姿花伝(ふうしかでん)」という著作がある。美学・芸術学の教科書になるような伝書である。こういう作品があった事実から、観阿弥、世阿弥、元雅(優れた謡曲を残している)の三代で能楽が大成されたと言われるのだろう。しかも、世阿弥の伝書(著作)は、不思議なことに明治時代になって初めてこの世に現れた。それまでの500年間、秘匿されていたのか、そういう物があることに気づかなかったのか、それは分からない。幻想的な話だと私は思っている。

 時々観阿弥が踊り、世阿弥が舞い、元雅が謡曲を考案している三代勢揃いのイメージをすることがある。もとより時代的に観阿弥は世阿弥の二十代に亡くなっているから、元雅はいないのだが。そして、そのころの能を想像し、「幽玄」とか「花」とか、独特の能言葉を直接世阿弥や元雅に聞いてみたいと、思うことがある。

(注)葛野図書倶楽部2001、第七代局長2007

後書き
 先週だったか、授業が終わって研究室でまどろんでいるとノックがあった。入ってきたのは見知らぬ学生二人だった。
「能楽部のものですが、◎◎先生の紹介で、原稿をお願いにまいりました」
「はあ」
 ◎◎さんは、大学で毎日毎週、能学部をしっかり支えている方だった。
「あのぉ、○○先輩からも指導を受けた者です」
「あ、○○君? そうなの」
「ええ、今春卒業されるまで、お世話になりました」
 ○○君は、私が顧問をしている葛野図書倶楽部2001第七代局長で、三年間の付き合いがあった。
「わかりました。書きます」

 私は、いろいろあって、能学部とは微妙なつながりがあり、断ることはできなかった。かといって、能楽そのものを熟知しているわけではなく、「書く」と気安く返事をしたが、翌朝「困ったなぁ」とため息をついていた。掲載する誌面は、能楽クラブが発行する数頁の、肩の張らない小冊子だから、困らなくてもよいのだが、結構たくさんの人が目を通しているのを知っていた。
 偽名変名源氏名を条件にしようと一瞬思ったが、それでは余計に目立ってしまう。学生以外の執筆者は毎号大学関係者ばかりだから、私も葛野で使っている名前を出さないと、混乱が生じる(笑)。

 というわけで、『能の周辺』にタイトルを決めた。周辺をうろうろする原稿なら、書けないこともない。一番書きやすいblogにまず書いて、それをそのまま手渡すという実に効率のよい方法に気づいたとき、胸のつかえがおりてほっとした。

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2008年10月 3日 (金)

小説木幡記:2008/10/03(金)電気製品にかこまれて

 余のまわりには電気製品があって、それが日々の生活を支えているのか、余を使役しているのか、電気の奴隷なのか、主人なのか、毎夜電灯を消した途端に朝になるのだから、熟睡中だけは電気の世話になっていないのだろう。
 朝起きてから就寝時までメモしようと思ったが、書ききれなくなるので、思うところをいくつかサミングアップしておく。

1.Nゲージの鉄道図書館列車たち
 葛野と木幡に数基ずつの鉄道図書館ジオラマが作りかけで置いてある。起床時、葛野到着時、授業前後、会議前後、むかっ腹が立った後(おだやかなキャンパスでも、諍いの種はあるもんだ)、帰還前、木幡到着時、就寝前、……。必ずパワーユニットのスイッチにさわる。
 最近の列車は、造りがよくて、発進や停止がものすごくなめらかで、オフにしても数センチの距離をじわじわと徐行し、その後で完全静止する。さらに数台の図書館列車を引っ張って、秒速数センチの低速で、急坂をじわじわと登り降りする。信じられないような、想像を絶する動きなのだ。
 この世界が、家庭用100ボルトの交流を使って、12ボルトの直流に直して、動いている。

2.自動車(愛車:木幡RS)
 自動車はガソリンで走るものだが、実際は電気製品だと思っている。友人が「静かに走るときのRSは電気モーターの電車みたいだ」と言ったのは官能的表現だが、実質的にガソリンを爆発させているのはマイコン制御なのだ。
 突き刺すような明るさのキセノンランプも、エアコンもTVもウィンカーもワイパーも、全部電気を電池からとっている。もう忘れたが、たしか電装系は12か24ボルトだったはずだ。Nゲージ電車と変わらない。

3.PC(パーソナルコンピュータ)
 自作マシンもMacBookも、全部電気で動いている。これでMuBlogを書いたり、Googleしたり、公私のメールを送ったり受けたり、論文書いたり、教室で電気紙芝居をしたり、会議でメモ代わりにつかったり、朝から晩までPCのお世話になっている。
 電気がなくなったら、仕事をせずにすむだろうな。停電になると、充電できなくなるからMacBookだって一日で使えなくなる。

