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2008年10月 7日 (火)

小説葛野記:2008/10/07(火)読書の秋です

 自分の読んだ本を人に知らせるのは、blogならではのことだ。こんな仕組みが無い頃は、ごく限られた知人や親友と、「こんな本を読んだぞ。おもろい」とか言う程度だったが。
 もちろん、どんなおもしろい本があるかという情報も、書評新聞とか、一般新聞や雑誌の書評欄で知るくらいしかなかった。京都は昔から書店が町にいくつもあったので、たまに出かけると店頭に置いてある図書で、流行を知った。

 ところが。
 実は、blogが出来たおかげで、気に入った読書の後、感想文を発信することは多くなったが。
 逆に情報採取については、昔と変わらないことにも気がついた。余は、受容器が壊れているせいか、自分で求めたものしか手にしないようだ。例外はある。これだけ長く生きていると、まわりに何十年来の読書好きがいて、その人たちが勧めるものは、貴重な情報、貴重な別世界の窓口として、受容してきた。
 だから、図書本位制というよりも、「お勧め」人物本位制というのがあたっている。

 そのことは、よしとして。
 秋になって、毎晩読書しながら眠っている。数頁読むと目が自然に閉じられて、気がつくと朝だから、遅遅とした読書だが。

1.松本清張さんの眩人:うむうむ、不老長寿かな。
2.森博嗣さんの、α目薬・Gシリーズ:ふむふむ、目薬怖い。
3.内田康夫さんの歴史もの、天海大僧正さんの本:ふう、余は信長と同時代でなくてよかった。
4.宮部みゆきさんの、理由:理由がわからない。
5.ハハキギホウセイさんの、国銅:石から銅ができる話(笑)

 こうしてみると、余は小説類は、ごく狭い範囲を何度も何度も読んでいる雰囲気だ。作者自身は、斬新さとか、これまでになかったものとか、お考えかもしれないが、これまであってもなくても、今の余が受容できるかどうかが問題なのだ。つまり、古くても新しくても、読むのは余なのだ。
 多分、これからもずっと、リストした世界の中で遊ぶことだろう。どれも気に入っている。

 読書の秋。
 それは魂が静かになる季節でもある。心の珠が落ち着いたとき、あらたなものが生まれてくる、そんな予感。人はなんのために読書するのか。私は魂鎮めのために読書する。だから、シュールすぎるもの、激しい物は読みたくない。おだやかに、静かに、頁をめくりたい。もう、若くはないのだから(笑)。

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