NHK篤姫(30)将軍家茂と井伊大老
ここ数回の「篤姫」は緊張のし通しですね。将軍家定と島津斉彬が同時に亡くなって、井伊直弼が大老になって、今夜は安政の大獄で、沢山の人が捕縛され、拷問を受け死罪となっています。
吉田松陰さんも、切腹するわけです。明治維新が遅れた(人材払拭で)とか、明治維新が早まった(倒幕の意志の固まり)とか、諸説あるようです。
それにしても鉄の意志というか、井伊大老の辣腕専制ぶりはみているだけで震えがでます。なにしろ京都の近衛家にまで累が及ぶのですから、幕府の冷徹な朝廷圧迫が絵に描いたようによくわかります。
井伊としては、インテリでもありますから歴史の教訓を噛みしめていたのでしょう。朝廷から、幕府身内の水戸家へ勅諚(この場合は密勅あつかい)が行くのですから、これでは源平時代、後醍醐天皇時代、と変わりありません。朝廷のお家芸は、各地に院宣とか密勅を送って、武家政権を内部から突き動かすことです。だから、徳川家の大番頭を任じる井伊直弼としては、許せなかったことでしょう。
しかし朝廷からするなら、ハツクニシラス・スメラミコト以来の神聖天子と、単に政(まつりごと)を預けただけの武家とでは、比較にならないことですから、井伊大老のなしようは暴挙にしか見えなかったことでしょう。そして、「歴史」では、この安政の大獄は、愚挙扱いされています。Muなどは吉田松陰(30)を始め、橋本左内(26歳)の死を思うと、残念でなりません。今夜のドラマでも、巻物に書き連なったブラックリストが、次々と消されていく場面に、震えました。
将軍家茂(いえもち)と義母・天璋院
ドラマでは、家茂将軍は先代の遺言によって、義母・天璋院が後見人であることを認めます。
ここでも井伊大老の苦虫はよく理解できるのですが、大局的に考えるならば、勅許なくしてアメリカと条約を結び、密勅を見て次々と関係者を処罰していく井伊大老は、切れ者ではあったでしょうが、全体の流れを見ていなかったのではないでしょうか。
老中阿部正弘が存命ならば、御三家に限らず、有力大名を味方に付ける方向に向かったと思います。彦にゃんで人気の彦根藩は、井伊直弼が暗殺されたあと、守護に手傷を負った付け人達でも、回復した時、死罪にしたようです。直弼さんを始めとしてなにか、硬直したおかしい考えがあったのでしょうね。
それに比べて家茂将軍は御三家紀州の出身なのか、鷹揚に天璋院の性格を「娘ごのような」と語り、頼りにしています。そして、井伊大老も「大御台所」が聡明であることを、口にして認めました。この時点では、篤姫さんも、ほっと一息だったことでしょう。義理の息子が底意地の悪い将軍、最高権力・権威者だったなら、目も当てられません。
西郷と月照
さて薩摩。
斉興(なりおき)がオユラさんと一緒に帰郷し、実権を握りました。息子の久光さんや、小松帯刀の苦渋が偲ばれます。幕府・井伊大老へのおもねりというよりも、それを理由に、自分を追い出したような故実子・斉彬への恨みのこもった粛清の嵐ですね。
西郷さんは、都の月照を救ったつもりが、足をすくわれて、月照への刺客を命じられます。窮地にたった西郷さんを逃亡させたのは小松帯刀君と大久保さん。しかし、逃れられぬと思ったのか、あるいは絶望を感じたのか月照は逃亡中の船から身を投げますが、西郷さんも後追いします。
西郷さんにとって、名君斉彬の死によって、その後の変化を肌で味わい、「もう、終わった」と感じたのでしょうね。息を吹き返した西郷さんは、ひそかに奄美大島へ流され、幕府には「死亡」と伝えられたようです。西郷さんのことは、昔に、評論家松本健一さんが書かれたものを読みました。こういう、若い頃の艱難辛苦が大西郷を創ったのだと思います。
それにしても、この斉興爺さん、一体この先どれほど斉彬派を過酷にあつかうのでしょうか? それは次々回のお楽しみ(笑)。
幾島の心
複雑です。
「自分を許せない」こういう心境は、難しいわけでして、私の手には負えません。
そうだ。幾島さんのことは、次週にまとめましょうか。
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