小説木幡記:2008/08/14(木)貝焼きで食欲増えました
伝来の貝焼き
大根おろし味噌煮
昨夜の木幡研は、ひさしぶりの「貝焼き」で、大いに食がすすんだ。写真でわかるように、都会風のコジャレタものとは対極の田舎料理である。たしかに日本料理は見て楽しむ、器を楽しむなど多様だが、質実の要素もあり得る。つまり「うまい、食が進む」
一言で言うと、大量の大根おろしに味噌を混ぜて、煮込んだ料理となる。「貝焼き」と言っているのだから、もともとは土鍋ではなくて、大きめの貝殻に載せて囲炉裏(いろり)で煮込んだのだろう。これを熱いご飯と一緒にいただく。日頃は小食で、ご飯茶碗に半分程度だが、昨夜は大盛りで二杯いただいた。
大量の大根おろしがカナメだが、具はいれる。身欠きニシン(ニシンの干物)を細かく刻んだもの、大量のネギ・野菜、卵一個ほど、味噌煮込みだから、何を入れてもよいだろう。要するに、熱い「大根おろし味噌」を食べると考えれば分かりやすい。
父伝来の貝焼き
父は食通ではなかったが、この「貝焼き」を残してくれた。福井県の貧農というか、炭焼きの出だから、明治時代の村では、米のご飯も、身欠きニシンも、味噌も「ごちそう」だったと想像する。卵は余の代になってから使っている。貝焼きの貝がなにかは知らない。ホタテ貝やアワビの大きい貝殻を囲炉裏において、ぐつぐつ煮込んだのだろう。
これが福井県今庄町大桐地方の郷土料理とは思っていない。工夫好きの父がなんとなく、あれこれ考えて創り出した料理だろうと、想像している。
たとえば父は、雑煮というものを一大変革させて余の食データベースに埋め込んだ。余にとっての「雑煮」とは、昆布出しだけで餅を煮て、黒砂糖の小片と一緒に食べるものでしか、あり得ない。世間の字句とおりの味噌で煮込んだ雑雑とした具付きの「おぞうに」なんて、気色悪くて正月の朝、いただけない(笑)。正月早々気持が雑然とする。すっきり単純にお餅をいただきたい。
貝焼きも、言ってみれば単純食欲増進おかず。大根おろしと味噌ほど、お米にマッチする食材はなかろう。よって、父伝来の貝焼きが、今でも木幡研の食卓にあがる。美味なり。
参考
今度気になって「貝焼き」についてネットを探索したところ、意外にも「津軽地方」の「貝焼き味噌」に出会えました。福井と青森は縄文時代から航海を通して、食にも影響があったのかもしれませんな(笑)。ただし微細に異なりがあり、やはり父伝来の「貝焼き」と考えておきます。要するに、当方の貝焼きは、大根おろしを味噌で煮るところに特徴があると言ってよいでしょう。
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