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2008年10月13日 (月)

小説葛野記:2008/10/13(月)休日の過ごし方

 後の思いに、今日のことを書きつけんとするなり。
 昨夜就寝が22時前で、起床が午前4時、おおよそ6時間強の睡眠なり。

ソーダー飲んで元気だそうだ
 洗顔朝食をさっさとすませ、ソーダ村の村長さんがソーダー飲んで死んだソーダー、……。と軽やかに鼻歌まじりでソーダーと野菜ジュースと頭のよくなる薬草茶と、煎茶と、アイスコーヒーをそれぞれ一杯ずつ飲んだ。余は朝の飲み物に凝っておるなぁと、自然ににんまり笑った。

 朝の勤行(ごんぎょう)前に、昨夜の夕食を思い出した。「たこのお造り、エビと、なすびの天ぷら、豆腐の味噌汁、デザートは大きいブドウ、漬け物」思い出せた。まだ、脳は活きておる。全部うまかったなぁ。

プロジェクト・湖底宮
 今日は祝日ということも知っていた。なるほど、記憶も確か。それで、ずいぶん久しぶりに勤行につけた。一週間ほど前から、メモやデータベースを眺める気力がわいてきて、結局半年ぶりに再開できたわけだ。名付けて「プロジェクト・湖底宮」うむ、快調だった。
 結局、午前5時から10時半まで、悠々の再開だった。まだ、脳は生きておる。

 さすがに終日勤行は無理なので、茶を一杯飲んで、考えを巡らした。「そうだ、授業準備が終わっていない」と気づいた。しかし実は、今週の時間帯は授業時間にも飛び入りがあるので、電子紙芝居をかんかんになって手直しするまでもない。余裕のよっちゃん。
 そんな気分で「ひゃかしに、葛野でもいくか」と決めた。余は、一種の病気と自覚しておるが、木幡と葛野間しか出歩けない難病にかかっておってなあ。

味わいの飽和
 とるものとりあえず、木幡をRSで出て、途中一号線で早い昼食をとった。しかしいつもは好きなラーメンんが、なにかしらおかしく感じられた。
 「もう、ここのラーメンは止めておこう」と、決めた。
 いや、体調がわるいわけでもないし、そこのラーメンがまずくなったわけでもない。
 余は、要するにある期間好きな物を食べると、やがて飽和状態になって、別のものに目がいく、それが非常に極端に明瞭にあらわれるわけだ。そのラーメンは、比較的短くて、三ヶ月の間に6回通った。月に二回程度だ。とても気に入っていたが、しかたない。
 次に再会は、おそらく数年後だろう。

 と、考えると毎日毎夕、食膳が変化するのは、実にありがたい。いくら好きでも毎週数回たこのお造りがでれば、ある日とつぜん「もう、だめ」となるからな。
 不思議なのは、お米だ。これは物心ついて以来、毎日たべているが、飽きないねぇ。パン好きが1割、蕎麦うどん好きが2割、あとの7割は米好き男だったんだ、余は。

冷やかしの葛野詣で
 さすがにキャンパスは完全無人だった。気持ちがよい。
 さっそく珈琲を入れて、電子紙芝居に取りかかろうとしたら、不意に睡魔に襲われた。12時だったろうか。気がついたら、1時を過ぎていた。ほんまに、よく眠る男や。あはは。

 しかし、眠気覚ましにデコハッカ(デコにハッカ油を塗りつける。量にしてスプレーを三吹き。目に入らないように、まるで化粧するかのごとく丁寧に、デコチンに塗り込める。すると、脳がシュワッと生き返る)処理をすませると、またしても元気が出てきた(なんか、おもろい身体の構造やなぁ、とまたしても、にんまり笑う)

 快調に、なんとか.key というMacBookのプレゼンテーションソフトのファイルが、書き込みで増大した。近頃、この手のことはマックにやらせておるが、Winマシンとはまた別の味わいがあって、マックもなんやかんやといわれはするが、枯れてきた。よいのう。

