小説木幡記:2008/10/03(金)電気製品にかこまれて
余のまわりには電気製品があって、それが日々の生活を支えているのか、余を使役しているのか、電気の奴隷なのか、主人なのか、毎夜電灯を消した途端に朝になるのだから、熟睡中だけは電気の世話になっていないのだろう。
朝起きてから就寝時までメモしようと思ったが、書ききれなくなるので、思うところをいくつかサミングアップしておく。
1.Nゲージの鉄道図書館列車たち
葛野と木幡に数基ずつの鉄道図書館ジオラマが作りかけで置いてある。起床時、葛野到着時、授業前後、会議前後、むかっ腹が立った後(おだやかなキャンパスでも、諍いの種はあるもんだ)、帰還前、木幡到着時、就寝前、……。必ずパワーユニットのスイッチにさわる。
最近の列車は、造りがよくて、発進や停止がものすごくなめらかで、オフにしても数センチの距離をじわじわと徐行し、その後で完全静止する。さらに数台の図書館列車を引っ張って、秒速数センチの低速で、急坂をじわじわと登り降りする。信じられないような、想像を絶する動きなのだ。
この世界が、家庭用100ボルトの交流を使って、12ボルトの直流に直して、動いている。
2.自動車(愛車:木幡RS)
自動車はガソリンで走るものだが、実際は電気製品だと思っている。友人が「静かに走るときのRSは電気モーターの電車みたいだ」と言ったのは官能的表現だが、実質的にガソリンを爆発させているのはマイコン制御なのだ。
突き刺すような明るさのキセノンランプも、エアコンもTVもウィンカーもワイパーも、全部電気を電池からとっている。もう忘れたが、たしか電装系は12か24ボルトだったはずだ。Nゲージ電車と変わらない。
3.PC(パーソナルコンピュータ)
自作マシンもMacBookも、全部電気で動いている。これでMuBlogを書いたり、Googleしたり、公私のメールを送ったり受けたり、論文書いたり、教室で電気紙芝居をしたり、会議でメモ代わりにつかったり、朝から晩までPCのお世話になっている。
電気がなくなったら、仕事をせずにすむだろうな。停電になると、充電できなくなるからMacBookだって一日で使えなくなる。
4.部屋の中
そうそう、葛野研も木幡研も、電灯やエアコンや、珈琲製造器や、……。全部電気で動いている。
最近はお風呂もトイレも停電するとややこしい。そうだ、電話もいつのまにかインターネット仕様にしたから、停電すると電話も通じない。携帯だって、ときどき充電しないとプッツン。
5.電気(電池)のない世界
そうだ、少年司書ロボ0号も電気で動いている。
というわけで、現代社会で電気がなくなると、余はひたすら眠るしかない。新幹線も止まるし京阪電車もさび付いてしまう。ついでに余もさび付いて固まってしまう。
ところが。
江戸時代までは、電気はこの世になかった(エレキテルで痺れた人はいたが)。電気無しの歴史があった。
すばらしい、感動の無電気世界がそこにあったのだ。人類史の中でも無電気世界の方がまだまだ長い。
余は電気の奴隷か、主人なのか。
収入が無くなったら、あっさり関西電力から電力供給を絶ちきられて、無電気世界に消えていく。恐ろしいような、懐かしいような、不思議な気がした。
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