小説木幡記:2008/08/11(月)木幡の朝顔
先週の某日朝にとった写真です。
ときどき花をカメラに収めるのですが、「朝顔」は単純ですが、綺麗な花です。
朝顔と思い浮かべただけで夏休みが連想されて、宿題の絵日記を思い出し、京都市右京区・嵯峨小学校の六年間が走馬燈のように回っていきます。
人間の成長とか、人生にとって初等教育は大切ですね。不幸にしてイジメにあったり、不登校になったりする少年少女の話を新聞やTV、またそういう子どもさんをもった親の話を耳にすると、「残念だろうな」と考え込むのです。
そして次の瞬間、また「朝顔」。
私の絵日記は嘘嘘しい内容だったのですが、朝顔は本当に観察して、蔓の伸び具合や花の咲き具合、咲いている時間、色など、理科観察日記みたいなものを書いておりました。
嘘絵日記の筆頭は花火大会でした。
昨夜も宇治市で大きな催しがあったのですが、幼児期から今まででも、花火を観に行った経験は数回しかなく、それなのに夏休みの絵日記には毎年毎年、数回は花火の絵と記事があったようです()。花火の絵が描きやすかったわけですね。
ところが朝顔。
これは絵心のない「ぼく」にも、花火と同じく特徴がとらえやすく、どこからみても、薔薇でもないし、桜でもない、まごうかたなき「朝顔」を書くことができたわけです。その上、大体暑い間は咲きますから、花火と違って、毎日嘘なしで堂々と絵日記を書けました。だから、記憶が鮮明なのでしょう。
他の嘘絵日記としては、そうですね。
ここ一番というところで、家族旅行日記でしたなぁ。事実は、祖母や兄たちと毎年山梨県の父母のところへ一ヶ月以上旅行していたわけですが、これは家が変わっただけで旅行とは言えません。なのに、海や山へ行ったような日記を毎夏一度は書いておりました。しかも、子どもなんですねぇ。どこへという地名がなくて、ただ「海」へ家族と行った、そういうすぐバレル嘘日記でした(悲傷)。遠くの船や近くの浮き輪が描きやすかったのじゃないでしょうか。
夏休み前とか、終わった後、大抵裕福な学友達が、毎年「信州の別荘に行った」とか、「日本海に行った」と、話しているわけです。「ぼく」は、鼻っ柱は強い少年でしたが、相手の眼前で嘘をついて見栄をはるほど愚かじゃなかったようです()。しかし、結局は絵日記をやむにやまれず捏造(ねつぞう)するわけですから、そういう見栄っ張りな所がなきにしもあらず。
朝顔。
これはまごうかたなき、木幡研究所に咲いたものです。今の木幡記や葛野記には、見栄もなく嘘もなく、正しき真実の記録を書いておりますよ。
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