レファレンス回答
 早朝の勤行中に、不意に気になってあることをご隠居の一人にレファレンス依頼しておいた。その回答が、授業準備が終わった頃に返ってきた。意外な内容なので、余は依頼しておいてよかったと、胸をなでおろした。世の中は知らないまに進んでおるようじゃ。
 ありがたいことと思い、丁寧な礼状を送り返した。

最近のお仕事:ハードディスク復旧と、高台の図書館
1.工作:高台の図書館
 高台の図書館は、昨日木幡で石膏固めを完了した。小さなジオラマだが、石の階段や前方後円墳の形態が複雑だったせいか、KATOのプラスタークロス(骨折した時に使うような石膏布:水に浸して貼り付ける)で、全面を覆ったら、なんと20センチ幅の布を2mほど使ってしまっていた。

 仕上がりが今ひとつだったので、その上を工作用石膏で塗り固めた。
 今朝みたら固まっていたが、指をこすると手に粉がついたので、この後はクリアな水性アクリルを吹き付けるか、ジェエッソとかいう塗り物で下塗りする必要があると、感じた。
 しかし木幡のそこかしこが白い斑点だらけになったので、やはり木幡研で塗装は無理と思った。そのうち、気が向いたら葛野の工作室で、色塗りをしてみよう。

 しかし、隊員たちがまたしても、余をにらみつけるような気がして、気が重い。
 どこもかしこも、工作好きの女性は少なくて、困るねぇ(笑)。一時は、屯所を発砲スチロールの切りくずだらけにして、総スカンをくらったような、気のせいだろう。
 求む、工作愛好少年少女! 委細面談、JK、JD問わず。

2.ハードディスク復旧百パーセント!
 この僅かの間に、起動しなくなったハードディスクを3度修理し、すべて必要ファイルを復旧できた。ふむふむ。
 余もまだ、焼きが回っていないようだ、手技も脳もまだ活きておるぞぉ~

 一つは昔のご隠居さんのだった。2005年ころのSONY-Vaioノートマシン。今は知らないが、当時のSONYはまだ解体が難渋した。裏蓋だけでも合計30本ほどのネジ外し、往生した。しかし、データファイルは合計20GBほど、完全に復旧した(はずだ。人のファイルを眺める趣味もない)。
 一体、20GBものデータって何なんでしょう(笑)。

 一つは屯所の右京マシン。これは土曜日に一番隊の二名を「HDD復旧のトレーニング」を兼ねて呼び出した。可哀想に二人とも連休前の土曜日に、小うるさい顧問に~。
 結局二人は所用で、午前中に帰ったが。
 実は、午前中は、HDDの内容は確認できたが、肝心の倶楽部ファイルがまったく見あたらなかった。要するにロックされていたわけだ。二人は諦めて帰ったとも言える。

 そのあと一眠りしたら、アイデアが忽然と余の脳にわいてきた。
 で、全部復旧できた。
 しかし、このことは詳細を公開出来ない(邪笑)。

 最後は、自分の携帯用小型(2.5インチ)HDDだ。これは、さっき修理した。要するに、外付けタイプのを昔買ったわけで、80GBほどあったから、当時は小一万円しただろう。今なら、安いと思う。
 これが読み出せなくなった。
 で、そこに付いていたインターフェースを取り外し、その代わりにツールを使って、マシンに直づけしたら、あはっは、これも治った。
 
 余は大昔からハードディスクを愛惜してきた。あの重み、頬にひんやりする金属の冷たさ、電源をいれるとグゥーンと回転する官能音。そう、耽溺してきた。だからこそ、余の手かざしで、HDDは簡単に中身を見せてくれる。

 ただし、物理的なクラッシュは無理だ。回転部分がすり切れているようなHDDを手かざしでなおしたら、それこそギネスブックに掲載される!

 今後は、シリコンディスクというのか、フラッシュメモリが大容量の時代になっていくじゃろう。その時、クラッシュしたらどうなるのか。以前、一度だけある時期の倶楽部局長のフラッシュメモリをなおしたことがあった。結構喜んでもらえた。しかし、それは復旧に、合理的な理屈があったわけではないので、再現性は薄い。
 今後は、フラッシュメモリも愛惜しましょう。
 諸君、愛は不可能を可能にするぞぉ~。

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