NHK篤姫(33)和宮の許嫁
小松帯刀の涙目
井伊大老を暗殺した中に薩摩藩士・有馬兄弟の一人がいて、井伊の首をはねた後、負傷し自刃しました。ドラマではもう一人の弟が帰郷し、誠忠組に匿われましたが、島津久光の許しがなく、またしても誠忠組は突出しようとしたのです。その時、有馬の兄がそれを押しとどめ、「弟は切腹するつもりで事をなした」といい、生還した弟も後日切腹しました。
ドラマでは有馬の兄弟のだれがどうしたかは分かりにくかったのですが、薩摩の方達にはよく知られた事実だと思います。
それはそれとして、その間の帯刀の表情が良かったです。
帯刀は、君命に背き突出した藩士が、腹を切ることの理をわきまえながらも、情としてそれに耐えられなかったのでしょう。涙をこらえ、大久保をつれて久光に面談した帯刀は、誠忠組を束ねる者として、大久保を推挙しました。
薩摩も長州も、土佐も、各国も、この頃の若い下級藩士は血気にはやっていたのでしょうか。あらためて考えるに、各国で脱藩し、京へ江戸へ浪士たちが集まってきたのです。不思議な光景です。そして、新選組も。
姑になる篤姫
和宮の関東への怖れは尋常ではなかったですね。京都の皇族や公卿たちにとって、関東はヱビス、鬼のすまいするところに思えたのかも知れません。
私には半分それがうなずけて、半分は「京都もなぁ、鶴ちゃんみたいな公家さんに絡みとられると、怖いなぁ」と、名優片岡鶴太郎演じる不気味な岩倉具視さんをみていて、怖かったです。
歴代、朝廷を比較的大切にした武家集団として、平氏は後白河法皇と駆け引きしながら公達として溶け込んでいました。鎌倉幕府の内、北条執権が一番朝廷をないがしろにしたようです。室町幕府になりますと、たとえば足利義満さんなんかは朝廷と親戚だったようです。信長は暗々裏に朝廷を冷笑していたようですが、秀吉になると、ものすごい朝廷贔屓擁護になりました。さぞ京の公卿たちも喜んだことでしょう。で、徳川さんはどうだったのか。締め付けは激しかったようですが、鎌倉北条家ほどではなかったようです。江戸と、上方、京文化がそれなりに栄えたことや、最後になって和宮降嫁を幕府の切り札にしたくらいですから、その権威性は充分に認めていたのでしょう。まして、御三家水戸は、勤皇の頂点でしたから。さらに、15代将軍慶喜さんは、世襲親王家・有栖川宮家とは親戚です。
さて。篤姫さま。
声の質が徐々に変わってきましたね。篤姫を邪魔者扱いして薩摩に返そうとした安藤老中にむかって、「武家としての誇りをもて」と、言い放ちました。
安藤としては、朝廷からみて官位の低い幕府に、内親王を迎えるわけですから、なにからなにまで頭痛の種だったわけです。事実、将軍家茂にしても征夷大将軍でしたから、内親王を前にしては格が下がるわけです。まして姑の篤姫は、若い嫁の和宮の前では、下座に座ることになります。こういう状況は幕閣にも想像できることであって、困ったことでしょう。
で、今夜の和宮は、母親と一緒に関東へ行くにはいくが、万事を御所風にすると云いきります。許嫁と仲をさかれ、死ぬほど厭な関東へ降嫁するのですから、このころ15歳の宮は完全に腹をくくって、おむくれになっていたのでしょう。
というわけで、今後の朝廷風と武家風の対立がどうなるのか、ドラマでもその伏線がいろいろありました。なんとなく、篤姫がうっとり眺めていた江戸の調度品を、京の和宮さんは、「イナカクサイ」と、打ち棄てるような雰囲気です。篤姫さまも、姑として、大変だなぁ。
附録
和宮の許嫁(いいなづけ)だった有栖川宮熾仁親王
孝明天皇の妹である和宮(1846-1977:かずのみや)の許嫁は、有栖川宮熾仁親王(1835-1895:ありすがわのみや・たるひと・しんのう)でした。婚約を破棄された熾仁親王は、後に官軍を率いて江戸への征討をいたします。東征大総督といういかめしい名称肩書きです。
このころ皇室の存続を維持するために、四宮家という家系がありました。正確には世襲的に「親王」という身分を受け継ぐ、皇位継承権のある「世襲親王家」です。江戸時代には、伏見宮家、桂宮家、有栖川宮家、閑院宮家の四親王家があったわけです。現代とは異なります。
皇族はだれでもが親王、内親王(女性)という身分を持つわけではなく、親王宣下がなければ「王」「女王」だったわけです。孝明天皇の妹だった和宮は、1861年に内親王となり、和宮親子(ちかこ)内親王という正式名称をもつわけです。1861年というと、降嫁の前年にあたりますね。
このころ、後の明治天皇・睦仁親王(1852-1912:むつひと)はどうされていたのでしょうか? つまり和宮が降嫁の時(1862)、彼女は満16歳・徳川家茂は同16歳、かつて和宮の許嫁だった熾仁親王は27歳、明治天皇(睦仁親王)は10歳だったわけです。さらに、篤姫(1836-1883)は26歳になっておりました。
歴史の役割として、有栖川宮熾仁親王は年齢的にも、後に「東征大総督」という肩書きを得たことからも、かつて和宮の許嫁だった「忘れられた昔の人」では、けっしてなかったようです。
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