NHK篤姫(39)薩英戦争と徳川家茂(いえもち)
今夜、攘夷と鎖国について真剣に考え込んだ。
その中を上洛した家茂、それを心配する天璋院と和宮。
長州は下関で商船を砲撃し攘夷を決行した。その結果、英仏連合軍に上陸され、武装解除された。その後、英国は薩摩に艦隊を動かし、艦砲射撃で城下を火の海にした。
鎖国。
大東亜戦争の後、この言葉が肯定的に語られることは無かった。現代、鎖国をとなえる人を見聞きしない。国際的に政治も経済も文化も、お互いに手を取って仲良くなろうという世界観が主流を占めている。なにか、うさんくさい。付き合いたくない国と戦争しょうとはおもわないが、なぜ交渉し、商売し、付き合う必要があるのか。
日本で鎖国が250年間続き、その間国内外で大きな戦争がなかったのは事実である。江戸時代は鎖国のかわりに、日本が諸外国に進出した事例も、例外を除いてはなかった。
鎖国の効用はあったはずだ。鎖国が破られそうになった幕末、反動的に攘夷が長州および朝廷から生まれた。開国とは、主に西欧諸国の植民地争奪戦に分け入ることだった。だから、当時の人達は悩んだ。現代の開国とは、世界に金をばらまき、国際紛争に首を突っ込み、本来必要としない分までの食料や燃料を高く買い込んでいる。だから現代の人も病んでいる。
篤姫は政治状況のうち、薩摩の攘夷(薩摩は斉彬、久光ともに開明的だったが)と徳川家茂のとるべき政治行動について悩んだ。和宮は家茂の公事と私事の軋轢に悩み、朝廷との関係に板挟みになった。
現代はNHK篤姫を鑑賞しても、後智慧があるから、当時の見通しが立つが、当時の人達はどんなに英明な人でも、先が見えにくかった。
江戸の徳川幕府は250年間、鎖国を維持してきたことで、長い歴史の中で、内乱のほとんどない治世をもたらした。政治体制として、その後の明治、大正、昭和、平成と数えてもまだ140年程度だから、徳川幕府は長期安定政権だった。しかも島原の乱などはあったが、幕末にいたるまで大過なく過ごした。室町幕府は応仁の乱以降は特に幕府のていをなしておらず、戦国時代だった。その前の鎌倉幕府になると、時代が古くて、どんな様相だったかよく分からない。江戸時代よりも住みにくかっただろう。
篤姫が徳川家を守ることに気持をさだめ、和宮が嫁として徳川を守る方向に傾いてきたのは、後智慧としてよくわかる。徳川を守ることが平和を維持することだった。
鎖国は一つの方法だと、今夜確信した。
今後も、日本は食料自給自足を真剣に考え、エネルギーを独自に自足させる科学技術を考え、そこそこの軍備を持ち、いつでも鎖国・攘夷するだけの力を蓄える必要がある、と篤姫を見ながら思った。
この思いや考えは、引き籠もりがちな私の性向から出ているとも言えるが、私は異国の人達と無理に付き合って商売することが佳いことだとは思っていない。みんな、国際性とか世界的というか、先進諸国の勝手さを正当化する政治経済思想の幻想に半世紀以上踊らせているような気になった。
自給自足できる底力をもってこそ、自立できる。今夜の篤姫は45分間で、戦後生まれの私の幻想を打ち砕いた。日本は幕末の悩みからまだ抜け出せていない。
輸入品は、いつでも切り捨てられる嗜好品、遊び道具だけでよいだろう。高級輸入車が入らなくなっても、外国映画が見られなくなっても、いつでも切り捨てることができる。
そういう風に思えた。
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