昭和の鉄道模型をつくる(33)木造平屋住宅
33:部品と工作(木造平屋住宅)
この建物は昔の市営住宅とか、官舎とか、なにかしら国や地方の規格住宅という印象があります。全国一律の設計があったのでしょうか(調べればわかるでしょう)。平屋なのが記憶を刺激します。昔、父が言うには「平屋建ては贅沢なんだ」と話がありました。父親と息子達とで自宅を大半造った頃のことです。(設計から基礎打ち、その他、左官のまねごと(粗壁は私も塗りました))。完成した当時の実家は、当然二階建てで、私はその六畳一室をもらいました。
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京都市の岡崎を自動車通勤で通っていた頃、だれかお金持ちが長期間かけて家を造っていたのが印象深いです。ゆっくり造っていました。大きな敷地に、平屋建てということが、車窓から毎日眺められたのです。
完成したとき、門からうかがうと、やはり平屋の上等な建物でした。
(実は、後日に分かったのですが、今のパナソニック、つまりナショナル、故・松下幸之助さんが施主だったのです)
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今回の模型、二個一の平屋って、よくこんなにうまく造ったものですね。模型開発関係者は、図書館なんかへ行って、過去を調べて設計するのでしょうか。楽しそうです。
33:鉄道模型の達人/野月貴弘(のづきたかひろ)

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一番気になったのは、野月さんのスタジオの目線にあるNゲージレイアウト、その上のディスプレイ専用高架線でした。確かにディスプレイ専用だから、両端が切断されたままなのですが、それが機能的に見えて、この仕様に惹かれたのです。
私の場合は、ジオラマ自体が小さくて、いくつかの列車編成を試すときとっかえひっかえするのですが、一々箱ケースからの出し入れなど、面倒なのです。数種類をさっと見渡して比較するときなど、いつも眼前の高架橋に並んでいると便利だろうな、と思いました。
もう一つは野月さんが中学生の頃に、キハ58(古典的なJRディーゼル車)を基本にして、「アルファコンチネンタル(注)」という改造車を作ったことです。掲載写真は小さいのですが、キハ58系には見えない異国風の汽車が鎮座していました。私もやってみたいですね。題して「アルファコンチネンタル仕様の図書館列車(笑)」。
注:アルファコンチネンタルの大きい写真をネットで探していたら、「敷き布レイアウト」にありました。
33:ジオラマ/レイアウトの制作(21)路面軌道を作る 2
要諦を二つ抽出しますと、一つは塗装です。レール全体にマスキングテープを貼って、「ニュートラルグレーのジェッソを刷毛で全面塗りする」。次に軌道部のプラスチックは、模型用塗装スプレーのニュートラルグレーを吹き付け、その上からダークイエローを薄めに吹き付ける、……。微妙ですね、手が震え、頭が痺れそうな細密仕事です。できませんなぁ(笑)
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次に仕上げですが、道路中央に白いICテープを貼りセンターライン。さらに車両進入禁止ラインには黄色のICテープを貼る。ICテープは以前ずいぶん気になったのですが、いまだに発見出来ません(お店のこと)。それにしても、細いICテープを貼っている我が身を想像すると、肩がこって眼精疲労をまねくような鉄道模型工作に、私は記事を読んでいるだけでいささか疲れました。
やはりですね、叩きモデラーが性に合っていそうです。
33:昭和の『鉄道模型』をつくる
実車にはほとんど興味が無くて、写真を撮った経験は、これまで明治村の古代車と、嵯峨野トロッコ列車と、新幹線のジェット戦闘機のようなタイプと、京阪特急ダブルデッカーくらいでしょうか。だから、以前なら四国の土讃線をキハ58系ディーゼル車が走る、というような記事を見ても頭に入らなかったと思います。ところが、最近は「ああ、行ってみたい。風景を走る列車を写真やビデオに収めたい」と、思うようになったのです。将来、この冊子の巻頭シリーズを最初から読み直したくなりました。以下、惹句を引用しておきます。
土讃線 多度津~高知◎126.6km
香川県(讃岐)と高知県(土佐)を結ぶJR土讃線は、”四国縦断鉄道”とも呼ばれている。そこを走っているのは御年47歳のキハ58系。日本屈指の秘境、四国山地で奮闘するレトロ列車に会いたくなった--。
大きな地図で見る
(土讃線の大歩危駅)
どんなところかを地図で見て、「あは!」と声を上げました。つまり愛用している「大歩危トロッコ号」が走っている線だったのです。どれほど私がこれまで実車軽視か分かるというものです。気がつかなかったのです。記事にはトロッコ号のことが書いてなかったのですが、これは「昭和レトロ列車」とは製造後30年以上の車両という規定に従っているようです。
写真や記事の見所は、トラス橋上の「土佐北川駅」、そしてスイッチバック駅が二つ(坪尻駅と、新改駅)もあることでしょう。
瀬戸内海の多度津駅を12:51発、途中坪尻駅で下車して50分程度散歩。「全国屈指の秘境駅」らしいです(笑)。次の列車に乗って、14:57阿波池田駅到着。ここで一泊。翌朝、阿波池田駅を5:33発か5:58発に乗車。土佐山田駅をすぎて、高知に着いたのはいつ頃でしょうか?
