小説木幡記:2008/09/22(月)ブルーな日は吉日
8月の末、24日の日曜日だった。その夕べにNDK(日本文学データベース研究会)の懇親会があったので、早めに木幡を出て京都の木屋町界隈を散歩していた。そしたら、おもしろい看板にでくわした。昔から知っていた名称だし、中に入ったことさえぼんやり覚えているのだが、ともかく懐かしい絵柄だった。
しかし今、写真を眺めていて、先月に歩いた所を思い出そうとして、まったくどこなのか分からない。記憶にずれがあって、大昔はここじゃなかった、そんな気がして、別の店なのか? しかし1962年。ふむふむ。
そこで、ブルーノート。
秋だからブルーになる。余の「ブルー」は世間の意味と違っている。濃紺をさすのだろう。深海に近い。光の少ない濃青の世界。憂鬱とは違ってくる。他人がみればブルーな顔がますます深まるようにみえるだろうが、そうじゃない。いたって機嫌はよい。ただ、脳天気なまでに考え込む季節が秋、それがブルーな日々なのだ。
脳天気なまでに考え込むとは? つまり後先見ず、野放図に考えに浸り込む様態なのだ。だから日常のあれこれは停滞する。それでも考え込むと爽快だし、顔つきは不機嫌の不機嫌になってくるが、心中は光の輪が何重にもなって回転している。気持がいい。それが秋のブルーな日々。
というわけで。
この夏出掛けた所は、大勢で飛鳥に一回、後は記憶にない。街には、一度はこの8月末、祇園で飲んだり、蕎麦を食べたり、フランソワで珈琲したなぁ。あと一回は映画だった。20世紀少年。そして件の長浜ラーメンと六曜社のアイス珈琲。これは以前にも書いた。
夏期論文は完成した。
なにもかも、ダッチロールしながら、それでもブルー調で進んでいく。
重要メモ。
一眼レフカメラの連写が、必ずエラーを起こしていた。連写なんかする腕じゃないが、興がのると無意識にシャッターを連続して押すものだ。その時エラーを起こす。うまく記録格納出来なくなるわけだ。最初は、畏友Jo氏と行った恭仁宮跡で気付いた。それからずっと気付き通しだったので、連写はやめていた。
最近、若い○氏が教えてくれた。ファームウェアとかいうものをキャノンのサイトからダウンロードして、カメラにセットすると治る、と。じゃまくさかったが、やってみた。
治った。凄いことじゃ。ダウンロードしてごにょごにょするだけで、連写エラーが無くなった。
ところが、このごにょごにょが曲者じゃった。まるでPCと変わらない。結構マニュアルはややこしい。そうか、現代の一眼レフカメラは、PCなんだろう。そう思えば、納得。
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