小説木幡記:2008/08/20(水)毎日が夏
漸く一日が終わり夜になった。京都は今夕大粒の雨がふって、気温は初秋らしくなった。
四季への思い
しかし、たびたび記してきたが、余は暑さや寒さへの耐久力があるわけではないが、ともかく、暑さも寒さも気持の上ではそれほどこたえない。身体は確かにおかしくなるわけだが、気持のなかでは「暑いねぇ」「寒いねぇ」「よろしなぁ」と、なるわけだ。そういう余は変に思われもするが、しかし逆に炎天下で帽子や日傘をしないヒトとか、極寒なのにミニのヒトをみると、「発狂しているなぁ」と内心思う。暑さも寒さも帽子を欠かさず、夏はステテコとハッカ油、冬はパッチとぺったん懐炉、と普通に対応している。
そして今は汗をかき、冬はぶるぶる震える。それが、良いと思っているわけだ。
京都や宇治の酷暑に酷寒、実によろしい。常春のマリネラ王国(どこかにあるらしい)なんかに住みたくない。くっきりと温度変化があって、その間に穏やかな春や秋がある。要するに、四季が心から好きなんだ。
夏期論文第二ステージ
恒例の夏期論文は、以前も言うたが四段階で作ってきた。それが、まさに第二段階を終えようとしておる。ふむ。
第一段階は、テキストの熟読、精読、舐めるようにな。これは、すんだ。
第二段階は、テキストの調整、調査。これは現在、29000/31000用語まで終わったので、94%今夕終わった。
第三段階は、論立て。これは来週から合計3週間使う予定。九月中旬に完了予定。
第四段階は、評価。これは一週間の空きをおいて、数日で完了。
毎年平均して、一日6時間で、約2ヶ月かかる。今年は、第一段階を早めたので、あしかけ三ヶ月かけることになる。
論文を書く際の要諦は、いくつか経験的に把握してきた。
1.論立ての、意味を問うな。
卒論のためとか、業績のためとか、世に問うとか、そういうばかげた考えはすべて棄てないと、おもしろくなくなる。厭になる。おもしろくなければ、厭なら、するな! 辞めてしまえ! が持論故に、こういう結果がでてくる。楽しむための、方策を練ること。
2.規則正しく、少しずつ。
息をするように、茶を飲むように、洗顔するように、毎日原稿やPCに向かうこと。息をすることや、茶を飲むのに意味を問うか? 息を吸うことに気がつくと、「ああ、生きておる、たのしい」となる。茶を飲んだり、洗顔すると、すっきりする。
ところで、息するのも、茶を飲むのも、洗顔も、まとめてするのは馬鹿げておる。数日分まとめて、顔を洗う気か? あほ。すこしずつ息をするし、毎日顔を洗うものじゃ。
3.出来なければ辞めろ。
上の1も2も、守ればすぐに論文が完成する。守れないなら、それは能力の問題というよりも、したくないことなのだから、あっさり辞めればよい。実に簡単なことじゃ。卒業の為とか、業績とか、仕事とか。考えが逆様になっておるな。論立てするのが目的であって、他のことはそれに付随して、……。副作用のようなもんじゃ。
初秋の読書
ようやく、読書のノリがよくなってきた。
数ヶ月遠ざかると、読書もまた恋人に逢うような気分(古代の話)で、うきうきする。
本日まとめ
今日は葛野で午後遅く、空腹になったので買い置きのパンを無意識に食べたら、胸焼けがして食欲が落ちた。夕食のデザートに美味しそうな桃が一個あったので、胸焼け状態でいただくのはもったいなく思い、ラッピングして冷蔵庫にいれた。深夜食べて、お腹をこわしてはならぬので、ここにメモするなり。
最近、Nゲージのレール・ポイントを修理できるようになった。簡単な構造なのだが、薄い真鍮板が何枚もつかってあって、スライドすると電気回路が変わるようになっていた。要するに接触不良なんだな。すぐ治った。
最近、古い本を引っ張り出しては読むようになった。街にでかけて、新刊書を見るのが億劫なんだな。図書が10年、20年前と古くても、歳を取ると記憶が朧になるから、新品に思える。人間の脳はよくできておる。
若い専門家に聞いたところ、記憶は20代のものが最大らしい。そう言えば、余は20代前後の読書や思索や体験という資産で、今も生きておるようなもんじゃ。利子生活者じゃね。
ついでに、歳を取ると、過去や現在をポジティブに見るという実験結果も耳にした。もちろん個人差はあるようだが、そう言えば、余はここ10年ほど、ずっと脳天気に暮らしておる。いろんなことがプラスに見えるのも一種の高齢化現象とは、知らなかったぞ。
認知心理学、万歳! 人生の役にたつ学問はよいなぁ(笑)
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