阿波池田で午後に一泊し、翌早朝に乗ったのは、こだわりというのでしょうか、キハ58+28編成が早朝に二本しかなかったからのようです。いやはや、実車志向は窮屈ですねぇ(

33:未来の図書館、過去の図書館
迷ったときは初心に戻る、という単純な原則は大体いつでも有効です。その後のいろいろなことで状況は変化し自分も変わるものですが、最初の決心や印象は大切です。
その初心をどこまで遡らせるかについては、いろいろ考えもあるでしょう。確実なことは、人間の記憶は幼少時、少年少女時代のものの方が末永く残ります。
多数の中から「一人」を特定できる、あるいは本人が「私」といえる、その者の自我、人格とは、時間と成長にそって、外界情報をとりこんで消化し判断し行動してきたこと、つまり経験の記憶重層によって形成されているのだと思います。
それならば総ての志が潰えたとき、現時点の人格にゆらぎが生じたとき、人はどこまで遡るのでしょう。多分、少年少女時代の経験の記憶だと思います。そこまでもどれば、現在の迷いを正すことができるはずです。
ところで。初心に戻ること、もっと具体的に。
未来の図書館を考えるとき、私はずっと初心「二階建てトロッコ鉄道図書館」を提唱してきました。
しかし最近、夏期論文(『日本の美術史/保田與重郎』、の可視化)という責務を果たし終え、そして勤務先のさまざまな職務に没頭し、研究者とのお話や学生達との交流によって、時間的にも、この初心・図書館列車にゆらぎが生じてきました。その一番の現れは夏期中に内心「色塗りまでは」と思っていた「邪馬台国周遊図書館ジオラマ」をさっさと、天井にかたづけてしまったことです。すでに走行テストが大成功だったにもかかわらず(注)。
事情は様々ですが、私が夏期論文の優先度を90%にあげたことが第一の原因でした。
なぜなのか。
その夏期論文の初心が20代まで確実に遡れる内容だったからです。わずか半年の「邪馬台国周遊図書館列車ジオラマ」や、そこを快走する「二階建てトロッコ鉄道図書館」は、製作展示部屋を学生達に明け渡す事情もあって、頭から消したのです。古い初心を優先し、新しい初心を隠したのです。
今朝、このあたりの心理操作に、これまで無意識に書いてきた「未来の図書館、過去の図書館」というタイトルの意味が私自身に分かってきました。なぜ紙メディアに拘り、図書や雑誌を列車に乗せて、日本の深山幽谷・山岳鉄道を温泉列車付きで走らせたいのか。
紙メディアも、鉄道も、温泉図書館列車を走らせるのも、田舎の無人駅を図書館列車の停車場とするのも、古い初心(図書館)です。そして未来への初心(図書館)とは、こうしたアナログなインターフェースをもって、これまでにない図書館を作ることなのです。
さて。
久しぶりに、京阪特急ダブルデッカー車と、大歩危トロッコ列車とを、古いディーゼル機関車DE10タイプに組み込んで、走らせてみます。そのことで、新しい初心を取り戻してみます。
注:相当に複雑なレイアウト(線路配置)だったので、設計した通り走るかどうかが最初の難題だったのです。それがうまく行ったのだから、一気呵成に山やら川やら神社まで、夏期中にやってやれないことはなかった、ということです。
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