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2008年10月25日 (土)

小説木幡記:2008/10/25(土)土曜の日曜作家

 午前4時起床、5時頃から正午前まで、土曜の日曜作家をしていた。長編「湖底宮」の不特定章のある部分を原稿用紙で8枚程度書いた。約7時間で原稿8枚というのは、非常に遅いペースである。本来は一時間に4~5枚書くのが余の体質にあっている。

 呻吟して書いていたわけではなく、楽しみながら、遊びながら過ごしたから、時間の割りに効率がよくなかった。それで良いだろう。なぜ半年もの間、一行たりとも書けなかったのか不思議に思い出される。遊びながら書けばよいのだ。今朝はそういう、ツボを掴んだと、思った。

 窓の外を眺めたり、珈琲を飲んだり、MuBlogを書いたり、図書館列車を走らせたり、石膏でぬりかためた「高台の図書館」ボードに、ツヤ消し透明アクリル塗料を吹き付けたり、途中の方が忙しい。

 午後は、例の500円Nゲージモデル(TMYTECの鉄道コレクション)の蓋を開けたら、中身は「三岐鉄道クモハ601」という電車だった。さっそくプラスチックの車輪を金属製に換え、重りをのせて、別の動力車に引っ張らせた。20m級の長い電車だが、半径14センチのミニカーブレールをすいすい走った。

 夜になったので、読書した。
 「聖(セイント)☆おにいさん No2/中村光」だった。
 そんなに長くないのに小一時間かかった。これで二度目だが、不思議な漫画である。ゆるいような、おもしろいような、静かに笑えるような、今回は複雑さが増した。ブッダとキリストが東京・立川で二人住まいしているお話だが、今のところ目だった宗教対立はない。お互いに相手を思いやり、騒がしく危険な日本でバカンスしているという、真面目なお話だ(笑)。

 目に見えないようなひねりが随所にあって、見過ごして後戻りしたり、もしかしたら気付かないまま通り過ぎたり、あるいはそんなこと一切おかまいなく、二人が現代の若者の生活を真似ているのを楽しめばよいのかもしれない。しかし、全編二人がお姉ぇ言葉なのは、どうにも現代っぽくて似合っているが、もしそんな男が二人そばにいたら、余は逃げる。~、回りの女子学生達のセリフ廻しをときどき観察するが、お姉ぇ言葉ほどには、男女差はないな。

 で、日曜作家のことで〆としよう。
 余は、設計図なしで作るのが身にあっていると痛感した。半年書けなかったのは、ましな設計図を作ってから書こうとしたからだと、わかった。それは過去の失敗を思い出して、今度はシリーズ四作目だから、張り切って正確なものを事前に用意しようとしたわけだ。が、設計できなかった。それが半年の結果だった。

 仕方ないので、10月に入ってから、なにかしら書き始めた。すると、どんどん想念が、妄想が、世界が広がってきて、先行きが明るくなった。

 人それぞれ。自分の方法を見付けるのが大事なのだろう。
 余の場合、それで日曜作家になれたということ。
 この半年間、書きもしないのに、わずかながら毎日毎日過去作にアクセスがあったことを知り、感動した。つまり、その間、まるっきりそのblogを、開けることもしなかった。パスワードやIDは、棄てかけの手帳を引っ張り出して、やっと見付けた。あはは。

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