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2008年9月14日 (日)

NHK篤姫(37)篤姫と久光:お互いの心象が興味津々

承前:NHK篤姫(36)寺田屋事件

 今夜は、篤姫と久光と、そして小松帯刀の江戸城での会見が山場になりそうです。
 その前に、おそらく後半で話題になる「生麦事件(なまむぎじけん)」を予習し、附録としました。
 それではまた、今夜お会いしましょう(笑)

さて今夜のドラマ。生麦事件は、幕末エピソードの一つとして描かれたようです。

 篤姫と、久光と小松帯刀と大久保さんとの、それぞれの気持の違いを見ておりました。
 まず篤姫と和宮とは、お互いの行き来もはじまり、少しずつ気持が通うようになりました。将軍家茂をはさんで、徳川「一家」という共通の認識が生まれたわけです。
 その中で、篤姫は実家・故郷の薩摩が、朝廷の威を借りて(薩摩の考えが濃厚な)勅使を派遣してきたこと、さらに武力恫喝があったことに腹をたて、対面した久光に不信感を持ちます。他方、和宮は兄の天皇から、公武合体、異国攘夷の使命を授けられ、嫁いできましたが、すでに家茂から「攘夷はできません」と、知らされています。

 篤姫も和宮も実家・故郷の思惑と、徳川の実情とが異なることを分かっています。篤姫は政治家としての久光の戦略・戦術に、気質として同意できません。和宮は実母やお付きの朝廷方との気持が徐々に煩わしくなってきた雰囲気を見せています。

 相矛盾する、敵対する関係を調停するのは、篤姫の智慧をもってしても、今夜は解決できないわけです。
 大久保さんは「鬼になって」双方の矛盾を、策略や恫喝を使ってでも解消します。
 小松帯刀さんは、久光や大久保の謀略的・恫喝的な方法に納得していません。そして、篤姫や勝海舟と出会うことで、自分自身の考えを検証することができたようです。

 で、ドラマとして島津久光や大久保一蔵の考え方ですが。
 篤姫は他家に嫁いで、もう実家とは無縁の者、という考えが色濃く出ておりました。
 その背景には、久光の心中に、250年以上も薩摩を外様大名として押さえ込んできた徳川からの独立運動があると思いました。手始めは、幕政への参画ですが、実の所は、それは政治的道筋であって、行き着くところは薩摩=日本、だったのではないでしょうか。久光さんの表情をみているかぎり、そこまで行く! という雰囲気がにじみ出ていました。
 大久保さんは、鬼になって、それを行使する顔つきでした。

 というわけで、世間は篤姫や和宮の板挟みに一顧もせずに進んでいきます。徳川も、薩摩も、朝廷も主義主張、大義名分で動くわけですから、篤姫や和宮や小松帯刀の、人と人との交流、温かい気持ちに重きを置く人生観とは異なってしまっています。
 そういう篤姫達の心を救うのは、おそらく勝海舟であり、坂本竜馬なのかもしれません。西郷どんはむつかしいこともあるのですが、やはり、久光や大久保とは違った人だったのでしょう。
 どんな心で人生を歩むのか。考えさせられますね。 

附録:生麦事件

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地図:京急本線生麦駅

 1862(文久2)年の夏、江戸から薩摩へ帰国する島津久光の大名行列が横浜市鶴見区・生麦村を通過中に、イギリス人4名(女性1名)が騎馬のまま行列にぶつかり、激昂した薩摩藩士が中のリチャードソン(男性・商人)を斬殺し、他は負傷しました。

 このことで問題がこじれて、幕府はイギリスに謝罪金を渡したのですが、薩摩は下手人の処罰を拒否し、薩英戦争(1863年夏、鹿児島へイギリス艦隊が押し寄せ、艦砲射撃をした)となりました。薩摩の被害は少なかったのですが、英国艦隊の威力を再認識し、あらためて薩摩からイギリスへ謝罪・講和となりました。

 ところが皮肉なもので、この後に薩摩とイギリスは急激に接近し、いわば英国は親薩摩国になり、明治維新(1868年)につながっていったわけです。つまり、生麦事件が変じて、薩英るんるん状態になったわけです。

 生麦事件を、当時の日本の、野蛮な事件と考える人もいますが、いまどきのゲリラが外国人を拉致して殺害する犯罪的な事件とは様相が異なります。
 つまり、世界中、文明国でなくても、その國の王とか貴族とか、目上の人に対しては、外国人と言えども礼を尽くすのが慣例であり、それを守らないと、その国の関係者から死罪を含む処罰をうけるのは当然なわけです。「そんな風習は知らない」では済まないことです。

 現在のアメリカで、大統領の行列や州知事の行列に、数名がバイクや車で突っ込んできたら、おそらく十中八九射殺されるでしょう。
 当時の英国女王や国王の行列、あるいは貴族の行列に、馬や馬車で外国人数名が突っ込んできたら、まず生命の保証は無かったことでしょう。

 参考書やネット記事、辞典での知識では、当時のイギリス人の何割かは、東洋を蔑視し、その国が大事にしている慣習などを無視する風潮があったようです。一般に、手慣れた外交官関係者はそのあたりのことを、充分に理解し、無闇な軋轢をさけるものです。生麦事件のイギリス人達は、それを無視した、あるいは見識がなかった、甘く見ていた。
 今のロシアでも、そんなことをしたら、あっというまにプーチンされますね(笑)。

 というわけで、穏やかに言うと、お互いに不幸な事件だったわけです。
 きつくいいますと、当時の海賊国家イギリスは、気持の上で世界中が英国植民地(独立後のアメリカも含め)だったわけでして、原住民の儀式(大名行列)なんかは、猿の芝居にしか見えなかったのでしょう。
 そして、斬殺された。
 無知と傲慢は罪です。心しましょうぞ。 

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