4.部屋の中
 そうそう、葛野研も木幡研も、電灯やエアコンや、珈琲製造器や、……。全部電気で動いている。
 最近はお風呂もトイレも停電するとややこしい。そうだ、電話もいつのまにかインターネット仕様にしたから、停電すると電話も通じない。携帯だって、ときどき充電しないとプッツン。

5.電気(電池)のない世界
 そうだ、少年司書ロボ0号も電気で動いている。
 というわけで、現代社会で電気がなくなると、余はひたすら眠るしかない。新幹線も止まるし京阪電車もさび付いてしまう。ついでに余もさび付いて固まってしまう。
 ところが。
 江戸時代までは、電気はこの世になかった(エレキテルで痺れた人はいたが)。電気無しの歴史があった。
 すばらしい、感動の無電気世界がそこにあったのだ。人類史の中でも無電気世界の方がまだまだ長い。

 余は電気の奴隷か、主人なのか。
 収入が無くなったら、あっさり関西電力から電力供給を絶ちきられて、無電気世界に消えていく。恐ろしいような、懐かしいような、不思議な気がした。

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2008年10月 2日 (木)

小説木幡記:2008/10/02(木)近況:十月になってしまった

 気がついたら10月だ。短い夏だった。あああ~というまに過ぎ去って、新しい秋。
 さて、近況。

 昨日は、「これからの会議は、ノートPC持参で出席しよう」と思って、MacBookを調整しだした。ネットから、学内メルにアクセスして、厖大なデータを引き下ろした。
 進んでいる人だと、会議場でモバイルというのだろうか、直接アクセスして添付ファイルを眺めるところだが、まだまだ遅れている余は、一旦はノートPCにダウンロードして、展開してから会議場で使おうと思ったわけ。

 ところが厖大な添付ファイルは全部MS系というか、ワードやエクセルばかりで、アップル社のMacBookでは扱いにくい。対処法はいろいろあるが、一番気軽でお金もかからない方法として、以前NeoOfficeをダウンロードしておいたので、それで確認した。

 で、全部で10件のファイルを一々斜め読みしようとしたら、どれもこれも重厚内容(会議資料だからな)。頭が痛くなった。
 その上、外ではマウスなしで扱えるように練習したが、カーソルがうまく動かせない。マウスは昨年から汎用タイプの無線をつかっているので、Mac系もWin系もUSBに受信機を差し込むだけでとても快適。ただし、コードがないので、外では失うことの心配性。だから、マウスなしを練習し出したが、む、む、難しい。

 なんのこっちゃと、独り言。紙の方がよほど読みやすく扱いやすい。しかし、次々と改訂版のでる厖大多種の資料を一々会議場で配布されたり、あるいは印刷持参するたびに、ものすごくもったいない気がしてきて、ノートPC持参に決めたのだが。

 慣れないことをするのは苦労する。
 NeoOfficeは、MS社のOffice2003をそっくり代行するが、フォントの大きさを極端に変えたりすると、ATOK日本語入力との相性のせいか、カーソルがあらぬ方向に飛んでしまう症状があった。
 たとえば10ポイントフォントを20ポイントに強調拡大し、日本語を挿入したりすると。
 いずれ治るだろう。ひっきりなしに仕様がアップしているから。

 今のところ、会議を思い出すと何人かの教授連がノートPC持参で来る。そりゃそうだ、数百ページの印刷物を印刷して出向くのがおかしい。余は遅れている。それもあるが、というよりは、せめて会議くらいはキーボード・マウスから解放されて、無念無想の境地で会議の流れを味わいたいという、~あはは。
 京阪電車や新幹線の中でノートPCを使っている人をみると、うっと、胸がつまり吐き気がする。(感情移入が激しいから、車中酔いを想像するわけ)

 なかなか複雑な気持ちだ。
 会議場で、会議酔いを始めたら、困るなぁ。
 もしも40年近く前に、PCがうまれなかったなら、もしも20年ほど前にノートPCが生まれなかったなら、余の人生もちがっていただろうな、と感慨深い。

 ところで、幕末明治維新物語で、勝海舟や西郷さんや坂本龍馬さん、近藤さんや土方さんが、厖大な資料を手にしているのをみたことがない。あのころは、「あ」とか「う」とか、「おいどんは」とか「斬る!」とか、簡単な日本語で意思疎通がはかれたのだろうかな(笑)。

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