小説木幡記:2008/08/15(金)それから六十余年
「すめらみことは、ヒトではない。かといって、神様や教祖様あつかいされるのはよくない。」
「ヒトではないから、個人的な気持、欲望、自由な選択などは、存在しない。財産もない。」
「ただ祈り、齋(いつ)き、人々の安寧をねがう立場なのだ。だから歴史的に、大切にされてきた。」
「すめらみことには、ヒトとしての個性は不要。その立場がこの世にふたつとない個性なのだから。」
「人類史の中でも類例のない立場だから、誰でもなれるわけではない。」
「すめらみことは、ヒトではない。我利我執や個性をもった教祖とは縁遠い。」
「神々に、人々の幸を願い祈るのだから、神様であるわけがない。」
「なくなられたとき、神の一柱となる。」
「ヒトではなく、神でもない。ただ、祈ることが、立場を継承したときから始まる。それがずっと続いてきた。」
「だから、人々は大切にしてきた。」
と、深夜うたた寝から覚めたとき、夢に、鮮明に残ったイメージだった。
最近、三島由紀夫『英霊の声』初版本に手を置いた、その影響なのだろう。初版本と断るのは、それを読んだ二十代の「ぼく」が激しい衝撃を味わったからである。同じ本でも、後に全集や文庫化されたものとは、質感が異なる。
ただそのころ四十代の三島さんを、今になって思い出すと、理屈が過ぎるという気持が余に生まれだした。どういう理屈かというと、「などてすめろぎは ひととなりたまひし」という言葉のリフレインは未だに重くのしかかるのだが、「陛下」とか「軍神」という文脈で描かざるをえなかったことに、三島さんの「理屈」を味わいだしたということだ。陛下とか軍神という概念は、おそらく明治政府が衆愚のために、作り上げた人為人工色の強い制度言葉、つまりは目的とする機関説の原型思想から導き出された言葉なのだと思う。「玉:ぎょく」に、人々の前でどう振る舞っていただくかに腐心したのが明治の元勲たちだろう。今から思うと、大不敬の極みだった。しかたなかろう、日本書紀が漢意(からごころ)に潤色された「陛下」のような言葉を使っているのだから。
それにしても鮮明なイメージだった。
余の中で、すめらみことの立場がはじめて明確になった。
そして、漢風諡号(しごう)で「神」と付くは、神武、崇神、応神、この三柱である。名付けた人は淡海三船(おうみのみふね)。淡海さんの気持を想像すると、なるほどと、うべなえる。
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