源氏物語・大沢本のこと
昨夕帰路に伊井春樹先生(国文学研究資料館長)のお姿をNHKニュースでかいま見ました。
源氏物語写本の、これまでない「大沢本」が再発見されて、伊井先生の知るところとなったようです。
ここで。
現代の人は、古典の全てが実はお互いに「異本」であって、定稿らしきものは著者の自筆紙がないかぎり、定められないという事実を確認してください。さらにくどく言いますと、その著者自体が不明の古典は一杯あって、さらに著者も「出版社」に原稿を納めるという様式はなく、日々書き散らかして筐底にしまっておいたものが幾篇もあったはずなのです。うそかまことか、紫式部さんが反古(ほご:ボツの意味)にした紙を、こっそり藤原道長がひろって、「くくく、こっちのほうがよろしいなぁ」と、今に残ったかどうかは、歴史の謎です。
定稿という考えが無かった時代なのでしょう。
ただし、古事記や日本書紀、そして万葉集、いくつもの勅撰和歌集などは、朝廷が管理しましたから定稿らしきものはあったはずですが、それも「印刷術」が普及していなかったので、書き写されるたびに違った本「異本」が生まれたことでしょうね。
そしてまた。
現代の人は、大抵は現代人が翻訳した源氏物語を読まれると思いますが、まめな人や大学で源氏物語を専攻する人は、各出版社からでている著名な研究者が「校訂」した源氏物語を読みます。
ところが、これがまた、もともとの写本から見ると似ても似つかぬ「源氏物語」を読んでいる可能性が残るわけです。どういうことかというと、研究者が適切な漢字を当てはめたり、句読点や段落をつけて、原文を再現していますので、そこに研究者の解釈が入るわけです。研究者AとBとが校訂した「源氏物語」は、お互いに異本となるわけです。
こういう詳細に立ち入る力量はまったくないので、この程度にとどめますが、初めて写本の影印本(写真版)を見たとき、周りにいた源氏物語の先生方に「これ、何?」と、私は心から驚いた記憶があり、昨日のことのようです。句読点とか「」とか段落とか全くなくて、まして漢字はほとんど使われていない、のたくるような「ほにゃら」とした平仮名で一杯の写真でした。
「これ、先生、よめるんですかぁ?」と、大阪大学文学部の一室。今をさる20年も昔。
「ええ」
「君もよめるの?」と、隣の若い研究者の卵に。
「毎日眺めていると、読めてきます。Mu先生も、どうですか?」
「無理!」
「こっちのは、定家(藤原定家)さんが写したものです。これだと、読めなくもないでしょう?」
「ああ、ちょっと分かりやすい字ですね」と、Mu。
私は大学生時代、極端な文学青年だったことがあり、こっそりと源氏物語を読んでおりました。岩波書店の出していた日本古典文学大系というシリーズの中の、たしか五冊本でした。注記も読みもあって、漢字も使ってあって、小見出しもあって、今から考えると「現代直訳本」なのですが、それでも「ああ、分からない」と絶望していた経験があります。そして、刷り込みというか、古典とは「こういうものだ」と思いこんでいたのです。
それが。
源氏物語の写本を見たとき、その驚きはどれほどのことだったでしょう。それまで原典と思っていたのが、実は本物の写本があって、その写本が一杯あって、それぞれに微妙、あるいは大胆な違いがある!
古典研究者はすばらしいと思いました。
研究対象が謎だらけなのです。謎がない研究なんて、ちっともおもしろく無いじゃないですか。古典は謎だらけなのです。それを、生涯かけて愚直なまでに写本に接して、こつこつと解読する仕事が古典研究者の基本なのです。日本中の、どこに何が隠されているのか、忘れられているのか、まさに「幻の」写本探しですね(笑:なぜわらうのかは、ナイショ)。
というわけで、久しぶりに国文学研究資料館・館長伊井春樹先生の若々しい声にTVで接し、一文したためました。
追伸
別本、青表紙本、河内本、とか専門用語は私にも、いまだに全体像が結ばないので、この稿では言及を差し控えます。
また「大沢本」については、都合20年間ほどNDKという研究会に参加していた間、なんどか耳にはしました。一時期は、「幻の大沢本」で、ミステリを書いてみようかと思ったほどですが、今回解明されたようなので、止めておきましょう(笑)。
専門家の伊藤先生とか中村先生、あるいは日本語学の大谷先生の若きころの姿を思い出しながら、「源氏物語」写本の姿を、今一度心に描きなおしたいですね。
再伸
この記事を掲載後に、伊藤先生のblogを確認したところ、昨日のうちに「大沢本」について公開されていました。
難しいところもありますが、専門家ですよね、正確です(笑:怒られますね)
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